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男は少々ハクがついた方がイケてんだ。
そう言って、短い顎髭をざらりと撫でる角ばった指が、どことなくイカしていて格好いいと思った。その仕草を鏡の前で真似してやってみても、何故かこう、しっくりこない。まだまだハクってやつが足りないのか。それとも単に、自分の指が貧弱でいまいち頼りないのか。
何にせよ、少々がっかりしたのが昨日の件。
行きつけのバーカウンターで今日もハイボールを呷る、その指に惹かれてたまらない。
その感想と昨日の件を仏頂面で告げたら、開口一番バカでかい声で嗤われた。
恰幅のいい背中と肩が、ひいひい笑うたびに大きく揺れ動く。
「おいオッサン笑うなよ」
「ひっひっひ……腹痛いわ――」
「くっそ、むかつく……」
「まずなあ、いかすって言葉が古くせえんだよ! お前幾つだよ。まだ二十代だろうが」
どこで覚えてきたんだそんな死語。
腹を抱えてバカ笑いしながら、最初に突っ込まれた内容が思いもよらないところだったので、健人は目をぱちくりさせた。
「へ?」
「いかすなんて言葉、もうとっくの昔に死語だぜ。どこで覚えたんだそんな言葉」
「い、いわねえの?」
「まあまずそんな言葉使う男は、イケてねえな」
「マジ……か、イカとイケの何が違うってんだよ。その違いわかんねえ」
「お前、本気で言ってんの」
「――う、うっせえな! たしかネットでみたんだよ! 『イカす漢のなんとか』って情報サイトをよ! 久我さんみてえな、渋くてこう、刑事ドラマの悪役っぽいオトコのインスタ写真がいっぱいまとめられててさあ!」
あれがクッソカッコよかったんだ。
ぶつくさと不貞腐れた声で呟く健人を見ながら、まだ笑い続ける中年男性――久我は、短く切り揃えられた彼の髪をガシガシと撫でまわした。そのごつい指が頭皮を刺激するたびに、健人の頬が少し赤く染まった。
――リスペクトするほどに大好きなその指が、自分の肌に触れている。
それだけで、下半身に走るはしたない衝撃が、健人の瞳にうっすらと映る。
「んで? 健人はその悪役みてえな男になりたいって? ま、俺みたいな嫁さんに簡単に逃げられるダメ男とは違って、本物のダンディなイケ親父はわんさかいるだろうし、わかるけどよ」
「ちっがーう! わかってねえ!」
思わず叫びながら健人は氷だらけのグラスをだんっと叩きつけた。久我を真似して頼んだ、全く同じ銘柄のハイボールがカウンターで波打つ。
「だからあ、他のじゃなくて! 久我さんみたいなイケてるオトコを演じれるクッソ格好いい俳優になりてえって言ってんだよ、俺は!」
「ご執心だねえ。俺はヘタレなただのバツイチ親父だぜ?」
「でも、仕事してる時のあんたの顔は、悪だくみしてそうな凄みがあって、ヤクザの幹部とか、サイコパス殺人犯みたいな、なんかこう……兎に角、俺の理想なんだ、めっちゃ好きなんだ。特に、その手の仕草とかが」
褒めているのか貶しているのかわからない健人の饒舌な語りに、久我は再び笑い転げた。恥を忍んでこんなに真剣に告ってんのに、何笑ってんのこのオッサン、と健人はブチ切れそうになる。
「あんた仕事モードだったら、格好いいのに……」
「プライベートは?」
「だたの笑い上戸の安い酒好き親父、アラフォー」
「合ってるじゃねえか」
「あと変態」
「バツイチで?」
「ゲイのくせに、偽装結婚なんかして誤魔化そうとすっからだよばーか」
「はっは、かっこ悪いだろ? 指輪の日焼け跡とか」
「今はな!」
この売れない二十代新人俳優が、一回り年上の男に意味のわからない告白と熱弁を語るのは今日に始まったことではない。このショットバーでの名物やりとりでもある。カウンター越しに会話を聴いているバーテンダーもすっかり慣れていて、二人の世界を邪魔したりしなかった。
初見での久我はスポンサー。健人はモブ役でCM出演した新人俳優。
その仕事現場で顔を合わせて意気投合し、飲みに誘われた時から、うっとりとその口元や手つきばかり見つめては「久我さんかっこいい」を連呼する健人に、久我は苦笑まじりに驚いていた。なんで俺かね、と吐息をつきつつ安いハイボールを煽る。
「健人には健人らしい魅力があって、いいと思うよ、おれは」
「俺らしい、魅力?」
「――ああ」
ぽつりとバリトンボイスを落として、久我は意味深に笑う。
ハイボールの氷が、からりとグラスの中で転がる音がした。
(うわ……)
そこには、健人が一目惚れした久我の笑顔があった。悪だくみでもしていそうな、腹黒い微笑み。グラスを置いた指が、惚ける健人の顎をするりと撫でた。
「知りたい? ――お前の、魅力」
瞳の奥から見える猛獣のような眼光に、健人の理性は今にも抹殺されそうだ。
触れた指の先からビリ、と走る電気のような刺激の続きが欲しくて、健人は思わず喉を鳴らした。
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