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「まさか遠山先生、クビになっちゃうのかな」
「やだ、うそでしょ?」
朝の書架整理の最中、中等部の子たちがヒソヒソと囁き合う。
職員室の黒板をさり気なくチェックすると、欠席者の記入欄に遠山先生の名前があった。
図書委員だけでなく、図書棟の常連たちの一部も、心なしか心配そうな表情をしているように見えた。
「どうしよう。遠山先生、まさか謹慎とか……」
昼休み、不安のあまり作業室で呟いた私を、森ちゃんが「まあまあ」となだめた。
「クビって決まったわけでもないし。三日くらい休んだら、ケロッとして戻ってくるかもしれないじゃん。でもまあ、声がデカい人が得する時代になったよねえ」
悟ったようなことを言う友人をじれったく思うと同時に、転入前の学校で起きたカンニングの一件を思い出し、どうしようもない苛立ちと無力感が首をもたげる。
森ちゃんが言った通り、正しい者が常に信じてもらえるわけじゃない。
そして教師の不祥事や処分を、学校側はあまり表に出さない。
現にひと月前、教育実習生の先生が辞めた時も、保護者とのトラブルがあったなどと決して生徒には言わなかったのだから。
「そんなの間違ってるよ。遠山先生は何も悪くないのに、どうして処分を受けるわけ?」
無意識のうちに、語気が荒くなってしまう。
もしかすると私は、一年前の自分と遠山先生を重ねているのかもしれない。
「こうなったら理事長か校長に直談判行くか、署名活動を……」
「待って、はやまらないで山ぐっちゃん」
半ば本気で呟いた私を、森ちゃんは焦ったよう遮った。
「へえ、モンペってモンスターペアレントの略なの。最近よく聞く言葉だと思ったけど、作業用のズボンのことじゃなかったんだ」
三階の書庫の奥、非常階段で幽霊司書に愚痴をこぼすと、思いのほか頓珍漢な答えが返ってきて脱力しそうになる。
確かに五十年前の人の感覚だと、モンペは片仮名の略語ではなく平仮名の作業着を指す言葉なのかもしれない。
「そうじゃなくて。どう思います、こういうの」
「心配しなくても、子供が思ってるほど社会人は簡単にクビになったりしないよ。多分」
「多分ってなんですか!」
「まあまあ。あまりイライラすると眉間の皺、取れなくなるよ」
少し声を荒げた私を軽くなだめ、五十鈴先生は階段の手摺りにもたれるようにして伸びをする。
その仕草とぱっちりとした釣り目が相まって、相変わらず猫みたいだと一瞬怒りを忘れて思ってしまった。
「単なる風邪なんじゃないの? 心配しなくても、そのうち戻ってくるって」
「……五十鈴先生は昔の人だから、分からないかもしれないけど。今は正しいかどうかより、声が大きい方の言い分が通る時代なんです。」
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