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春も近くなり歓送迎会の予約が増えてくる頃、私は夜の開店準備のために店舗の掃除を行っていた。妻は買い出しに市場に出ており、息子ももうじき学校から帰ってくる、アルバイト従業員もまだ出勤してこない。店で一人である。掃除が終わったところで帰ってくる息子に今日は花金だし豪華なおやつでも作ってやろうかなと厨房に入った瞬間、隅の棚に入っていた皿がカタカタカタカタとぶつかり合う音がした。それからゆーらゆーらと気持ち悪く地面が震える。私は慌てて厨房入り口で体勢を低くして揺れに耐えた。
揺れが収まったところで私はポケットに入れていたスマートフォンを開いた、情報が錯綜していてごちゃごちゃとしていて何が起こったのかはっきりしないが東北地方で大きな地震があったと言うことだけはわかった。
2011年 3月11日 14時46分18秒 東日本大震災発生。
私は真っ先に家族の身の安全の確認を行った。妻はすぐに帰宅、息子もすぐに帰宅、私は安堵した。そこからの金土日のテレビはずっと震災の話題、津波で流され廃墟と化した都市、ニュースを見る度に増える死者の数、原発事故、エンドレスリピートのように延々と流れる同じCM、日本が不安に包まれた時であった。
そして週明けの月曜日、前とは違い店の被害はゼロであったためにいつものように開店準備をしていると学校から帰ってきた息子が一枚のプリントを私に渡してきた。東日本大震災の募金のお知らせである。
「東日本大震災の義援募金?」
「うん、明日からやるんだって。募金のお金ちょーだい」
私はレジより千円札を取り出した。息子の手に渡る直前で16年前のことを思い出しその手を止める。
「パパ?」
私は一旦千円札をテーブルの上に置き、16年前と同じように折り目を付けた。今度は夏目漱石ではなく野口英世である。折り目をつけた野口英世が泣いたり笑ったりするのを息子に見せる。琴線に触れたのかケラケラとそれを見て笑っている。それだけではまだ「足りない」と思った私は更にニつ折り目を増やすことにした。
「ほら、犬耳」
私は雑誌に折り目を付ける時と同じように千円札の両上端に斜めの折り目を付けた。折り目は爪で擦り、折った痕が消えないように細工もしておいた。面白みのない折り方のせいか息子は真顔であった。だが、そんなことはどうでもいい。
私はこの千円札が二度とここに戻ることなく、被災地の為に使われることを心から願いなら息子に渡した。
3月も終わりかけ、息子が春休みに入ったところで一枚のプリントを渡された。春休みの生活指針を書いたものである。それの隅の方に小さく「今回のわが校の義援募金は13万538円集まりました。全額被災地支援に使われます。ご協力ありがとうございました」と書かれていた。私は安心し息子にプリントを返す。
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