プロローグ

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プロローグ

 黄昏の眩しい光が街を包む。  ジャール皇国が誇る帝都スキルニーアの住宅地にある、ありふれた二階建てアパルトマン。俺が三年間暮らした俺だけの城だった場所だ。  部屋に備え付けの家具以外は全て整理をして、必要最低限の物を鞄に詰めている。  凡その荷物はとうに向こうに送ってしまった。今必要なのは、新天地までの数日間を過ごす為に必要な衣類や生活用品の類だけだ。  俺は旅立ちの為に新調したシャツの胸ポケットから草臥れた金の懐中時計を取り出す。親にプレゼントされたアンティークゴールドの懐中時計は正確に時を刻んでいる。時刻は夕刻。夜の最終寝台列車に乗る予定の俺にとっては、まだいくらかの猶予が残されていた。  ベッドの上の旅行鞄のファスナーを閉じると側に立てかけた剣を鞘から僅かに抜く。黄昏の赤い光を反射する刀身は両刃で、俺の顔が映る程に研がれている。柄はシンプルで飾り気がない。三年間の騎士学校での剣術の訓練を共にくぐり抜けてきた相棒だ。鞘に刃を戻して腰のベルトに剣を固定する。  それからもう一つ。  旅行鞄の横に置かれたまだ真新しいホルスターを手に取った。そこに収まっているのは小振りな拳銃。動力である雷晶石が紫の硝子質の光を放っている。  この世界は雷晶石に含まれる雷力(エッダ)をエネルギー源とした雷晶技術の発展によって豊かになった。  雷晶石は紫の硝子質の鉱物で、この星、ソア・トゥルドのあちらこちらで採取される石だ。とても硬い鉱物であるが、その採掘量の多さからかつてより宝飾品として重宝されてきた。そんなどこにでも転がっている石に無限にも近いエネルギーが含まれていると発見されてから、この星の雷晶技術は留まる事無く発展していった。  それと同時に雷晶石の鉱脈と技術を奪い合っての小国同士の紛争も各地で起こった。  今から二百年ほど前までこの星は群雄割拠の戦乱の世であった。それを統一させ、戦乱を終焉に導いたのがジャール皇国の神祖、アドジャール一世だった。それからというもの、ソア・トゥルドは統一国家ジャール皇国によって統治されている。  戦争の記憶など勿論俺にはない。何しろ俺はまだ十九歳になったばかりの若輩者だからだ。  帝都スキルニーアの衛星都市の一つヴェルクリマで生まれ育った俺は十六歳の年にここ、帝都スキルニーアにやって来て騎士学校に入学した。ジャール皇国の司法組織である司法騎士団の騎士を育成する為の訓練校である騎士学校で三年間学び、そして無事に司法騎士試験に合格したのが一月前の事だ。そして今日、ここを去り司法騎士として地方に赴任する。  雷晶石の雷力を使用した銃火器の所持には資格がいる。司法騎士は銃火器の所持を認められている数少ない職業の一つだ。  この銃の重さが力を持つ責任の重さなのかと思うと、それはずっしりと重い様に感じてしまう。  その重さを噛み締めていると、コンコンと戸を叩く音がした。ドアチャイムがあるにも関わらずわざわざドアを叩いて俺を呼びつける物好きは、俺の友人関係の中でも一人しかいない。  俺はホルスターを腰に巻きながら、玄関へと向かった。革のブーツがフローリングを踏みしめる音がする。  鍵を開けてノブを回して玄関を開けると、夕景の中に不釣り合いな蒼い髪を揺らした男が立っていた。 「よぉ、親友。帝都での最後の夕焼けは目に染みるだろ」 「どちら様?」 「つれないなぁ」  男はしたり顔で俺に紙袋を押し付けるとカツカツとブーツの踵を鳴らして部屋に入るともう俺は寝る事が無いベッドに乱暴に腰を下ろして足を組んだ。 「なんだこれ」  男に問いかけつつ俺も部屋へと戻る。ワンルームの小さな俺の城は、あと一時間程度で大家に鍵を返されて、次の騎士候補生、未来の俺の後輩に引き継がれるのだ。 「夜行列車の中で食えるように。アップルパイ、全粒粉とりんごのパン、アップルシナモンデニッシュ。それからリンゴジュース」 「あのな、俺は別にりんご好きな訳じゃないからな」 「何言ってるんだよ、そんなりんごみたいな赤い頭してさ、シミオン・アップルヤードくん」  嫌味ったらしく言った男の赤い目が細められる。  