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ずっと嫌いだったのに
物心ついたときから、私の隣にはずっとあいつがいる。同い年で家が隣で家族同士の付き合いも良好で、だけど私は幼馴染で腐れ縁の淳也のことが嫌いだった。
ある日、学校に行く道すがら、淳也に声を掛けられた。
「よう、宮子。おはよー」
同じ学校に通うので使う道も必然的に同じになり家を出る時間も似通ってくるので、こうして出くわすことはいつものことだ。ああ、忌々しい。
「おはよう。淳也」
「なんだよ、宮子。機嫌悪いのか?」
そう言いながら自然に隣に並び、歩く速度を合わしてくる。
「そうね。朝からあんたの顔を見たからかもね」
「ひっでーな」
そう言いながらも淳也は笑っている。私の悪態も挨拶の一つのように捉えられているのか、飄々としている。空気を読んで先に行くなりすればいいのに、わざわざ行きも帰りもほぼ毎日一緒なのだ。私が家を先に出た日には早足に追いかけてくるし、逆の場合は家の前や中で待っている。ストーカーかと罵りたくもなるが、今のところは実害はないので目を合わせない程度で我慢している。
そのまま無言で並んで歩き続ける。学校でもそうでもないときもほぼすべての時間を一緒にいるので会話がない時間の方が多い。それは話すのも嫌なほど嫌っているというわけでなく、同じ学校で過ごし、家に帰っても何かしらでお互いの家を行き来するので基本的な情報は話すまでもなく共有できているし、同じことを見たり聞いたりするのでかしこまって話すネタのようなものもあまりないというわけだ。
学校まであと少しというところまで来たとき、淳也が何気ない雑談のように尋ねてきた。
「そういや、宮子。聞きたいことあるんだけど?」
「なによ?」
「好きな人っている?」
「はあ? 頭どっかに打った?」
今まで話したこともなかった話題が来て驚き以上に、不気味という感覚から頬が引きつり、怪訝な視線を淳也に送る。
「いやいやいや。そこまで嫌な顔することないだろう?」
「そりゃあ、そういうのに全く興味ないと思ってた相手がそういうこと聞いてくるんだもの」
「お前、マジでひどいな。で、話し戻すけど好きなやついんの?」
「いないわよ。嫌いなやつなら目の前にいるけど」
「それ、言われ慣れてるけど、何気に傷つくからな」
「はいはい。で、なんでそんなこと突然聞いてきたわけ?」
「ああ、そうそう。俺さ――」
少し溜めるように淳也は息を一つ吐く。何を言い出すのかと思わず身構える。
「昨日、初めて告白されたんだよ」
「えっ?」
「だから、告白されたんだって。で、どうしようか?」
その答えを私に聞いてくること自体おかしいだろうと思った。淳也が何を考えているかは分からないが、今の淳也の発言は告白してきた相手にも私に対しても失礼じゃないかと思ってしまう。仮に私が付き合ったらいいじゃんと適当に言えば、こいつは付き合うのか? 逆の場合は? そう考えるとなんかどうでもよくなってきた。第一そんな選択の責任は負いきれないし、負いたくない。
「勝手にすれば」
そう突き放すように答える。淳也は「わかった。そうする」と私の返答に頷く。そうするなら聞いてくるなよと思った。それにしても、もう学校が目と鼻の先というような場所でよかった。これ以上こいつと話していたらイライラが限界突破していたかもしれない。
校門をくぐると、淳也は友達の姿を見つけたらしく、小走りに駆け寄って楽しそうに談笑を始める。それを遠目に見るだけでなんだかもやっとしたものを感じた。きっとまだ負の感情が抜けきっていないのだろうと自分自身に納得させる。
「それで宮子。なんで今日はそんなに機嫌が悪いの?」
昼休みに机を合わせ向かいに座る昔からの親友の文乃に声を掛けられる。弁当の包みを広げながら、
「何って、淳也がむかつく」
と、素直に心境を吐露する。すると、文乃は小さく肩を揺らす。
「それっていつものことじゃん。毎日、淳也がーって言ってるよ」
「そうだけど、そうかもだけど……今日は特にむかつくのよ」
「淳也君と何かあった?」
「何かってほどでも……」
そう言い、淳也の方をちらりと見るといつものようにクラスの友達とアホ面で話しながら、弁当を広げて食べ始めていた。そんな奴が告白されたとかはなんか言い出しにくい。
「いや、ほらあいつ。昔から自分勝手なとこあるじゃん? 自分が好きなものから食べるからって人もそうだと思って、私が好きなものを最後にとって置いたら横から盗み食いとかしてくるしさ」
そう愚痴をこぼす。それを文乃は「知ってる」と相槌を打つ。きっと文乃には耳にタコができるほど私は同じ文句を言っているのだろう。
「それだけじゃないのよ? あいつガサツじゃない? この前も読みたいからって漫画貸したら、スナック菓子片手に読みやがったみたいで、食べかすが隙間にあったり表紙がベタベタになったりとか最悪」
