序章

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序章 ――≪私は、とても恵まれた環境に生まれた≫ ――『俺は、クソみたいな世界で、クズ同然に生まれた』 ――≪私は、前の世界が少しだけ恋しくて、戻りたいと思うこともあって≫ ――『俺は、前の世界なんぞ滅べばいいと考えていた。この世界も、俺を苦しめる』 ――≪それでも、誰かの役にたてることは、自分のためでもあって≫ ――『それでも、他者を利用して、罰せられる可能性が低いことは、俺に最適な環境でもあって』 ――≪私は、この世界で生きて行こうと思う≫ ――『俺は、この世界に身を置いてやることにする』  聖フロガン皇国の辺境地ガル。  まゆりは、暖炉がぱちっと音を鳴らすのを聞きながら、手の中の衣類に針を通す。もともと良質からは程遠い生地のチュニックは、あちこちが擦り切れて、当て生地をしても使うには厳しい代物だ。  それでも子どもたちには、これしかない。  まゆり自身が今着ている服も、そう。あちこちがほつれて、こすれて、汚れて、着心地もよくない。歩くたびに肌がこすれて痛くさえある。  冬を越すには、心もとなさすぎる薄手だが、仕方がない。  王都や貴族らからの支援が途絶えた今、ファロ孤児院の命運は決まっていた。どのみち、戦火は近い。ガルが戦場と化すまで、数年とないだろう。  まゆりは、また、ぱちっとはねる暖炉の薪の音を聞いた。  森が近い故に、薪には困らない。それだけが唯一の救いだった。  手元の縫い物を一通り終えて、まゆりは、ざっと寝室を見渡す。一歳ほどの子どもから、十二歳の子どもまで、ファロ孤児院で現在暮らす子どもは十五人。  最年長である十四歳のまゆりと透を加えて、十七人だ。  これだけの子どもたちを養うのは、容易いことではない。援助もなく、戦火も近いこの場所は、危険極まりなく、生きていける望みは低い。  それでもここを離れられないのは、離れたところで生きていけないからだった。  ここには、雨風をしのげて、冬を越せるだけの暖かい部屋がある。だから、出るに出れない。 「あら、まだ起きていたの?」  ふと。  大広間へ続くドアに、マザーが立っていた。困ったように微笑む彼女の衣類もまた、とてもみすぼらしい。ここ数年で、骨がういた姿になったマザーの心労は、想像を絶する。  あちこちに支援を掛け合っていたようだが、聖フロガン皇国が帝国に飲まれようとしている現状で、孤児院に援助をする貴族などいないのは明白だ。もとより不可能だと知りながらも、マザーは子どもたちの生きる道を、子どもたちの未来に手を差し伸べてほしいと、訴え続けた。  戦の最前線は、徐々に近づいている。  辺境地であるガルは、数年と経たないうちに戦火に包まれるだろう。 「ありがとう。こんなに子どもたちの服を直してくれて」 「いいの、やりたいからやってることだし。マザーは、眠れないの?」 「じつは、レイブンが、熱を出したみたいで」  言いにくそうに告げたマザーに、まゆりは目を見開く。 「どこ、私が行く。マザーは寝てて」 「い、いいのよ。あなたは自分を酷使しすぎる。母である私の役目だわ」 「なら、母を助けるのも子どもの役目だから。私がいく。マザーは、休んでて」  にっこり微笑んで見せると、マザーは戸惑いをみせたあと、力なく微笑んだ。 「ありがとう。レイブンは大広間に寝かせているわ、お願い」  マザーの遠慮がちな笑みに、にっこりと微笑み返したまゆりは、真っ直ぐにレイブンのもとへ向かった。  薄い布に寝かされたレイブンは、とても苦しそうだ。六歳の子どもが、こんなふうに苦しむ姿は見ていて心が乱される。  額に手を置いて熱を見ると、とても熱く、それに、身体が衰弱しているようだった。今朝はそうでもなかったが、昼間の間に、レイブンに「何か」あったのだろう。  まゆりはレイブンの額に右手をぺたりとくっつける。髪をかきあげて、頭部を鷲掴みにするように。  ふぅ、と息をはいて、レイブンの生命の痕跡をさぐった。  意識を沈めて、細い糸をたどるように気配を追う。弱い脈を感じて、脈を発する糸へ意識で触れる。もう、大丈夫。
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