本が繋いでくれたもの

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本が繋いでくれたもの

「へぇ。コレ、俺は持ってないな」  次の週の月曜日。電車に乗ってくる彼を、美雪は待ち構えてしまっていた。心情的に、であるが。待っている形になっているのは以前からであり、特別なことでもないので。  彼は「見つけたから、ひとつ買ってみたの」と、美雪の差し出した緑の柄の本を摘まんで、じっと見つめた。  やはり優しい手つきであった。彼がそのように優しく『本』を扱ってくれるだろうとは思っていたものの、そうしてもらえればやはり嬉しい。  このひとつはもう自分の持ち物なのだ。それを大切に扱ってもらえたら、嬉しくて当然ではないか。 「『幾山河』かぁ。実物見ると欲しくなるな。草木みたいで綺麗だ」  自分が初めて見たときと同じような印象を感じてくれたらしい。そんな些細なことに嬉しくなってしまった。よって声は弾んだ。 「そうだね。ブラインドボックスだったの初めて知ったよ。ほしいの出るかわかんないもんね」 「そうなんだよー。狙ったのなかなか出なくてさ。『斜陽』なんて、まったく出なくて、いくつ買ったか」 「うわ、それはしんどい」  もうこんなくだけた口調で話せるようになっていた。  ついでに、今更ながら名前も名乗り合っていた。  司(つかさ)と名乗った彼は、美雪の名前を聞いて「女の子らしくてかわいい名前だな」と褒めてくれたものだ。 「この『幾山河』ね、調べてみたんだけど、なんか切ない気持ちの歌だったみたいだよ」 「そうなのか。どういう?」  聞かれたので美雪は自分のスマホを取り出した。『本』はとりあえず、今のところスマホにつけてはいなかった。やはりなんだか、そんなところまで一緒にするのはためらわれたので。 「旅のうちに感じられた寂しさから詠まれた歌、なんだって」  簡単な説明と共に、美雪の差し出したスマホ画面を司は覗き込む。じっと見て、解説を読んでいるようだ。  少し前に読書アプリを入れていた。そして若山牧水の歌集をひとつ買ってみた。  司のするように、食い入るようにページを繰る、というほどの読み方ではない。  それよりはむしろ、画面に表示させて、じーっと見つめて、言葉ひとつ。文字ひとつ。  そういうものから、「これはどういう気持ちで詠まれて、どんな気持ちを込められているのかな」と思いを馳せる。美雪はそういう楽しみ方をしていた。 「ありがとう。……若山牧水って、恋の歌が多いってイメージあったけど、こういう切ない歌も詠ったんだな」  一通り見終わったのだろう。お礼のあとに、司は言った。 「そうなんだ? ほかの歌も知ってるなんて流石だね」 「そう詳しくはないよ。けど、気に入ったのはあってさ……」  言いながら今度は自分のスマホを操作して、その気に入ったという歌を出してくれる。それを今度は美雪が読ませてもらう。  そういうやりとりができるようになったことを嬉しく思う。  単純に楽しいし、知識が増えていくのも嬉しいし、そして文学作品に触れ、それを楽しむということも知った。  たくさんのことを、司に教えてもらったのだ。  そして今では思う。  電車ではないところでも会えたらいいのに、とか。  行ってみたいところがあった。  それは本屋さんである。  実際の本を見ながら、作品について話してみたい。司は電子書籍をメインで読んでいると言っていたが、だからといって実物の本を見に行かないわけがないだろう。本好きであるのに。  そこへ一緒に行けて、本の話ができたらそれはどんなに楽しいだろう。  これほど興味を沸かせてくれたのだ。楽しいものは、もっといっぱい見つけたい。  でもそれは、実のところ純粋100%の気持ちというわけではなかった。よって口に出せないのであったが。  ……単純に、プライベートの時間に二人で会いたいなど。そのようなことは。 「あ、着いちゃうな。……俺の学校、明日から夏休みなんだよ」  それは数日前に聞いていた。美雪はそのまま頷く。 「そうだったね。いいなー。うちは明後日だから」 「まぁまぁ、一日なんて誤差だよ」 「誤差なら休みが多いほうがいいよ」  言い合って、ちょっと笑った。そして司はまた、手をあげて電車を降りていった。  ぷしゅっと音を立ててドアが閉まり、電車が発車する。すぐに速度を上げて次の駅へ向かって走り出した。  美雪は、はぁ、とため息をついてしまった。  明日は一人の電車なのだろう。学期最後の通学が一人なのは、なんだか寂しい。明日からしばらくは会えないのだろうし。  でも司は特に気にした様子もなかった。今だって、「じゃ」なんていつもどおりに手をあげて降りていってしまったくらいだ。美雪としばらく会えない日々になっても、特に気にすることもないのかもしれない。  やっぱり私ばっかが気にしてるのかなぁ。  その思考は美雪の胸を、ちくりと刺した。彼も自分のことを多少は気にかけてくれていたらいいのに。そういう気持ちは、やはり確かにあったのだから。
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