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第三話『アジアン・ダンス・ナイト』
とある年の夏、ボク達の住んでいたアパートの近くで、わりと大きな建設工事をやっていた。
〃トントン、カンカン〃という建設作業の音と、セミの鳴き声がまざりあい、ただでさえ暑ッくるしい夏の日中を、さらに不快なものにしていた。近所の住民はイラだっていただろうが、ボクと弟は勝手にオモチャ屋さんが出来るんだと想像し喜んでいた。
オモチャ屋さんが出来たら、沢山オモチャを万引きしようと企てていた弟は、工事の進み具合を確認するために足繁く現場に通った。
「おーい、ボウズ、また来たのか」
現場で働いている源さんというオジサンが、ボクらに気づいて手を振る。
建設工事の現場に毎日遊びに来るような子どもは珍しく、おまけに弟は愛想がよかったので、現場のオジサンたちに可愛がられ、休憩時間に一服つくオジサンたちにまざり、買ってもらったジュースを飲んだりアイスを食べたりしながら、「将来はウチの会社に来い」などと言われるのが、ほぼ日課のようになっていた。
ある日の、昼休み、
「ボウズ、今度メシ食いに連れていってやる。何が食べたい」
現場監督が弁当を食べながらそう言うと、弟は、
「イカリング」
と答えた。するとそれを聞いた源さんが、いきなり泣き出した。みんなが、一体なにごとかと思案していると、源さんは、
「スマン、オレに愛想を尽かした女房に連れられて、家を出ていっちまった子どもが、イカリング好きだったもんで、つい、ダブッちまった」
と説明し、さらに大声あげて、
「オロローン、オロローン、きみえ、まこと、戻ってきてくれ、オレが悪かった」
と泣きじゃくった。
(どうしたものか?)と、みんなが戸惑うなか、弟は、不意に源さんの股間めがけ、ナックルパンチを放った。
「ハウアッ!! ……」
悶絶し、声の出ない源さんの事を見て弟は何が楽しいのか? ゲラゲラ笑った。
みんなが呆気にとられるなか、源さんにいつも、キビシくどやしつけられている、若い労働者のマサトくんだけは、必死で笑いをこらえていた。
この日以来、弟はオジサンたちの股間を攻撃し、悶え苦しむ様を見て楽しむ悪質なイタズラ遊びばっかりやるようになり、しだいにみんなに敬遠されるようになった。
高い場所で作業しているトビの人が、弟の姿を確認すると、
「ヤツが来たぞー!」
と知らせ、働いている人たちは皆、現場内の関係者以外立ち入り禁止場所へ逃げて行ってしまうのだ。
弟が後を追いかけて立ち入り禁止場所まで入っていかないようにするのは、数人いたガードマンの中でも一番下っ端で、夏休みを利用してバイトしていたナンチャント・ペガラス君と言う、フィリピンから来た留学生が押し付けられていた。
女の人にはあまりいないが、男の場合たまに精神年齢が随分早い時期に止まってしまう人がいる。ペガラス君もそういったタイプの人で、変に幼いトコロがあった。
「ペガラスー」
愛想良くペガラス君のそばまで駆け寄っていくと、弟は相手のスキを付いて、
「喰らえ、真冬の六甲おろし!!」
と、当時流行っていた「闘争日本列島」というアニメに出てくる「関 西男」の必殺技をペガラス君の股間めがけて放つ、
するとペガラス君は関西男のライバル「広島 竜二」の必殺「鯉の滝昇り!」と言う技で応戦する。
こういったやりとりが出来たため、弟はペガラス君のことを慕っていたし、ペガラス君も弟の相手をするのが、嫌そうではなかった。
*
デブが命の危険を感じるほど強烈な日の差す真夏日。弟がフルチン姿にお母さんの赤いハイヒールというエキセントリックな格好で外へ遊びに出たため、ボクは慌てて少年パンツ(小児用ブリーフ)を持って後を追いかけた。
「お~い、いくら暑いからって、パンツぐらい履かなきゃダメだよ」
弟は遊びのつもりなのか、追いかけるボクから走って逃げる。ブカブカのハイヒールを履いているくせに、そこそこ速い。日頃イタズラでお母さんの衣類やら化粧品をしょっちゅう使っているので、ハイヒールも履きなれているせいだ。