「それで?」
「いや、それだけ。ただ嫌いってだけ」
「分かったから、今はお昼食べようよ。次の授業の課題終わってないって言ってたよね?」
「うっ……そうだった」
急いで弁当を食べ、そのまま机の上にプリントを取り出す。それと一緒に教科書なんかも取り出し、それを参考にしながら残っていた課題を一気に進めていく。幸いそこまで難しいものではなかったし、昨日の夜にやってないことに気が付いて、手を付けていたのでそこまで時間が掛かることもなかった。
課題を終え、ふうと一息つくと、隣にすっと人の気配を感じた。座ったまま見上げるとそこには淳也がいた。
「なによ?」
「いや、なにやってるのかなって?」
「次の授業の課題よ。昨日ホームルームで授業始めに集めるって言ってたでしょ?」
「まじ? そんなんあった? 知らなかった」
「あんたねえ」
「頼む。写させて。今度好きなものなんでも奢るから。高いものは無理だけど」
そう言い顔の前で手を合わせ必死にお願いしてくる。こいつはいつもそうだ。時々、今のように課題を忘れてギリギリで頼ってきたりする。それだけじゃなく、夏休みの宿題も毎日のように遊んで後半で焦った淳也を毎年のように私が手伝ってやっている。
「はいはい、分かってるわよ。丸写しはするんじゃないわよ」
「まじで助かる」
「じゃあ、あとでジュースでも奢りなさいよ」
「それくらいなら任せとけ」
プリントを渡すと自分の席に着き、必死に写し始める。それを見て、毎度のことながら真面目にやればいいのにとため息をつく。
「なんだかんだ言って、宮子は淳也君に優しいよね」
「はあ? ただの腐れ縁だし、奢るって言うから」
「そうね、分かったわ。ごめんごめん」
文乃は何か勘違いしている。淳也に見せなかったら、あとが面倒なのだ。もしそれで課題をやらなかったことへのペナルティで課題追加とかになったら、手伝ってくれと言われるのが目に見えているので手間が増える。さらには写させてくれていたらこんなことにはと文句を言われる可能性だってあるわけだ。
それに淳也は今でこそ落ち着いているが昔は上級生に食って掛かって喧嘩をしたことがあるほど気性の荒いやつでもあるのだから。
触らぬ神に祟りなし。面倒ごとにさらされるリスクを減らすことがあいつとの上手い付き合い方なのだ。
一日の授業が終わり、放課後になる頃には淳也に対するイライラは鳴りを潜め、代わりにどこかモヤモヤとしたものになっていた。
日直の仕事である黒板の清掃や日誌の記入などを終え、一息つくと教室はがらんとしていた。いつもなら文乃と、たまに帰る方向が一緒だから仕方なく淳也と一緒に帰るのだが、今日は二人とも予定があるのだと言い、すぐに帰ってしまった。
久しぶりに一人きりで帰ることになり、誰とも話さずに帰る道のりはとても長いように思えた。そのことを考えると嫌っているとはいえ淳也がいるだけでも気が紛れるというものだ。
翌日の放課後。私は委員会の会議があり、そのことを文乃に伝えると、
「うん、分かった。今日は予定あるからいつもみたいに待ってあげられなくてごめんね」
と、申し訳なさそうに返される。予定があるなら仕方ないと文乃を見送り、委員会の会議の行われる教室に移動する。窓際の席に座り、下校する生徒を何となく眺めていると、文乃の姿があった。隣には男子――というか、淳也がいて何やら楽しそうに話しながら帰っている。もしかして、予定というのは淳也と帰ることなのだろうかと考える。二人は比較的仲が良く、話こそすれ、そういう関係でないのは二人の一番近くにいる私がよく知っている。
「まさかね――」
きっと途中まで一緒に帰るのだろうと深く考えず、委員会の会議が始まり、終わるころにはすっかり何事もないこととして頭の中で整理されていた。
二日連続で一人で帰ることになり、なんだか足取りが重たい気がした。いつもよりため息が出る帰り道、なんとなく目に入った道路を挟んだ向かい側にあるファミレスに目をやる。少し休憩して帰ろうかと思ったのだが、窓の向こう側に見える一組の客を見て。私は逃げるように走り出した。
そこには文乃と淳也がいた。向かい合って何やら話している風だった。
そのことで私の頭の中でパズルのピースがハマる感覚があった。
淳也は告白されたと言い、淳也と文乃は二日連続で何かしらの予定があり、今日に限っては二人は一緒に帰っていたのをはっきりと見かけた。今も二人でいるということは今まで一緒にいたのだろう。
そこから導き出される答えは簡単だ。二人は付き合いだしたのだろう。
「淳也が文乃と? 淳也は文乃みたいなおっとりとした柔らかい雰囲気の子が好きだったんだ」
知らなかった。私は何も知らなかったのだ。淳也の好みも淳也の好きな相手も何もかも。淳也のことなら全部知っていると思っていたのは私の勝手な思い違いだった。
淳也みたいなやつを好きになるような人間が、他に出てくるなんて思ってなかった。
他に――?
