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「クビになったわけじゃないんでしょ? だったら大丈夫だよ、きっと」
彼女も彼女なりに、今回の顛末を気にしているようだった。
新島さんの家庭事情は、私には分からない。
けれど自分の母親を「クレーマー」と呼んで、陰でこっそりと泣くことしか出来ない程度には、深刻なものを抱えているようだ。
「元気だしなって。そうだ、明後日『きみ恋』観に行こうよ。亜依、観たいって言ってたじゃん」
「ありがとう……あれ、いいよね。 私もう二回も観に行ったけど、三回目いっちゃおうかな」
「三回って地味にすごくない?」
「だって面白いんだもん」
しかしそれきり話題は今話題の『きみ恋』という映画を見に行く計画に移り、彼女たちの声も遠ざかっていってしまう。
声が聞きとれなくなると、五十鈴先生はなんとも言えない顔でボソッと呟いた。
「……立ち直り早いな。まあ箸が転んでもおかしい年頃とは言うけどさ」
彼女たちと同い年の私はなんとも言えない。
「それはそうと、もしかすると遠山先生へこんでるかもね。元気なかったら、それとなく励ましてあげなよ」
「へこんでるって……あんな苦情、遠山先生が気にする必要なんか」
「違う違う。あの先生、意外とはっきりモノを言うでしょ。だから時々、注意された子が怖がって図書棟に寄り付かなくなっちゃうんだよ。それを気にしてるの」
それからも遠山先生は図書棟に姿を現さないまま、朝読書週間は五日が過ぎようとしていた。
二週目からは朝にカウンターが混み合うこともなく、図書棟はいつもの静けさを取り戻しつつあった。返却された本を棚に戻していたその時、ふと背後を風が通り過ぎていったような気がして、とっさに振り返る。
すると本棚の前には、珍しい人の姿があった。
「よっ、文学少女」
「五十鈴先生……?」
いつもは三階から滅多に下りてこないのに、珍しい。
するとカウンターにいた河野くんが、不思議そうに顔を上げた。
「山口、今なんか言った?」
「え? ううん、独り言」
あわてて首を振り、手に持っていた最後の一冊を棚に戻す。
河野くんだけでなく、周囲にいる生徒や副顧問の先生も、誰一人として五十鈴先生の方を見ていなかった。
前々から薄々気付いてはいたが、やはり彼女の姿は私以外の人には見えないらしい。
周囲の目を気にしつつも、他の人に聞こえないよう「どうしたんですか」と尋ねる。
すると先生は私に手招きし、出入り口の扉を指差した。
「ねえ、ちょっと出入り口の外を見てきて」
「え?」
「いいから、いいから。お客さんだよ」
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