別にこのクソ暑い中、ムリに追いかけなくても行き先は建設現場だとわかっているのに、ボクもムキになって後を追いかけた。
追いかけっこしながら建設現場まで来たときには、2人とも汗だくになっていた。
ペガラス君も汗だくになりながら、死にそうな顔して働いていたが、ボクらの姿を確認すると、〃ニカッ〃と笑ってくれた。
「ペガチャン、遊ぼうよ」
弟が、ペガラス君のそばへ駆けよる。
「アツイカラ、イヤダ」
「とりあえず、パンツ穿かなきゃ」
ボクは弟にパンツを渡そうとしたが、弟は受け取ってくれない。
その時、建設中の建物の中から、源さんのどなり声が聞こえてきた。
「バカヤロウ、コノヤロウ、テメー、こんなこともまともに出来ねぇのかよ!!」
〃ポカッ!〃
「イテッ!」
中から聞こえてくる、声を聞いてペガラス君が、
「マサトクン、マタ、オコラレテイル」とつぶやいた。
弟が建設途中の建物を見ながら、ペガラス君に、
「いつになったら、オモチャ屋さん出来るん?」と聞くと、
「ココニ、デキル、オモチャヤサンデナイ。ココ、ヤッキョクデキルノデアルヨ」
と言う答えが返ってきた。すると、子どもとはゲンキンなもので、弟は次の日から現場にはまったく顔を出さなくなった。
*
弟もボクも、ペガラス君や現場の事など、すっかり忘れてしまい、日々、新たな遊びを見つけるべくアッチコッチ、ウロついていたある日、
「たまには公園にでも行ってみよう」
ということになり、近くの公園にゴムボールや、なわとび、スコップ、お母さんの使用済みカンチョウなどの遊び道具を持って行った。
しばらくカンチョウの空き容器に水を入れ、それをアリの巣に垂らすという子どもらしい残酷な遊びに興じていたが、弟が不意に、
「あっ、インド人だ!」
と声を上げたので、視線の先を見てみるとペガラス君が公園の中に入って来た。
「インド人じゃ無いよ、ボリビア人だよ」
「違うよ、インド人だ!」
「だって、ターバン巻いてないじゃないか、インド人はみんなターバン巻いてるんだよ」
「……そっか、……でもインド人じゃなかったとしても、ボリビア人でもないよ。そんな国、聞いたこと無いもん」
ボク達がペガラス君の国籍について議論している間に、ペガラス君は公園の隅の方をウロつきながら、植え込みの葉っぱをチギッて食べ出した。
「ペガちゃーん、葉っぱ食べちゃダメだよ!!」
弟が慌てて飛び出して行くと、ペガラス君はボク達に気づき、笑顔を浮かべた。
「ダイジョウブ、ダイジョウブ、ボク、タベラレル、ハッパト、タベラレナイ、ハッパクベツデキルヨ」
そう言うとペガラス君は、葉っぱや、花や、セミの抜け殻を食べた。
ボク達は、しばらくペガラス君の事をジーッ、と眺めていた。
「ウーッ、イヌノ、ションベン、クセー」
と言い、木の根元に生えていたタンポポを吐き出したペガラス君に弟が、
「ペガラス、何で葉っぱとか食べるん?」
と聞くとペガラス君は、
「パチンコ、ニ、マケテ、アリガネ、ゼンブ、ナクナッタンダー」
と答えた。
大人になった今なら、(バカなヤツだな)と思うかも知れないが、幼かったボク達はただ純粋に、(可哀相だな)と思った。
翌日、ボク達は家にあった食パンと牛乳を持って、昨日と同じ時間に公園へ行った。
やはりペガラス君が葉っぱを食べていたので、ボク達がパンと牛乳をあげると、
「ヤッター、ヤッター」と喜び、食パンに虫を挟んで美味しそうに食べた。
ボク達はそれから毎日、ペガラス君に食べものをあげるため公園に通った。
食べものは家にあるパンや缶詰めをコッソリ持ち出したり、「ビックリマンチョコはオマケのシールだけを抜き取って、中身はペガラス君にあげる」などの工夫をして、まかなった。
ある日の夕暮れ時、いつものように公園でペガラス君に食べるものをあげたあと、家に帰ろうとするボクらに、微笑みながら手を振るペガラス君のことを見て、弟はふと気づいたように、
「ペガラスは一体どこへ帰るの?」と聞いた。
ペガラス君は、