ああ、そうだ。私は淳也のことが好きだったんだ。
今さらになって気付いた。手の届かない存在になって気付くなんて思ってもなかった。
そして、今さら淳也がしてきたことの見て見ぬふりをしてきたこと、気付かないふりをしてきたことに、私は果てしない後悔をする。
私はずっと淳也が嫌いだった。
淳也が自分が好きなものを先に食べるからという理由で、私の残していた好きなものを横から食べられて自分勝手なやつだと思っていた。実際にショートケーキのイチゴでやられて泣かされたこともあった。だけど、それはずっと昔からで淳也が隣にいると先に好きなものから食べるようにしていたり、横から手や箸を伸ばして来たら、叩くなどしていたので正直そこまで気にしたことはなかった。
そもそも、横から私の食べ物を取るようになったのは小学校の給食でどうしても食べるのが嫌なものが出てきて食べあぐね、後回しにしていたら、先に食べ終わった淳也が自分もあまり好きでないのに、代わりにこっそり食べてくれたのが始まりだった。他にもいろんな味のキャンディーの入ったお菓子も、私の残していた嫌いな味を何も言わずに取ってくれるような奴だった。だから、たまには淳也の好きなものを食べてほしくて、淳也の好きなものをわざと残したこともあった。
淳也がガサツで貸した漫画を汚されたのは確かだが、貸した漫画が淳也の趣味じゃないことを思い出した。少年漫画しか読まないような奴が私の好きな少女漫画を貸してくれなんて、翌日は雨かなと本気で思ったけど、あれももしかしたら何か理由があったのかもしれない。
それだけじゃない。毎年のように淳也は夏休みを謳歌していたが、私も毎日のように遊びに誘われるので退屈だとか暇だと感じた夏休みは一度もなかった。淳也がいなければ、きっと私は家にいる時間が増え、思い出の少ないものになっていたのだろう。
小学校の時、上級生と喧嘩をしたときも、そもそもは私と友達がグラウンドで遊んでいたら、上級生の男子に理不尽にどけと突き飛ばされたことがきっかけだった。
考えれば考えるほど、淳也が優しい、いいやつだと気付かされる。
そんな相手にどうして素直になれず、疎ましくさえ思い、嫌いだと言っていたのか。
しかしながら、もう何もかもが遅いのだ。
私は私が嫌いだ。大事な時に素直になれなかった私が――。
その次の日から私は理由を付けて帰る時間や登下校の道を変えた。淳也と顔を合わせずらかったし、淳也と文乃が付き合っているのなら二人になれる時間を作ってあげたかったのだ。
陰鬱な気分で日々を過ごし、勉強にも身が入らず、今までの人生で最悪ともいえる時間だなと自分でも思ったが、その原因の一端は自分にあるのでそれを受け入れようとしていた。
それなのにある日の放課後、不必要に図書室で時間を潰して、帰ろうと下駄箱まで来ると、
「ああ、やっと来た。なあ、宮子。一緒に帰らないか?」
と、なぜかそこにいた淳也に誘われた。
「な……なんで?」
「そりゃあ、一緒に帰りたいし、話がしたいからだよ。それ以外に何かあるか?」
「そうじゃなくて、なんで淳也がここにいるのよ?」
「ああ、そっち? 宮子のこと待ってたんだよ。最近なんか避けられてるからさ、こうやって下駄箱でずっと待ってた」
「あんたバカじゃないの?」
「そんなのお前が一番知ってるだろう?」
淳也は笑顔でそう言う。約束はしていないとはいえ長い時間待っていたというのに、何事もなかったかのようにいつものような笑顔を向けてくる。その顔を見ると胸がチクリと痛む。
それから以前のように一緒に歩き出す。そのころと同じように会話が少ないが、今は前とは違う。お互いに話を切り出しづらいといった空気が流れていて、それはきっと私に理由があるんだろうなと勘ぐってしまう。
