ワンコイン

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 というわけで、別に付き合ってはいないにせよ、シチュエーション的にはこれがいわゆる「初デート」になるわけだが、待ち合わせ時間を過ぎても、美玲が姿を現さないのだ。あの日に話している感じだと、時間や約束事にルーズな雰囲気はなかったのだけれど、これは一体全体どういうことだろう。  別に電車のダイヤが大きく乱れている情報もないし、雨こそ降っていても、外出が躊躇われるような悪天候でもない。そしてあの日に教えてもらった美玲のLINEは既読にならないままだ。昨日まで普通に会話のキャッチボールをしていたから、一方的に切られたとも考えにくい。まさか何らかのトラブルに巻き込まれているとか? 最近、物騒なニュースばっかり飛んでくるものな……と、僕は顎に手をやった。  もしくは、その優しい人柄から、なかなか断ることができずに当日を迎えちゃった……とかいうパターンだろうか。確かに僕も酔っ払った状態でそんな約束を取り付けたもんだから、次の日に我に返って若干頭を抱えながら、ベッドの上を麺棒で延ばされるうどんの生地みたいにゴロゴロとしたものだった。でも、しかし。  ふと、駅に併設されたコンビニで、ビニール傘を買っていく人の姿が見えた。いまやワンコインあれば簡単に買えてしまうビニール傘。そのまましばらくその店の方を見ていたら、風でグニャグニャになった傘をコンビニのゴミ箱に突っ込んで、新しい傘を買っていく人の姿も見ることができた。  ただ単に、雨風がしのげるのなら別にかっこよくなくても可愛くなくてもよくて、壊れたり破れたりしたら新しいものを買えばいい。その役割を果たせる存在はいくらでもあって、よほどのものではない限り、唯一無二ではない。  結局のところ、人と人の関係もそんなもんなのかもしれない……と考える。その時々に心に開いた穴を埋められれば、多少見た目が崩れていようがつまらない性格だろうがどうでもよく、飽きたり関係に亀裂が入れば捨ててしまえばいい。よっぽど何か光るものがあるのなら話は違うけれども、僕みたいに外見も内面も特に色のないやつは、実質あそこで売られていたりゴミ箱に突っ込まれている透明なビニール傘と大差ないようにも思える。  これまでは、別にそれでもよいと思っていた。それが自分に与えられた運命のようなものだと。でも、僕は知ってしまったのだ。あの日、大勢の中の片隅で美玲と過ごした時間は、共通の話題で盛り上がることができてとても楽しかったし、あの時間だけ、美玲は僕にだけ意識を向けてくれていたのだ。大袈裟だと嗤うなら嗤えばいい。真に他人とのコミュニケーションが不得意な奴など、所詮はこんな程度で感動できてしまうのだから。だとしても、この仕打ちはないだろう、神様とやら。  さて、困ってしまった。もう少し待っても来なければ帰ろうとは思うのだけれど、このまま帰っても、誰も待っていない部屋で一人悶々とするだけなのは容易に想像できた。いっそびしょ濡れになってしまっても構わないから、このまま雨に煙る街に消えてしまおうか。給料が出たばかりで、多少財布の中身が暖かいのだけが幸いだった。一人でも入れる店に行って、何か美味しいものでも食べて――。
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