シミオン・アップルヤード。それが俺の名前だ。赤い髪とアップルヤードという名前のせいで昔から何かにつけてりんごをネタに揶揄われるのが悩みの種だ。 「それ、向こうの辻のベーカリーで買ったんだぜ?皇帝陛下お墨付きのベーカリーだからな。味は保証する」 「さすがは皇帝陛下付きの近衛騎士団は違うな。パン屋に行かされるのがお仕事とは」 「それだけ俺は信用されてるんだよ、陛下に。大変なんだぜ?目を三角にしてる使用人の隙をついておやつを献上するのは」  軽口を叩いているベッドの上の男はレスター・ユニアックという名前の俺の幼馴染だ。ヴェルクリマ生まれのこの男と俺は共に少年時代を過ごした仲だ。恐らく親友と言って差支えが無い。  立憲君主制を採用している皇国にあって、皇族は直接治世を行う事はまずない。民主主義の元、選挙で選出された評議会と、決められた貴族から選出される貴族院の二院制の国民議会が立法権を持つ。しかし貴族院が力を持っている事からも分かる様に、皇国はまだ古い封建主義の匂いを色濃く残していた。  その最たるものが、レスターの所属する近衛騎士団だ。  皇帝の側仕えのこの騎士団は、代々皇族に使える一族の嫡男がある一定の年齢になると入団させられる。レスターの親父さんも近衛騎士団の一員であり、十六歳になった年にレスターも入団した。  奇しくもレスターの近衛騎士団入団と俺の騎士学校入学が同じ年だった為、俺達は二人して故郷のヴェルクリマを出てここ、帝都スキルニーアにやってきた。 「そんで、シミオンくんは何処の街に赴任するんだっけ?」 「ローダイト」 「悪くないな。元々皇族の避暑地だったところだろ?」 「今は唯の地の果てってとこだけどな」  俺が肩を竦めるとレスターは腹を抱えて笑いながら違いないと言った。それがあんまりにも腹立たしかったので俺はレスターの腹に一発蹴りをぶちかました。 「ひでぇ」  ベッドの上で転がるレスターに目もくれず、俺は備え付けの椅子―――随分と座り心地が悪い。買い換えた方が良いだろう―――に座って窓の外を見た。ベランダ越しに夕闇に包まれていく帝都を見た。  街灯にもちらほらと燈が灯り始めている。帝都の郊外にある大規模な雷力変換所から電線を通じて街中に雷力が届けられる。その雷力で照明には燈が灯るし雷力のネットワークを使用してのデータ通信も当たり前になった。 「本当に司法騎士になったんだな、お前」  ベッドに蹲ったままの姿でレスターが呟く。 「なるって言っただろ」 「お前はいつだってそうだったな。有言実行で本当に偉いよ」  ごろりとレスターが寝返りを打つ。仰向けになったレスターが真面目な顔をしていた。暫くぶりに見た親友の真面目な顔に俺はもう遠い過去になってしまった様に感じられる少年時代を思い出していた。  貴族であるレスターと中産階級の家に生まれた俺は、本当は接点など無いに等しかった。それでもレスターと俺の間に幼馴染の縁が結ばれたのは、ひとえにレスターの並々ならぬ悪戯心に依る所が大きい。その話を詳しく話せばそれこそそれだけで一冊の本が出来上がる程度の悪戯の限りを尽くしたこの悪童との少年期の話は置いておくとして、重要なのはその頃に交わした約束だ。  その頃にはもうレスターは将来を決められてしまっていたのだから、職業選択の自由も何もあった物では無い。悪童は悪童なりになりたい物もあったらしく、その為の勉強を陰ながらしていたのを俺は知っている。  けれども結局の所、レスターは近衛騎士になるしかなかった。自ずと俺のぼんやりとしていた将来も決まった。  司法騎士も出世をすればここ、帝都の配属になる。  近衛騎士と司法騎士。それぞれの道でのし上がろう。そうして今自分達の将来を決めてしまうようなそんな大人たちをあっと言わせてやろう。そう誓い合ったのはいつの事だったか。けれども俺は確かに覚えていた。 「あっと言わせてやろうぜ」 「あぁ、きっとな」  寝転がったままのレスターに握り拳を差し出せば、親友はそれに答えて同じ様に握り拳を差し出した。  夕暮れの安アパルトマンでいつかした誓いの続きをしながら、俺の帝都最後の日は落ちていくのだった。
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