ある夏の日(1)

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 昼下がりの図書館には、ぽかぽかしたまどろみのような、独特の空気が満ちている。菱田はカウンターの内側に入り、L字の長い辺の部分に向かって座ると、改めて正面に広がる館内を見渡してみた。読み聞かせ広場の窓から差し込む夏の日差しが、暑さだけを和らげて、館内に整然と並ぶ書架を柔らかく照らしている。  そういえば、陸斗くんは私のことを「司書さん」と呼んでくれていたな、と菱田は思う。あの歳で司書という職業を知っているなんて、なかなか物知りな男の子だ。ご両親か学校の先生から教わったのだろうか。  そのまま菱田はぼんやりと記憶を手繰(たぐ)る。菱田が司書になることが出来てから、今年でもう十二年目になる。なりたての頃を思い出すと同時に、あの夏の記憶もゆっくりと蘇ってきた。  世界にひとつしかない本に出会った夏。  そして、あの青年との一度きりの出会い。  随分前にも感じられるが、あれからもう十二年も経ってしまっていることに、菱田は内心で驚いた。それは、私も中堅の司書にまでなるわけだ。  不意に吹いてきたエアコンの風が、当時のそれよりずっと涼しく、菱田の頬を撫でた。
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