第一章 扉を叩く者

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第一章 扉を叩く者

 カリタス王国の領土の縦横を巡り日がな自転車を走らせる、郵便配達員の朝は早い。  日の出る前に起き出して詰襟の黒い制服に身を包み、白み始めた空の下、剣をひっさげて飛び出してゆく。  夜明け前や日暮れの霧の中を走るオレたちは、道中魔物や強盗に襲われることも稀ではない。剣はたよりないこの身の守りだ。  今日び、郵便サービスといえば妖精が宙に字を描いてメッセージを届けるフェアリーメイルがほとんどだけれど、とかく妖精は気まぐれだ。恋文が妖精の意地悪で届かなかったり、重要な書類が悪戯で書き換えられたりすることもしばしばである。  それに対し、ヒト族による配達サービスは『安心・確実』が売りだ。羽根ペンとインクで書かれた消えない手紙を、手渡しで届ける大事な仕事……といえば通りはいいけど、赤い自転車をこいで街の東西を駆け回るきつい仕事だ。  それでも魔法が使えないオレにとっては、食い扶持を稼げる貴重な仕事だった。  生まれつき魔力のないオレにできる仕事はけっして多くない。  火の魔法が使えなければ、パンを焼く仕事には就けない。  水の魔法が使えなければ、皿洗いの仕事にも就けない。  土の魔法が使えなければ、土木工事の仕事は到底無理だ。  木の魔法が使えなければ、庭師や建築士にもなれない。  金属の魔法が使えなければ、……もういいだろう。そもそも皆が1つだけでなく、いくつもの属性の魔力を使いこなしているこの社会で、オレだけが何の魔力も持っていないのだ。魔力は天与の力、つまり遺伝なのだそうだから、どうにも仕方がない。  夜には魔物が増えるから、配達の仕事は日暮れまで。今日の配達物を急いで配り終えたら、沈む太陽を横目に見ながら立ちこぎで自転車を走らせて帰る。  村はずれの小さな塔がオレの住み家だ。  局章のついた黒帽子を置いて詰襟の制服を脱ぐと、ほこりをはらって壁にかける。袖口にどす黒い染みがついているのを見て無表情にちょっと手を止める。  午後の仕事をおおかた終えてひと息入れていた時に魔物に襲われ、仕留めた時の返り血だった。ひどい血の匂いがする。  制服を桶の水に沈めて、ベルトから剣を外すと、鞘から引き出し、刃が欠けてないか確かめて壁にかける。  くたびれた破れシャツに着替えて、買ってきた肉の包みを抱えると、細い螺旋階段を駆け上がる。  頂上の扉を開けると、塔の塀に停まっていたレイヴンたちが一斉に振り返る。くるるると喉を鳴らしながら羽根を広げて飛んできたかと思えば、一羽はオレの肩にとまって髪をつつき、一羽は足もとに降りてきて革靴をつつく。他の奴も飛んできてオレの頭の上に停まろうとし、肩の上のヤツと喧嘩を始める。オレは笑って床にかがみこんだ。 「待てって、すぐ開けてやるから」  オレは包みを開けて、待ちかねた五羽のレイヴンたちが肉に飛びつくのを見守る。  日中彼らは近くの森で遊び、夜になるとここで眠る。飼っている、と言ってもいいのかもしれない。  腹を満たしたレイヴンたちは水浴び用の水槽で遊び始めた。  オレは自分の夕食のビスケットを齧りながら、塀によりかかる。 「冬が来る前に檻にかける敷布を買わないとな」  羽音と共に肩へレイヴンが停まった。嘴を撫でてやると、喉を鳴らしている。  夕空を見上げると、灰青の空に一つ二つ星が光った。  すっかり日が落ちるまでオレはそうしていた。檻にレイヴンたちを入れて階段を降りる。いつも通りランプに火を入れて、ベッドに横になった時だった。  コツ、コツ、と扉をたたく音がした。  オレは半身を起こす。 「……何だろ、こんな夜更けに」  またしてもコツ、コツ、と規則正しい音がした。ベッドから降りて扉に近づくと、オレは尋ねる。 「急用ですか?」 「NO」  扉の向こうの声はきれいなアルトで答えた。人語を解するなら魔物ではないのだろう。 