第一章 扉を叩く者

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 夕暮れ時の空の下をうんざりした顔で、オレは自転車を押して歩く。 「重い……師匠降りて」 「やだ!」  赤い自転車の前かごに乗り、子ぐまの顔をした小さな獣人が甲高い声できっぱりと言った。彼は郵便局の同僚で、同時にオレの剣の師匠である。郵便局に入りたての時、オレは剣もろくに使えなくて、仕事が終わってから彼に特訓してもらってようやく基礎を身につけたのだ。師匠とよんで! と言われているからそう呼んでいるけど、同期の仲間である。 「ぼくあるくのきらい!」 「オレだってだよ」  オレはぶつくさ言った。後ろの荷台には師匠の荷物と食料が山のようにのせてある。今日は師匠がうちに泊まりに来るというので、仕事後に買い出しをしてから帰路についたところだ。  オレは自転車を押しながら、師匠のふわふわの後頭部にむかって話す。 「うちに泊まるのはいいけど、オレ魔法使えないからさ。十分にもてなせないと思うけど、勘弁な」 「あんしんして、ぼくもあんまりつかえない!」 「ああそう…………」  師匠は鼻歌をうたっている。ああは言ってくれたけど、師匠は魔力はあまりないとはいえ、獣人だけあって相当な怪力の持ち主だ。戦士の家系なんだって以前に聴いた。魔力ばかりか体力もないオレとは違う。  ふと師匠の鼻歌が止まった。見れば道が通行止めになっている。警官が幾人も何かを囲んで立っていた。一人の警官がこちらに気づき、笛を吹きながら大きく手を振った。 「近寄るな! 通行止めだ!!」  オレはだまって自転車をかえし、道を変える。遠目にちらと濃紫のぬめぬめとした魔物の胴体が見えた。ウミウシに似た青い血の奴だったな、とオレは思い返す。  全ての魔物は夜、海から上がってくる。地上をうろつき、人を襲う。最近、とみに多い。  無意識にここから海までの距離を頭の中の地図で測っていると、師匠は前を向いたまま言う。 「あれさ、きのうテノがたおしたっていってたやつ!?」 「うん」 「ほうこくださないの」 「魔物倒したって報奨金が出るわけじゃないし、取り調べで時間くうだけだろ。オレは帰って寝たい」 「ほめてもらえるよ! しんぶんで」 「……いいよ、別に。郵便物狙ってきた魔物を配達員が倒したって、ただの仕事だし。別に褒められたことじゃねぇよ」 「テノはつよいよ! 師匠がほしょうするよ!」  師匠はくるりと首をかえしてオレを見た。オレは鼻をこする。 「ありがと。だって、オレそれしかできねーもん」 「カラスもテノがすきだよ! かってるんだよね」 「カラスじゃなくてレイヴンだけど」  とオレは苦笑する。どうやら師匠は励ましてくれているらしい。 「どうちがうの!?」 「カラスよりデカイ。あと静かなんだ。空の高いところを、すべるみたいに飛ぶ。あまり鳴かないし、羽の音もあまりしないよ」 「わかった、カラスのでかいやつみせて! たのしみ!」 「いいよ、すぐあいつら寝ると思うけど……そういえば昨晩、変わったヤツが来てさ」  ふとオレは昨晩のレイヴンのことを思い出して言った。  話し出そうとしたその時、ぎゃあぎゃあと騒ぐ声が聴こえる。師匠が上空を指さした。 「あれテノのカラス?」  オレの塔の上に、鋭い弧を描いて飛び交ういくつもの黒い影があった。嘴で一羽を突つき、追い立てている。嫌な予感が走る。 「うん、……縄張りに別のレイヴンが来たみたいだ。もしかしたら昨日の……」  言いかけたなりオレはふつりと言葉を切った。自転車に飛び乗り、力まかせにこぎ出す。  塔の前で急ブレーキをかけて自転車を止め、飛び降りた。背中で言い残す。 「師匠は後から来て!」  ばんとドアを開けて奥の螺旋階段を駆け上がると、階段の突き当りにある扉を思い切り引き開けた。  頭上をひゅん、と何かがかすめ、落ちてくる。嫌な音を立てて足元の床に叩きつけられたそれを、オレはのろのろと頭を動かして見つめた。それは血塗れのレイヴンだった。  床は真っ赤な血に染まっていた。何羽ものレイヴンが血溜まりの中に転がり、黒い羽が散乱している。ぼんやりした頭で、オレはそこに転がった遺骸を数える。  一、二、三、四、……四羽。白い胸のところの羽のもようを、オレは目でたどる。間違いない、オレのレイヴンたちだ。  低く風を切る羽音が聴こえた。目を上げると、血まみれのレイヴンたちの中に背の高い人物が立っている。ついさっきまでは影も姿もなかったのに。  男か女かもわからないそいつは黒いフードのマントを目深に被り、その左手にレイヴンの首を掴んでいた。その首を無造作に離すと、絶命したレイヴンは床に落ちる。……これで五羽。  オレは後じさった。声も出なかった。  風が吹いてそいつのフードが後ろに落ちる。ふわりと黒い髪が風に揺れた。  白い髪の房がその髪に一筋混じっていた。真っ黒なひどく美しい瞳で、彼はオレを見つめる。 「なんで、……」  オレは顔をゆがめた。涙にゆがむ視界の中で叫んだ。 「あんた、オレに恨みでもあんのかよ!?」  男は一瞬、すこしだけ悲しい顔をしたように見えた。しかしゆっくりと目を細め、緩やかに微笑する。そのくちびるが動いて、きれいなアルトで言った。 「NO」       ※      ※     ※  後からばたばたと階段を上がってきた師匠が茫然として屋上を眺め渡すのを、オレは塀によりかかったまま虚ろな目で見返していた。 「なにこれ!?」 「わかんね……」  オレはぼんやりと言った。黒いマントの男の姿はとうに消えていた。レイヴンに姿を変えて飛び去ったのだ。  師匠は怒鳴った。 「にんげんの死体がいっぱいだよ!!」  血溜まりとレイヴンの羽の中に転がっていたのは、見た事もない男たちの5つの死体だった。
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