化ケ猫化ケ

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 大粒の雨が、二人の体に打ちつけていた。風呂敷包みを背負い、黒いレインコートを着た男が、粗末な着物をきた十六ほどの娘の手をつかみ、ひっぱるようにして歩いていた。。 「ほら、とっとと来い!」  雨と涙でぬれそぼった小春を男はどなりつけた。 「まだ自分の立場が分かってねえようだな。手前はおばさんに売っぱらわれたんだよ!」  いちいち教えてくれなくても、小春にもそんな事は分かっていた。  小春の父親が亡くなったのはほんの一か月前だった。母親は小春が物心つく前に他界していて、小春は伯母(おば)にあずけられた。  だが、叔母はひと月経つとこうして小春を女衒(せげん:親族から娼館に女性を仲介する者)に売り払った。どうせその一か月も、「試しに一緒に暮らしてみたがどうしても反りがあわない」というよりは、最初からできるだけ小春を高く買ってくれる所を探す、準備期間だったのだろう。 (どうしてこんなことになったんだろう。私は、何も悪いことをいていないのに……)  父と暮らしていた時は、お手伝いを雇うほどではないものの、ずっとよい生活をしていた。電話だって、本だってあったのだ。  父はシロウトの趣味で動物の勉強をしていた。そして、いつもおもしろい話をしてくれた。 『知ってるかい、小春。コウモリは目が見えないんだ。超音波を使って辺りの様子を知るんだ』 『本当?』 『そうだよ。動物は人間と同じようにモノを見るわけじゃない。猫の目はね……』  もげるかと思うほど強く右手を引っ張られ、小春の思い出は引きちぎられて消えていった。 「来るんだ!」  小春は、別に足をふんばって抵抗したりはしなかった。  どうせ、そんなことをしても意味はない。 (父様だって、あれだけ死なないで、と願ったのに亡くなってしまった。叔母さんの所にだって、行きたくなかった。でも、そうしないと生きていけない……) きっと、これからも行きたくもない場所にむりやりつれて行かれるだけの人生なのだろうそしてどんどん不幸になっていくのだ。  諦めてはいたが、それでもこれから連れていかれる場所を思うと歩みは鈍くなる。  ズルズルとひきずられていくうちに、小春は自分達が山道に入りかけているのに気がついた。 「ち、ますます振ってきやがった」  男が毒づいたとおり、雨は肌に痛いほどになってきた。 「しかたねえ、あそこでしばらく雨宿りといくか。人もいねえみたいだし」 道の入口に大きな木があり、下にあばら家が建っていた。 (あそこは……)  小春がここに来るのは初めてだが、あのあばら家の噂は聞いていた。  あの家には、化け猫が住んでいる。そして中に入ってうるさくする人間を食い殺してしまう。そう、同じ年頃の女の子たちが噂をしていた。 「いや! あそこには化け猫が……」  小春の言葉に、男は笑い声をあげた。 「そんなモンいるか!」  そして小春の首根っこをつかんで小屋の中に放り込んだ。  小春を逃がさないためだろう、男は入口の前に陣取った。  あばら家の中には家具も何もなく、ただ所々床板が破れ、その下の木組みと土が見えている。雨漏りもしているらしく、小さな水たまりがいくつかできていた。  雨に濡れた体が冷たい。床の上で震えながら、小春は自分に言い聞かせていた。 (大丈夫だ。たしか、食べられるのは『うるさくしている人間』だ。静かにしていれば大丈夫。無事にここから出て……)  ここから出てどうなるのだろう。 ふっとそんな疑問が湧いて出た。生きてここから出たとして、きっと死ぬより辛い人生が続くだけだ。 (どうして。どうして私がこんな目に。私はただ、静かに暮らしたいだけなのに。何も悪いことをしていないのに。みんな寄ってたかって私を不幸にする。自分の幸せのために) 「うわああああああ!」  気付いたら、自分の口からそんな叫び声がほとばしり出た。 「おい、うるせえぞ!」  男がどなったが、叫び声は止めることができなかった。  床板の隙間から、黒い煙のようなものが吹きあがった。  叫ぶのも忘れ、小春はその煙を見つめる。 「か、火事か?」  男は言ったが、そんなはずがない。火事なら、冷たい空気がさらに冷たくなるはずはない。  黒い煙は、見えない手でこねられているように、固まり、巨大な猫に姿を変えていった。  針金のように硬く太い毛。夜のランプのように輝く二つの目。そして杭のような白い牙。 「ヒ、ヒイ!」  化け猫は右の前足を振り上げ、男の右肩から左の脇腹までを爪でえぐった。  肩にかけっぱなしだった風呂敷包みが床に落ちた。切られた風呂敷から、着物の端(はし)が見えた。叔母が男に売り渡した、母の赤い着物。 化け猫は男の死を確認しているように、その死骸を見つめている。  ガタガタと小春の体が震える。目から涙が滲んで、目の前がゆがむ。 さっきは娼館に売られるぐらいなら死んだ方がましだと思っていた。けれど、実際化け猫を前にすると、生きたかった。死にたくなかった。 『猫の目はね』  どういうわけか、こんな時に父親の言葉が頭の中に響いた。 『赤い色が見えないんだよ』  小春は風呂敷包みに飛び付いた。赤い着物を頭からかぶり、床にうずくまった。床と、着物の縁から化け猫の様子をうかがう。 化け猫を男の傷の上に身をかがめた。涙でぼやけているのでよく見えないが、舌で、肉をなめとっているようだ。 (あの人を殺したのは私だ……) 小春は、ここで大声を出せば化け猫が出ることを知っていた。自分だけでなく、あの男も化け猫に食われることになるのも分かっていた。それでも、化け猫を呼び出した。無意識に、自分を酷(ひど)い目に遭わせるこの男も死んでしまえばいいと、自分でも気づかず願っていた。 (私は、包丁で人を殺すかわりに、化け猫で人を殺したんだ……)  そのとき、床でキラリと何かが輝いた。  それは、小さな宝石だった。おそらく小箱にいれ、風呂敷包みにいれておいたものが、落ちたときか、小春が着物を取り出したときに床に転がったのだろう。  あたりを見回すと、小春がかぶっている着物の他にも、何枚か床に男の札入れまであった。  床を這う虫のように、すばやく小春は金目の物を集め始めた。頭のどこかで、自分の唇が笑みの形に歪んでいるのを自覚しながら。 (これがあれば、好きな所へ行ける。自分にも、こんな大それたことができたんだ) 罪悪感と、誇らしさで、凍えていた体がさっと熱くなる。 (私も生きられる。あの男の人や、おばさんみたいに。人を騙してでも)  着物を頭にかけたまま、持てる分だけ宝物を持つと、小春は小屋出口にむかった。床の小さな水たまりを踏んだとき、男の血が溶けて赤く染まった水が飛び跳ね、小春の目に飛び込んだ。 血塗られたように、一瞬視界がそまり、慌てて袖で目をふいた。  まだ雨が降り注ぐ外にでて、小春は駆けた。駆けた。  遠くで、化け猫がニャア、と嗤(わら)ったような気がした。  
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