オレは頭をかいた。 「あー……もう遅いので、明日にしてもらえますか?」 「NO」  コツ、コツ、とまた扉をたたく音がした。オレはため息をついて、扉を開ける。  とたんに羽音がして、黒いものが部屋に飛び込んできた。オレは目を見ひらいて見返る。  床の上に、つやつやとした羽の大きなレイヴンがいた。羽根をたたんで、光る眼でオレを見上げる。 「……びっ……くりしたぁ……」  オレは扉の向こうの闇の中に他に誰もいないのを確かめ、そっと扉を閉める。そのレイヴンは気にもしてないようだった。あたりをきょろきょろと見回し、ソファの背もたれの上に跳び上がる。うちのレイヴン達は皆、檻で寝ている。どこか外から来たレイヴンだ。 「お前さ、どこから来たんだ?」  何か食べるか? と干し肉を差し出したけれど、レイヴンはそれには見向きもしなかった。ただオレを見つめている。口を開けて、澄んだ低い声でルルルラル、と鳴いた。 「歌えるのか。エサも食わないし、どっかで飼われてるのかな……。夜に飛ぶのは危ねぇよ。魔物もいる。こわくねぇの?」 「NO」  つんと喉をそらしてレイヴンは短く言った。 「はは、お前喋れるのか。すごいな」  オレは笑って、それからかすかに眉を寄せた。話せたり歌えたり、物怖じのしない態度からして、どこかで人に飼われていたレイヴンかもしれない。だが、ここを出入りするのは危険だ。 レイヴンは自分たちの縄張りを命がけで守る。  巣立ったばかりのよそ者の若いレイヴンが縄張りに侵入してくると、追い立てて殺してしまう。オレは何度かそれを見ていた。  オレは弱く笑って言った。 「……でもさ、もうここには来るなよ。今は夜だからいいけど、日中は……うちの連中、気が荒いんだ。殺されちまうから」  そのレイヴンは、じっとオレを見上げて言った。 「NO」 「……オレの言ってること、わかってるかなぁ」  オレは苦笑してベッドに座った。膝の上に肘をつき、頬杖をつく。わかるわけないよな、と思いながらも言葉を継いだ。 「朝まではここにいればいいよ。上の奴らも今は檻に入ってるし、夜は魔物も増えるし、危険だから」  レイヴンは考え込むように首をかしげ、部屋の奥の階段を見つめた。ふぁさっと羽根を広げると、階段のステップの上に降り立つ。階上を見上げ、ステップを上がっていこうとするレイヴンを、オレは慌てて止めた。 「上は行っちゃダメだ。危ないったら」  捕まえようとするとレイヴンは横にぴょんと避けて、それから急に羽根を広げると、オレの肩にとまった。 「わっ……なつっこいなー、お前」  くしゃくしゃに顔をくずして笑うと、ルルル、とイタズラ者のそいつは肩の上で喉を鳴らして満足気に歌う。オレはレイヴンの嘴に手を伸ばし、撫でてやった。  レイヴンはうっとりと首を傾けてこちらを見つめる。 「お前、どこで飼われてたんだ? きっと飼い主が心配してる。送り届けなきゃな……この街にレイヴン飼ってる家、他にあったっけ?」  眉をしかめて思い出そうとすると、レイヴンはじっとオレの顔を見た。何も言わない。  窓枠に飛んだ。コツコツと嘴でガラスをたたく。こっちを見返った。 「帰るの? 危ねぇよ」  レイヴンは神経質にまたコツコツとガラスをたたいた。振り返って鳴く。 「NO」 「それしか言えねぇんだな」  オレはため息をついた。懸命に外に出ようと窓にぶつかったりして嘴や羽根を傷めるよりは、さっさと外に出してやったほうがいいのかもしれない。  窓を開けてやると、レイヴンは静かに羽根を広げてふわりと飛び、窓の前の木の枝に停まった。こちらを見返る。  オレは窓から顔を出し、その眼を見つめる。念を押すように強く言った。 「いいか、もうここには来るな」  レイヴンはその眼を大きく見張って嘴を開けた。 「NO」  そいつは張りつめた声でそう叫ぶと、闇の中を羽音もなく飛び去った。
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