激動の年

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 翌日、私が学校に行くとクラスの友人が集まって何やら笑い叫んでいるのが見えた。気になった私はその騒ぎの中に入った。 「見ろよこれ。面白いぜ?」 友人は私に千円札を見せてきた。当時の千円札は夏目漱石で、小学生の頃の私にとってはちょび髭のおじさんと言う印象しかない。お札に載っている顔も無表情とも微笑みとも言えない表情で特に印象はない。しかし、友人の見せてきた千円札の夏目漱石の表情はニヤけたような笑いを見せていた、角度を上向きにすれば泣き顔へとその表情を変える。 何のことは無い。お札を使った子供がやる遊びである。お札の肖像画に折り目を付けて角度を変えると表情が泣いたり笑ったりするのでそれをみて楽しむどうしようもない遊びである。小学生はこういった下らない遊びが好きなのか流行性のビールスのように瞬く間に伝播する。震災の募金の為に千円札を持たされていた子供が多かったせいか、私のクラスでは夏目漱石を笑わせたり泣かせたりする遊びが流行っていた。新渡戸稲造や福沢諭吉は大金すぎるのか躊躇われて持たせる親はいないようだった。 私もその遊びに乗り、母から貰った千円札の夏目漱石に折り目をつけることにした。 左目を縦に山折りし、顔の中央にあたる鼻の部分を谷折りにし、最後は右目も縦に山折りにする。これで笑ったり泣いたりする夏目漱石の完成である。 「それでは募金の方回収しますね~」 ホームルームの時間に担任教師が募金箱を持って各席を回る。皆、千円札を募金箱へと入れていく。 それから一週間が経過し、募金週間は終わった。「このお金は全額必ず被災地に届けます」と言いながら担任教師は私達に深々と礼をした。この一週間でいくら溜まったかと言う報告は受けていないが幼い私達は特に気にすることはなかったし、知らされることはなかった。 1月も下旬となり震災のニュースも減り始めた頃、私の店も営業を再開した。 グラスも徳利も皿も新品となったことで心機一転父も母も商売に精を出すのであった。 店の方は震災後の自粛ムードで例年の1月に比べて売上こそ減ってはいたが経営は成り立っていた。 そんな中、大口の宴会の予約が入った。私の小学校の教師、及び保護者会のほぼ一月遅れの新年会である。1月上旬は中々教師たちの都合が合わずに、1月下旬にまでズレこんだとのことであった。我々が自粛したところでどうしようもないと保護者会会長が音頭を取っての新年会開催となった。 いつもはキリッとした教師たちも新年会の場ともなればどんちゃん騒ぎの様相を表す。私はそれを「いつもと違う先生だ」と、思いながら白けた目で二階の階段から僅かに見える教師たちのどんちゃん騒ぎを見つめていた。ハゲた校長先生の頭も酒で真っ赤に染まり茹で上がったタコにしか見えない。それから数時間後、宴も(たけなわ)、教師たちは真っ赤な顔に千鳥足で店を後にした。
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