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さか
「雨だねえ」
「だねえ」
「ちょっと窓際だから珈琲が冷めちゃうね」
「その珈琲は多分もう冷めてるよ」
あれ、そうだっけ。そう言いながら、からからと彼女が笑って、それに釣られて僕も笑う。僕達はこんな風に生産性のない会話をもう小一時間続けていた。
もうどちらがどんな言葉を発したかもよく分からない。頭の使わない言葉のキャッチボールは多分まだ続く。
今日は雨が降ってくる予定だったのを忘れていた。今日は降水確率が高いと家を出る前にニュースか何かで見た筈だったのに。
「傘は持ってきたの?」
目の前の彼女は首を捻る。どうやら僕を心配してくれているみたいだ。
「残念ながら」
僕は肩を竦めた。これからどうしようか、と言いたげに。
「傘といえば」
また唐突に話の流れが変わった。彼女はそうやって急に前までの話を断ち切るきらいがある。今彼女の隣に居るであろう人はこの事を知っているのだろうか。
「よく小学生の頃はぶん、って傘を振り回して、傘のあの、なんて言うのかな。持ち手じゃない雨を凌げる所?を逆向きに反らせたりしてた」
と笑う。彼女とは小学校は違うが、僕にもそんな風に馬鹿なことをやっていた記憶がある。
「雨を避けるための道具なのに、逆さになった部分に雨を溜めてた記憶が無いこともない」
もう十数年前になる記憶の埃を押しのけながら僕はそう答えた。
「雨と同じように愛情だって溜められたらいいのにねえ」
そう言って彼女はまた笑った。
「目に見えないものなんだから溜まってるかなんて分からないよ」
僕は溜息をつく。愛ってどうしてこんなに難しいんだろう。
「じゃあ、色を付ければいいよ」
「愛に?」
「そう」
彼女は指をくるくると回し、テーブルの上でその指を滑らせ、踊らせる。どうやら絵を書く真似をしているらしい。
「愛が見えるようになっちゃったら、それはそれで大変だよ」
それもそうだ、と僕の言葉に彼女は苦笑いをした。
また彼女は急に話を変えてくる。
「明日、行くの?」
「結婚式?行くよ」
「私は行きたくないなあ」
彼女のことだからきっと行きます、と返事はしてある筈だ。本当かは聞いてないけれど。彼女は僕が行くとこも知っている。
なのにこんな事を彼女が言うのは、このだらだらとした会話を終わらせたくないからなのだろうか。
「別にいいと思うけどねえ。元彼でしょ?今、君には彼氏もいるし」
「よくそんなにいけしゃあしゃあ、淡々と言えるね。君だって元カノのことなのに」
「何年も前のことだからなんとも思わないよ」
僕の元カノと、彼女の元彼の結婚式。何がどうなったのか、学生時代の同窓会で再開した二人は、暫くして恋人となり、その約2年後、つまり明日に結婚だ。
「祝福はしたいけどさあ。やっぱちょっとだけもやっとするよ」
「あの恋人でいた時間は無駄だったって?」
「それも、ある」
確か高校二年生の時だったか。明日結婚を迎える新郎を振ったのは彼女からだった気がする。
なかなかどうして面倒な人だ。
「やっぱり愛も雨みたいに逆さにした傘に溜められればいい」
どうした急に。そんな表情をしないでよ。
「それを溜めておけば、また別の恋でそれを沢山あげられるよ」
ぐい、と自分の珈琲を飲み干した。彼女と違って最初から冷たい物だけれど、いつもよりも舌が寒さを敏感に感知する。
「痛」
彼女はそう言ってからまた笑った。
「慣れないこと言ったからね」
「自覚はあるんだ」
「ほら、もうこの話題はいいでしょ。明日何着ていくの。ドレス?」
薄い水色の肩出し系のやつ着ていく。でも露出高いやつにするとあいつに怒られるからふわっとした感じの。
ぺらぺらとまた目の前の口が回り出した。あいつというのは今の彼氏のことだろう。どうやら彼女は上手いこと雨を溜められているみたいだ。
「うわっ」
「やっぱりその珈琲冷えてたんだ」
「いや、ぬっるい。うわー、すごい嫌。お代わりする」
まだまだこのなんでもない会話は終わらないらしい。
彼女の変わりに店員さんを呼ぶボタンを押しながら外を見ると、雨はもう小雨になっていた。
これなら走れば無事に家に帰れそうだ。
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