宇都宮君に懐かれてます。二話目

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「宇都宮君、このお菓子食べる?」 「うまそ〜っ!おばちゃんありがとうっ。」 「ピアノの練習してくれたらもっとあげるんだけどなあ。」 「マジで?やるやる〜。」 母はあの手この手で宇都宮君にピアノをさせようとしていた。 ピアノの高音だけを完全に遮断する特注のイヤーマフを買ってあげたほどだ。 自分の教室からコンクールに入賞するような生徒を育てたいのだろう。 宇都宮君は本当に1回聞いた曲を一音も間違えずに弾くことが出来た。 でもピアノはただ楽譜通りに弾ければいいというものではない。 曲にはそれぞれにテーマがあり、作曲した人の想いやドラマが詰まっているのだ。 それを自分なりに解釈してこそ音に深みが出る。 人の感情を読み取ったり、相手に伝えることも苦手な宇都宮君には困難な話なのである。 「梨花…失恋した気持ちでピアノを弾けって言われたんだけど、どういうことだ?」 さらに母はフィーリングで指導するタイプだ。 曖昧な指示を出されると宇都宮君は余計に混乱する。 「宇都宮君にピアノは向いてないよ。もう辞めたら?」 「俺もそうしたいんだけど、練習しなきゃ梨花と遊ばせないって言うんだ。」 お母さん…娘までダシに使ってたのか。 前まで私と宇都宮君が遊ぶのを嫌がってたくせに…… 「おばちゃんが弾いた通りに弾いてるのに間違えてるとか言うんだぜ?意味がわからねぇ。」 母はミスタッチが多い。 楽譜の読めない宇都宮君にはどの音が合っててどの音が間違ってるかなんてわからないのだろう。 「天にも昇るような気持ちで演奏しろってなんだ?ピアノの上に乗ったらいいのか?」 それでどうやってピアノを演奏するつもりなんだろう…… 宇都宮君でもわかるように説明するとなると…… 私は宇都宮君を連れて一階のグランドピアノが置いてある部屋へと向かった。 この部屋には有名ピアニスト達が出しているCDがたくさん置かれていた。 ショパンは「ピアノの詩人」と呼ばれ、クラシック音楽史上最高峰のピアニストであり偉大な作曲家だ。 ショパンの曲は多くのピアニスト達の主要なレパートリーとなっている。 私は宇都宮君に、同じ曲でもピアニストによっては切なく聞こえたり、優しく聞こえたりするんだよと教えながらCDを聞かせてあげた。 「さ───っ…ぱりわからん!」 やっぱり無理か…… 目を閉じて集中して聞いてたから何かつかめたのかと思ったのに…… 「ようするにこれと同じように弾けばいいんだな?」 そう言って宇都宮君はグランドピアノの前に座り、イヤーマフを装着した。 指や肩の骨をポキポキと鳴らし、まるでケンカをする前の準備体操のような感じに笑ってしまった。 この後私は、宇都宮君のピアノの本当の凄さを理解していたようで理解していなかったのだと痛感させられたのだった。 宇都宮君が弾き始めたのはショパンの第3番『別れの曲』だった。 難易度は上級だ。中間部には複雑な和音が入り、1回聞いただけで弾けるような曲ではない。 それを見事なまでの悲哀を込めて演奏したのだ。 今、CDで聞いたピアニストの音の強弱の付け方や、テンポやリズムを意図的に変化させるアゴーギクという表現方法まで、そっくり完璧にコピーしたのである。 宇都宮君が弾き終わると…… 私の目には涙がたまっていた────── 凄いなんてもんじゃない。 全身に鳥肌が立って、聞き入りすぎて瞬きをするのも忘れてしまっていた。 「梨花なんで泣いてんだ?俺なんかしたっ?」 私の涙に気付いた宇都宮君が焦って私に近付いてきた。 宇都宮君は私が泣くのを何よりも嫌がる。 「違うよこれはっ。今のピアノに感動したの。」 「感動したら泣くのか?変なの。」 そう言って宇都宮君は、頬に流れる私の涙をペロっと舐め取った。 「なななっなにしてんの宇都宮君?!」 「ハンカチ持ってねえから。」 「だからってこんなことしちゃダメ!」 もうっ…相変わらず突拍子もない行動するんだからっ。 こっちがドキドキするようなことはやめて欲しい。 部屋の入口で母が驚きの表情をして立っていた。 今の…見られてた?! 「素晴らしい演奏じゃないのっ!!」 母は感動しまくりで宇都宮君に駆け寄り、握手を求めた。 娘が男の子に頬っぺを舐められたのはガン無視である。 まあそれほど宇都宮君の演奏は素晴らしかったのだけど…… 「宇都宮君、コンクールに出てみない?」 「ええ〜っなんか面倒くさそう。」 「そんなことないよ?梨花も出るし…出てくれたら帰りにスウィーツバイキングに連れて行ってあげるんだけどなあ。」 「マジで?やるやる〜。」 お母さん…エサで釣りすぎ。 簡単に釣られる宇都宮君も宇都宮君だけど…… fe839433-6178-44b4-96e4-1d7aa85779f1
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