早蝉の鳴く

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早蝉の鳴く

午後、だらけた姿勢で動かしていた手と頭が停滞する。 今日の空気はほんのりと湿気を含んでいて微妙な重さを孕んでいる。 天気のせいもあってか、僕は今朝から自分の手の進みが悪いのを感じていた。 「あーーーーー……」 とうとうエネルギー切れを起こしたらしいと回らない頭が他人事のように呟いた。 まるで早すぎた羽化で梅雨に生まれてしまった蝉のように、僕の目はただただぽかーんと、カーテンの隙間から見える小さな灰色を見上げていた。 「あー……。タバコ、切れてんだっけ…」 僅かに戻った思考が手を机に這わせたが、握ったタバコケースは虚しい軽音をたてただけだった。 僕の落胆は深まるばかりだったが、このまま灰色の海のような鬱々とした気分に沈みたくもなく。 「よし、出掛けるか」 少し前に依存からパートナーへとポジション変えをした僕の大事なタバコを補充するためにと重い腰をあげた。 近くのコンビニへ行くだけなのだが、それでも気分転換にはなるだろう。 いずれにせよこのままカーテンと睨めっこを続けるのは馬鹿げているとケツに根を生やしている自分を叱咤した。 「って、降ってんじゃん」 ぱらぱらと、僅かに雨が降っていた。これから降り出すのだろう。 つくづく自分は間の悪い人間だと些細なことで落ち込みかけるのを振り払って傘を手にした。 (傘……さすの、いつぶりだろうなぁ) 先日の雨の日はずぶ濡れていたし、元々小雨ならと面倒がって持ち歩く習慣がない僕は、傘をさして出掛けるという当たり前の行為に学生の登下校みたいな懐かしさと新鮮味を得た。 「雨の匂い、久しぶりだ」 傘を叩く雨音に気分が晴れていくのを感じながら、ゆっくりと時間をかけて少しの距離を歩いた。 童謡を口ずさんでみたり、傘をくるくると回してみたりして、僕はすっかりと童心に戻っていた。 「タン、タタン。タッ、ルタタン、タッタッ」 晴れていれば近所の神社へ遠回りでもしたい気分だったが、濡れて冷えるよりはと童心を宥めて真っ直ぐに帰路を辿る。 行きと違う通りを行くのは、きっと散歩をしたい自分のちょっとした悪あがきみたいなものなんだろう。 見慣れた筈の景色に目を癒されながら、家までのアスファルトを一歩一歩と力強く蹴って進む。 心の示すままに、傘を叩く雨音と足音で小さな僕だけのリズムを刻みながら。 「ただいまーっと」 誰もいない部屋に帰宅を告げる声も弾んで耳に届くから少しばかり擽ったい。 「雨の日も、気分次第なんだなぁ」 家を出る前と同じように、カーテンの隙間から覗く小さな灰色を見上げる自分の心が軽くなっていて、笑顔の自分に喜びを覚えていた。 「ようし、やりますか!」 さっきまでより幾許か部屋の中も明度を増した気がして、僕は再びスクリーンと向き合った。
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