そのまま歩き続け、家まであと少しというところで淳也が立ち止まる。
「なあ、宮子」
淳也に呼び止められ、私も足を止め、淳也の方に向き直る。しかし、今は顔を見ることも辛いので俯いて淳也の言葉の続きを待った。
「お前は俺のこと嫌いなのかもしれないけど……俺はお前のことが好きなんだ」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。言葉の真意や聞き返したくても唇が震えて、喉の奥からは言葉が出てこなくて固まってしまう。淳也は俯く私のすぐ前にそっと立ち、
「もう一回だけ言うからな。俺はお前が好きだ」
と、そう優しくも真剣な声音で私に告白してくる。
「ま、ちょっと待ってよ。あんた告白されたんでしょう? そっちはどうなったのよ?」
「ああ、断ったよ」
「じゃあ……じゃあ、最近文乃とよく一緒にいた理由は?」
「そういや最近話す機会多いけど」
「文乃と付き合いだしたんじゃないの? この前ファミレスで話してるの見かけたよ。他にも一緒に帰るのも見たよ」
「待て待て待て。お前見てたんならそう言えよ。てか、俺は誰とも付き合ってないよ」
「じゃあ、文乃とは?」
淳也は首の後ろをさすりながら困ったというような表情を浮かべる。そして、ゆっくりと口を開く。
「あれはさ、お前に――宮子に告白したいんだけどどうしたらいいかって相談に乗ってもらってんだよ」
「えっ!?」
「まあ、相談しても、まだ付き合っていなかったのかと驚かれて、そのまま気持ちを伝えればいいってそれだけでさ。で、話を聞いたり聞いてもらったりって感じだよ」
「そう……だったんだ」
心底よかったと安心して、ほっと胸を撫でおろすと同時に今の状況を思い出して、胸が熱く苦しく、鼓動が早くなるのを感じる。どうしようもなく淳也のことを意識してしまう。今度こそ素直に自分の気持ちを伝えよう。もう後悔に身を裂かれるような思いはしたくない。
「それで、宮子――」
「私は……私はあんたのことずっとずっと嫌いだったんだからね」
「うん、知ってる」
「淳也のことなんか嫌いだ。好きなら好きだってもっと早く告白してよ。告白するの遅いよ」
「うん、ごめん」
「本当に嫌い……嫌いなんだから」
「うん」
淳也は私の言葉に優しく相槌を打ち続ける。その頷く声が、ずっと優しかった、そんな淳也のことが――、
「ずっと好きだったんだからね」
力なく淳也の顔を見上げながら今にも泣きそうな声で私は気持ちをぶつける。淳也は優しく微笑んでいて、思わず涙がすっと頬を伝う。泣き顔を見られたくなくて、淳也にそっと抱きつく。淳也も抱きしめ返してくれる。淳也の鼓動も早くなっているのが分かる。そして、思っていたよりも大きい身体だなと感じ、抱きしめられる力も優しく力強くて、とてもあたたかい。そのことにどうしようもなく安心感を感じてしまう。私はきっとこいつのことを心底好きなのだ。
淳也の腕の中で落ち着き、急に湧き上がる恥ずかしさから体を離す。
「もういいのか?」
「え、あ、うん」
「普段からそうやって素直だとかわいいのに」
淳也は悪戯っぽい顔をしながらからかってくる。
「ほんと嫌い」
全く棘のないその言葉を淳也に投げつけ、抗議の意を込めて頬を膨らませて見せる。そして、顔を見合わせて笑う。きっとこんな風に何でも言い合いながら笑っているのが私たちにはちょうどいい距離感なんだと実感する。
そして、「好きだよ」とわざと聞こえないくらいの音量で心から呟く。
「なあ、宮子。なんて言ったんだよ?」
「嫌いって言ったんだよ。さあ、帰ろうよ」
そう言って私は淳也の手を取り、繋ぎ、一緒に歩き始める――――。
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