プロローグ 転校生と幽霊

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プロローグ 転校生と幽霊

 それは夏休みが開けた最初の月曜日。  私立時邱(ときおか)学園で転入の手続きを終え、両親が迎えに来てくれるのを待つ間に一人で図書館を見学していた時のことだった。 (うそ、鍵が……)  窓の外から蝉の大合唱が響き渡る中、私は机の上に鞄をひっくり返し、荷物をひとつひとつ改めていた。  しかし筆箱の中までくまなく探しても、自宅の鍵がどこにも見当たらない。 朝、家を出た時は確かに鞄の内ポケットに入れたはずだった。 「……どうしよう」  知らないうちに心の声が漏れていたらしい。斜め前の席で本を読んでいた見知らぬ女子生徒が、ちらりと顔を上げる。  目が合った瞬間、自分の顔がひゅっと引き攣るのが分かった。  しかしその子は荷物をまとめて席を立ち、逃げるように図書館を出ていってしまった。私はよほどひどい顔をしていたらしい。  館内は冷房が効いているはずなのに、いやな汗が身体中にじわじわと(にじ)んでくる。  最近、物を失くすことが増えた気がする。  ここのところずっと、注意力がひどく散漫だ。  以前は自分が使ったものをどこに置いたか覚えていたのに、近頃はすぐ忘れ、失くしたと思い込んでパニックを起こすことが多くなった。  こういう時は決まって目の前が(かす)んでぐにゃりと歪み、にわかに息が苦しくなる。  なんというか――――全てのことに対して、余裕がない。  落ち着け、とまるで自分に暗示をかけるように胸の中で何度も呟く。  職員室に聞きに行ってみたが、鍵の落とし物は届いていないと言われた。鞄の中にないということは、おそらく校舎内のどこかに落としてしまったのだろう。  だったら今までの自分の足取りを逆にたどってゆけば、きっと鍵は見つかるはず。  そう思い立ち、階段をのぼって三階の閉架書庫へと向かう。  しかし書庫で私を待ち構えていたのは、思いもよらないものだった。 「君、鍵落としたでしょ」 「あっ、ありがとうござ……えっ?」  日本の小説が並べられた棚の前で、背後から声をかけられる。  お礼を言おうと振り返り―――――絶句する。  一見、普通の女の人だった。  しかし本棚を背にして立つ彼女の体が、半分に透けている。  錯覚だと思った。しかし目を凝らしてもこすっても、やっぱり目の前の女性はやっぱり透けている。  彼女の背後の棚や、そこに整然と並ぶ本の背表紙が透けて見えるのだ。  猫のようにぱっちりと吊り上がった目が、彼女より拳ひとつぶん高いところにある私の顔をまじまじと見上げる。 「お、私が見えるんだ。いいね、久しぶりの霊感少女じゃん。ここの制服じゃないけど、もしかして転校生?」  高くも低くもない澄んだ声で、矢継ぎ早に話しかけてくる。  おそるおそる相手を見返すが、やはり普通の女性だった。  小柄ですらりとした体に、ぱりっとした白いブラウスと辛子色のスカートを着ている。年齢は二十代後半といったところだろうか。  しかし普通の女性の体が半透明に透けているわけがない。  二の句を告げず口をパクパクさせる私に、彼女はにこりと微笑む。 「そうそう君の鍵だけど、一番奥の棚の哲学の本が入ってるあたりに落ちてたよ。拾っておいで」  そしてまるで子供のように上機嫌な顔で、奥の本棚を指差した。
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