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「リクエストがあれば、他の本を紹介するだけ」
「え?」
おずおずと尋ねた私に、司書の先生は至って冷静に、表情を変えずに答えを補足する。
「私はあなたじゃないし、あなたは私じゃない。細かい好みとか教えてくれたら、まあ頑張って考えてみるけどさ。他人にピッタリ合うような本を薦めるなんて、どだい無理に決まってるでしょ」
そう言って、五十鈴先生は壁際に設置された背の低い棚に腰を下ろした。
「だから司書の端くれとして私に出来ることは、君が求めるネタを提供すること。これだと思った本を薦めること。心を育てるこの時期に、ひとつでも多くの哲学に触れてもらうこと」
「哲学?」
「そう、哲学。この国は苦手な人が多いし、教育も追いついていないから」
哲学。そう言われても、やはりピンと来ない言葉だった。
正直、何を指しているのかもよく分からない。
「……哲学って、なんですか?」
「自分がどう生きるかを、考えること。自身の心を育むこと。社会でも学校でも、自分がどうしたいかを考えるより、場の空気を読むことを求められがちだから、ピンと来ないかもしれないけれど。司書として、教育に携わる者の一員として、君たちには様々な哲学に触れて、人生には様々な選択肢があることを知ってほしいんだよねえ」
声に熱を込めるわけでも、誇らし気な表情を浮かべるわけでもなく、五十鈴先生はいつもと変わらない声で淡々とそう言った。
「……だってここは、そのためにある場所なんだから」
予鈴が鳴る十分前に図書棟を出た。
教室に戻る道すがら、先ほど聞いたばかりの言葉を口に出してみる。
「私はあなたじゃないし、あなたは私じゃない、か……」
ほうっと白く息が曇っては、固く透き通った空気にふっと消えて見えなくなる。
冬晴れの空はからりと乾き、どこまでも青く澄み切っていた。
名前を知らない小さな灰色の鳥たちが、連れたって校庭へと飛んでゆく。
(……まあ、身も蓋もないけどそうだよね)
転校してからずっと、考えないように考えないようにしていた。
どうしてあの子は、私を陥れたのだろうかと。
知らないうちに、自分は彼女を傷つけていたのかもしれない。何か気に障るようなことを言っていたのかもしれない。
そう思うたび、わずかばかりの申し訳なさと、それでも彼女にされたことが許せないという怒りと、今さらそれを考えてもどうしようもないというやるせなさが、何度も何度も内側から胸を抉った。
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