「ボク、カエル、ココ」と下を指さした。
一瞬、家がないのかと思ったが、詳しく話を聞くとペガラス君は留学している大学の寮に住んでいるのだが、場所が今働いている現場から遠いので、いちいち通うのが面倒くさく、公園に寝泊まりしているだけだった。
大学は今、夏休み中なので通わなくても良く、現場には毎日来なければならないので、現場に近い公園に住む事にしたそうだ。
実にワイルドだが、とらえ方によっては合理的ともとれなくはない考え方だ。
それを聞いた弟が、
「ペガちゃんの事を家に連れて帰ろう」と言い出した。ボクは、
「ダメだよ、お母さんが許してくれないよ。」
と言い反対した。ボクの脳裏には玄関先でお母さんが、「ダメよ! そんなモノ拾って来ちゃ、元居た場所に戻して来なさい!」と怒っている姿が、ありありと想像できた。
しかし、弟の決意は固く、
「子ども部屋の押し入れに隠そう」と言って聞かなかった。
こうなると、チカラ関係では弟の方が強かったし、夕日に照らされるペガラス君は、何だか放ってはおけない愁いを秘めた雰囲気があったので、ボクは弟の意見に従うことにした。
まずペガラス君のことを、お母さんに気づかれない様に家の中へ入れるため、ボク達が考え出した案は、「ダンボールの中に隠して、運び込む」というモノだった。
今考えればバカげているが、当時はボクも弟も真剣だった。まだ小学校にも上がらぬ子どもの考える事なので仕方ない。
急いで近くのスーパーに行き、不要になったダンボールの中から1番大きなヤツを選んで持ってかえり、中にペガラス君のことを詰め込んでみたが、どうにも収まりきらない。どうしても体のドコか一部がハミ出てしまうのだ。
仕方なくボク達は、ペガラス君の頭からスッポリとダンボールを被せ、後は普通に歩いてもらい家の中に入る事にした。
どう考えても頭からダンボールを被せる意味が無いが、バカが3人集まると、相乗効果で1人の時よりも10倍も100倍もバカになるので仕方ない。
幸運な事にお母さんは丁度トイレに入っていたので、苦労無くペガラス君を押し入れに隠すことが出来た。
お母さんはヒドイ便秘性なので、一度トイレに入るとなかなか出てこない。
この日から、弟は生来の面倒見の良さを発揮して、実に良くペガラス君の世話をした。
毎日2回、一緒に散歩にいき、夕食に自分の好きな物が出ても半分取っておいて後でペガラス君にあげたり、お風呂やトイレの都合をつけたり、おこづかいを貯めてキレイなTシャツを買ってあげたりした。寝るときも、押し入れで一緒に寝ていた。
ペガラス君も疲れているはずなのに、仕事が終わった後、毎日一緒に遊んで弟の愛情に答えた。
*
ペガラス君の仕事が休みの日曜日、ボクら3人は、いつもより少し足を伸ばして川辺を散歩した。
川は日差しを乱反射して、キレイにキラメキ、芝の色は良く映えていた。
この日は暑さも少しマシで、キャッチボールをする仲のいい親子や、野外でペッティングを楽しむカップルなどが所々にいて、実にさわやかないい雰囲気だった。
そんな中、向こう側から、どっからどう見てもお金もちにしか見えない格好をしたミセスが、大型スペイン人を連れて優雅に歩いて来る姿が見えた。
ボクはすれ違いざまに、弟がまた何かとんでもない、ちょっかいを出すんじゃないかと思い緊張した。
しかし、弟がちょっかいをだす前に、スペイン人の方がペガラス君のことを意識して、
「オーレ、モーレツ、アモーレ!!」
と言いながら鼻息を荒くした。ミセスが、
「これ、モンテスキュー、やめなさい!」
と、たしなめたが、間の悪いことに、今日にかぎってペガラス君は赤いTシャツを着ていたこともあり、スペイン人の興奮はおさまらず、
「オリーブオイリー、スパニッシュハーレム!!」
と、おたけびを上げながら突進してきた。
はじき飛ばされたペガラス君は土手を転げ、そのまま川の中へ落ちてしまった。
「ペガラス、大丈夫!」
弟が心配してペガラス君のそばへ駆け寄る。
「あら、大変ザマス。おケガないザンスか?」
ミセスはブランド品の財布から、1万円札を取り出しボクに渡すと、
