180人が本棚に入れています
本棚に追加
私達は中学三年生になった。
自分の進路というものを考えなければならない学年だ。
私の目の前で宇都宮君と担任の先生がバトルを繰り広げている。
「だ〜か〜らあっ。俺は梨花と同じ高校に行きたいの!」
「だからっおまえの学力じゃ無理だって言ってんだろ!」
「やってみなきゃわかんねえだろ!」
「やってみなくてもわかるから言ってんだろーがっ!」
これって…私の二者面談なんだよね?
なんで宇都宮君が乱入してきて先生とバトってんの?
「梨花と一緒じゃなきゃ無理〜。俺絶対引きこもる〜。」
さぞかしアクティブな引きこもりになりそうだな。
宇都宮君は小さい頃からの刷り込みで私にこだわってるだけで、もう一人でもやっていけると思うんだけど……
いつまでも私に頼らせてちゃダメだ。
「あのね、宇都宮君……」
「あれ、この音楽科ってなに?」
宇都宮君は私が受験する高校のパンフレットを見て不思議そうに尋ねてきた。
私が目指していたのはこの音楽科の方だ。
自分には無理だと早々と諦めてしまったのだけど、この高校の自由な雰囲気が気に入っていたので普通科の方を志望したのだ。
「音楽科ってのはピアノを弾ける坊っちゃん、嬢ちゃんが行くとこだ。」
体育教師である担任の先生が適当な説明をした。
「俺ピアノ弾けるっ!」
「そうなのか?じゃあ受けてみるか?」
なにを盛り上がってるんだこのアホ二人はっ。
ここの音楽科はこの地域では一番レベルが高くて偏差値も倍率も高い。
ピアノが弾けるだけでそう簡単に入れるような音楽科ではないのだ。
「宇都宮君っ!入試にはピアノだけじゃなくて【聴音】と【視唱】と【楽典】てのもあるんだよ?」
「えっ、なに?ちょうおん?ししょう?」
【聴音】…ピアノの音を聴いて楽譜に書き取る。
【視唱】…初めて見た楽譜を歌う。
【楽典】…音楽の基礎的な理論の筆記試験。
この3つとピアノの実技、それに5教科の学力試験もある。
楽譜も読めない宇都宮君には無理だと止めたのだけど、私と一緒の高校に行くんだっと言ってその日から猛勉強を始めた。
宇都宮君が一度やると決めた時の集中力はそりゃもう背中が燃えてるんじゃないかってくらい凄かった。
数学以外は散々な成績だったので私と同じ塾に通うことにした。
専門的なことについては私の母から教わることにした。
「おばちゃ〜ん。聴音、教えてくれ。」
「宇都宮君。今食事中だからあとにしてね?」
「おばちゃ〜ん。視唱、教えてくれ。」
「宇都宮君っトイレ行きたいからそこどいてっ。」
「おばちゃ〜ん。」
「宇都宮君……今、朝の5時よね?」
母は毎日のように宇都宮君に突撃され、最後らへんは軽いノイローゼになっていた。
「……つまり、彼が音楽科を選んだのは君と一緒の学校に行きたかったたから。だけ?」
私の話をずっと黙って聞いていた瀬良君が、堪らず声を上げた。
「……はい。そうなりますね…すいません。」
なぜ私が謝らなきゃいけないんだろう……
瀬良君はその綺麗な顔を歪めながらも、気持ちを落ち着かせようとコーヒーカップを手に取り、口に含んだ。
かなり怒ってるっぽい。
音楽の道を真剣に考えている瀬良君にとっては、宇都宮君の志望動機はふざけるなといった感じなのだろう。
にしても…この店落ち着かない────
放課後、瀬良君に教室まで迎えに来られてお抱え運転手が運転する車で連れて来られた場所は、高級ホテルのラウンジだった。
高校生が放課後お茶するような店じゃない。
瀬良君が、瀬良グループの御曹司で超金持ちだということを忘れていた。
このオレンジジュース一杯…いったいいくらするんだろう……
「あれだけ弾けてピアノ歴が一年にも満たないだなんて驚きだが、1回聞いただけで弾けるだなんて信じられないな。」
私も宇都宮君の行動には幾度となく驚かされてはきたけれど、この能力だけは何回目の当たりにしても未だに信じられない。
一体宇都宮君の頭の中はどうなっているのだろうか……
「もしかして…彼はサヴァンなの?」
「……サヴァンて、サヴァン症候群のことですか?」
サヴァン症候群とは特殊な計算能力や並外れた記憶力など、ある特定の領域でケタ外れの才能を持っている人のことをいう。
私もそう思ってネットで調べたことはある。
でもそれだと……
「あの…サヴァン症候群は発達障害の中で特別な能力を持っている人のことを指しますよね?」
「彼は違うの?」
私もハッキリと聞いたことはない。
宇都宮君のお母さんはちゃんと調べたのかもしれないけれど、幼い頃から人とは違う宇都宮君を、それも個性だと言ってたっぷりの愛情を持っておおらかに育てていた。
私にとっても宇都宮君は宇都宮君で、発達障害だとしてもなんら関係のないことだった。
「気を悪くしたのならゴメンね。日本は空気を読むことを求められる風潮があるから…他の国では許容レベルなのに日本では問題視されてすぐに発達障害などと呼ばれるのは僕も好きではないよ。」
─────瀬良君て……
ピアノだけではなく、いろいろなことに博識で自分の考えというものをしっかりと持っている。
美少年だし、学校での成績も特進科の子を抜いてトップだ。
ピアノの腕も将来を有望視されるほどの実力を持っているし、セレブなことを鼻にかける様子もない。
完璧な人間て、きっとこんな人のことを言うんだろうな。
瀬良君は私がジュースを飲み終わるのを待ってからウェイターを呼び、支払いを済ませようとした。
「自分の分は払いますっ。」
「いいよ。僕が誘ったんだし。」
慌てて財布を出そうとした私をクスっと笑って制止した。
さらに瀬良君は私がいいと言ったのに通り道だからと言って家まで車で送ってくれた。
本当は反対方向なのに、やり方が実にスマートだ。
これが初デートだったらどんな女の子でもイチコロだと思う……
「彼が天才の域に達っするサヴァンなのかどうか確かめてみたい。君も協力してくれる?」
なぜこんな人が宇都宮君に興味を抱いているのだろう……
そう疑問に思いつつも、ニッコリと微笑む天使のようなその笑顔に、出来ませんとは言えるはずもなかった。
最初のコメントを投稿しよう!