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今の逢瀬モドキを見られてしまった……
「いえっ付き合ってないです!今のは儀式というかクセというか刷り込みというか……」
どう説明すればいいのだろうか。
瀬良君は焦る私を見て涼しげに微笑んだ。
「あれで付き合ってないんだ。不思議な関係だね。」
私もそう思います……
でもそれは宇都宮君だからとしか言いようがない。
瀬良君はゆっくりと私のそばまで近付いてきた。
「彼がピアノを引く時に耳に付けてるのってなに?」
「あれは…ピアノの高音を遮断する防音具です。宇都宮君は聴覚過敏の症状があるので……」
宇都宮君は日常生活においての高音は訓練をしたおかげで普通に生活出来るようになった。
でも自分で弾く生のピアノの高音だけは、いくら訓練を繰り返しても苦痛にしか感じられなかったのだ。
なので今でもピアノを弾く時だけはイヤーマフが手放せないでいる。
ピアノの高音は、宇都宮君にとっては凶器なのだ。
「高音が聞こえてないんだ。どうりで…高音だけ心が入ってないはずだ。」
この人─────…………
「でも彼が弾く曲って全部有名ピアニストの真似事だよね?自分の感情では弾いてない。」
……────すごく耳が良い。
さすが100年に一度現れる天才だと言われるだけはある。
「聞く人が聞けば一発でバレるよ。あれじゃあいくら上級の曲が弾けてもプロにはなれない。」
「宇都宮君は別にプロになりたくて音楽科を選んだわけじゃないので……」
「へえ…じゃあなんのため?」
それまで穏やかだった瀬良君の瞳の奥が鋭く光って見えた。
音楽科の人達はみんなプロになりたくて来ている。
それは生半可な気持ちではない。
怒らせてしまったのかもしれない……
二人の間に予鈴を知らせるチャイムが鳴った。もうすぐ午後からの授業が始まる。
「興味あるから是非聞かせてよ。今日の放課後時間ある?迎えに行くよ。」
そう言い残して瀬良君は音楽科のある校舎へと消えていった。
宇都宮君が音楽科に入った理由……
それはとても単純なものだった──────
中学生になってからも宇都宮君は相変わらず私に懐いていた。
「梨花〜ゲームしようぜっ。」
この頃になると宇都宮君は私の部屋の窓から入ってくるようになっていた。
今から行っていい?とか、行くねっとかもなんもなしにイキナリくるのである。
「宇都宮君。何度も言ってるけど、ちゃんと玄関から入ってきてね。」
「だって梨花の母ちゃんなんだかんだ理由つけて遊ばせてくれねえもん。いるのにいないとか言うしっ。」
「そうなの?」
中学生になったし、男女二人っきりで同じ部屋にいるのが心配なのかな?
宇都宮君に限ってそんな心配ご無用なんだけど……
いや、違うか。きっと宇都宮君の中学での暴れん坊ぶりを誰かから聞いたんだろうな……
中学生になってからまた例の二つ上の4人組と同じ学校になってしまい、宇都宮君はそいつらとケンカしまくりなのである。
「ゴメンね宇都宮君。私これから合唱コンクールの伴奏の練習するから遊べないんだ。」
「練習って…これでするのか?」
宇都宮君が指さしたのは昨日きたばかりの電子ピアノだった。
私の母は音大を卒業していて今は自宅でピアノの先生をしている。
一階の防音室にはグランドピアノが置かれているのだが、私がいつでも練習出来るようにと電子ピアノを買ってくれたのだ。
「じゃあ俺、伴奏に合わせて歌うよ。」
「えっ……宇都宮君が歌うの?」
「なに?なんか梨花嫌そうな顔してない?」
だって……
宇都宮君は音痴というわけではない。
リズムだって音程だってちゃんと合っている。合ってはいるのだけど吠えているていうか叫んでいるというか……
一言でいうと下手くそなのだ。
「まだ全然弾けないから…気持ちだけもらっとくね。」
合唱コンクールでの私達のクラスの曲名は中島みゆきさんの『糸』である。
最初は音楽の先生が用意してくれた簡単な楽譜で弾く予定だったのだが、母がその楽譜を華やかにアレンジし直したのでかなり難しくなった。
きっと…ピアノの先生である私の娘が弾く楽譜はすごいでしょ?という見栄があるのだと思う。
だからいっぱい練習して上手く弾かないと……
失敗は許されないのである。
宇都宮君は私が練習をする横で、毎日のように大人しく聞いていた。
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