「これで、オロナイン軟膏でもお買いになって」と言い、
「モンテスキューたら、悪い子ね~。相手がアメリカ人だったら大変な事になっていたわよ。オホホホホホホッ」
と、スペイン人のことを叱りながら、そそくさと立ち去った。
ペガラス君は、
「チクショー、チクショー。オレガ、フィリピンジン、ジャナクテ、タイジン、ナラ、ムエタイ、デ、アンナ、ハナデカヤロー、ノコト、ブットバシテヤッタノニ」
と、歯ぎしりしていたが、ボクが、
「オロナイン……」
と言って、渡された1万円札を見せると、
「マニラ! マニラ!」
と、ものすごい喜んだ。
ボクらは(ボクらと言うか、正確には弟とペガラス君が)小踊りしながら、そのお金で町中のガリガリ君を買い占めた。
当時50円だったガリガリ君を、200本買って3人で分けると、1人66本ずつで、2本余ったので自分の分を早く食べた人が余ったヤツを食べていいという事にすると、みんな66本もガリガリ君があるのに、その2本のタメにものすごいガッついて食べた。
でも、ガリガリ君を食べ進むうちに気づくと、大体20本に1つの割合で当たりが入っていたので、結局みんな仲良く70本ずつ食べれた。
能天気なバカの集まりであるボクらは、この時点ですっかり、ペガラス君がスペイン人に川へ落っことされた事など忘れていた。
*
ペガラス君と過ごすようになって1ヶ月近くたった頃、近くのお寺で盆踊り大会があり、ボクらは3人で出かけた。
わりと大きなもので、沢山の露店が並び、人も多くにぎわっていた。
人混みの中を、ぼくら3人は若干うかれ気味に盆踊りの広場めざし歩いていくと、途中で立ち並ぶ露店のうち、『カメすくい』の屋台が目がとまった。
ペガラス君と同じ現場で働いていたマサト君が、テキ屋として座っていたからだ。
「マサト、何でここにいるの?」
弟の質問に、マサト君の代わりにペガラス君が答えた。
「マサト、コノマエ、シゴトヤメタ」
「ヘヘヘ、あんな仕事、いつまでもやってらんネェーよ。しょうもねェ」
マサト君はテレくさそうにそう言うと、
「サービスだ。タダでやらしてやるから遊んでいけよ」
と、弟とボクに網を渡してくれた。
ボクらがカメをすくっている間、マサト君は、ペガラス君に対して、まるで独りゴトを言うみたいに喋りかけていた。
「ペガラスはイイよな。今は学校やバイトで大変だろうし、日本では差別やバカにされたりもするだろうけど、将来フィリピンに帰れば、外国の大学卒業した超エリートだ。それに比べてオレは、バカだから、先のことなんか考えず、好き勝手やってろくすっぽ学校へも通わなかったせいで、これからさきずっと社会の底辺で生きていかなきゃならない……」
「……破れた」
1人で喋って1人で落ち込むマサト君へ、ボクは破れた網を見せた。
「ん……、1匹しかすくえてないからダメだな、残念賞。ヒヨコだ」
マサト君は小さな箱に入れたヒヨコをボクにくれた。3匹以上すくえばカメをもらえるが、それ以下だと代わりにヒヨコをくれるシステムらしい。
ボクはどちらかと言えば、カメよりもヒヨコの方がうれしかったので、これでよかった。
「これほら、見て」
弟は入れ物の中、山盛りに入ったカメを見せた。
「オマエは、手でカメ掴んでたからからダメだ、反則」
弟のウラ技をシッカリと見抜いていたマサト君は弟からカメを取り上げると、ヒヨコを渡そうとしたが弟は、
「そんなのいらないよー。プップクプーだ」
と憎まれ口をたたいて断った。
「オマエなんかに、何にもあげないよー。ベロベロベーだ」
負けじと憎まれ口を返したマサト君だったが、弟がポケットの中に4、5匹カメを詰め込んでいることは見抜けていないようだ。
「マサトクン、オボンダンス、オドリニイコウヨ」
「ヘヘヘ、なに言ってんだよ、仕事中だゼ、オレは。オマエ達だけでいっといで」
そう言うと、マサト君は寂しそうに笑った。
景気のいい時代だったためか、なかなか豪華なセットが組まれ、踊りの音頭は録音ではなく、お囃子の人が生で演奏していた。
羞恥心のない弟とペガラス君は、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソン」とばかりに、ためらいなく盆踊りの輪に加わろうとしたが、そこで、いつぞやのミセスとスペイン人が輪の中で踊っているのに気がついた。
スペイン人の踊りは盆踊りの枠をこえた独自のステップで、まるでフラメンコのようにダイナミックで力強く情熱的だった。
ほとばしる熱いパッションが見ているものの心を捕らえ、注目の的のスペイン人。その横で、鼻高々といった感じのミセス。
弟が無邪気に、
「ペガちゃんも、あんなふうに踊ってみてよ」
と言うとペガラス君は、いつになく真剣な表情で、
「ボクニハ、ボクノ、クニノ、ダンスガ、アル」
と言い、輪の中に飛び込んで踊り出した。
ペガラス君のソレは踊りというには、あまりにも奔放でデタラメにおかしな動きを繰り返している様に見えた。
周りから、「クスクス」と笑いがおきたが、ペガラス君は構わずに踊り続けた。
その姿は、スペイン人の様にカッコ良くはないが、生き生きとしていて、実に楽しそうだ。
弟もペガラス君をまねて踊り出すと、いつしかカッコ良く踊るスペイン人よりも、フリースタイルで飛び跳ねる2人の方へ注目があつまり出した。
身体(からだ)の中のエネルギーをはじき出す様に踊る2人。
それにつられて、今まで基本通りに盆踊りを踊っていた人たちのステップも徐々に崩れだし、お囃子の演奏も2人の動きに合わせて拍子をとりだした。
しだいに、見ているだけだった人たちも、1人、また1人と輪に加わり、いつの間にか、和尚も小坊主も、マサト君もスペイン人もミセスも、そこら中の人みんなが滑稽な動きをしながら、楽しそうに笑っていた。
不思議な光景だった。
夏の夜の最高の瞬間。
ペガラス君と過ごした日々は、弟にとって楽しく素敵なモノだったに違いない。
*
なんとなくカナシイ秋の気配が漂い始めた夏の終わり、現場に働きに行っていたペガラス君の帰りが遅く、弟は心配していた。
その日、押し入れにタガログ語で書かれた手紙と、たぶん日本には生息していないであろう不思議な形の貝殻が置いてあった。
きっと、別れの手紙だったのであろうが、タガログ語どころか日本語の読み書きも出来なかった弟とボクに、手紙の内容が理解出来るはずもなく、ただ所々にじんでいる文字を見て、
「ペガちゃん、ヨダレ垂らしながら書いたのかな~」などと言っていた。
午後9時を回ってもペガラス君が帰ってこず、弟は、お母さんが、一度トイレに入ると1時間は出て来ないのを利用して、お母さんがトイレに入ったスキに、ペガラス君の事を探しに家を飛び出した。ボクも、少し遅れて弟の後を追った。
弟は、まず公園に行き、
「ペガラスー、ペガラスー、もう帰っておいでー、ご飯だよー」
と呼びかけながら、ペガラス君の事を探したが、公園にペガラス君の姿は無かった。
次いで、ペガラス君の働いていた現場へ向かった。
弟の方が足が速かったので、ボクが遅れて現場に着くと、弟は呆然と立ち尽くしていた。
見ると、そこには建設用の足場も、ブルーシートも無く、黄色と黒のシマ模様に「安全第一」と書かれたハードル型の看板も、赤いコーンも無くなっていた。
かわりに、後は棚に商品を並べさえすれば、いつでも開店できる状態の薬局が出来上がっていた。
しばらくの間、ボクたち兄弟は無言で薬局を眺めていた。
この瞬間、弟が心の中で何を思っていたか分からないし、ボク自身抱(いだ)いていた思いも、上手く説明できない。
ペガラス君に対する感傷と、弟の事を気にする気持ち、それに、物が出来上がることへの感動的な畏敬の念が入り混じった、子どもにはチョット複雑すぎるモノだったと思う。
沈黙の後、弟は、
「お母さん、この薬局に、毎日カンチョウ買いに来るかな? ……グスン」
と言い、ボクは、
「ウン、たぶんきっと、毎日カンチョウ買いに来るよ」
と答えた。
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