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旅先の女
春の終わりの、花散らしの雨が降る夜だった。
当時の私は、大学を出ても就職先が決まっていない、いわゆる就職浪人という身分だった。日の高いうちは企業説明会に参加したり、大学の就職課を訪ねたりする退屈な毎日。確かに退屈ではあるがしかし、そう辛いと思ったことはなかった。私は就職に関して大変穿った考えを持っていたので、このモラトリアムはむしろ心地よかったのだ。人によっては違うのだろうけど、私みたいな3流大学卒は、どうせ就職してしまえば平日の労働を憎みながら週末の休息だけを乞い求める人生が約40年も続くのだ。やっと解放されても、気がついたらヨボヨボのおじいちゃんになっているなんて、あまりにも不幸なことじゃないか。
それに、アルバイト先のママも言っていた。人間、金持ちも貧乏人も、遅かれ早かれ行きつくところは棺桶の中。大切なのはお金やモノじゃなくて、棺桶の中でそっと微笑む死体になれるかどうか、だって。
「誰かのために、膝を汚して手を差し伸べることだけが人生さ。結局、本当の幸せなんてものは、人と人の間にしかないものなんだよ」
ママは酔っぱらうとよく私に絡んで人生を説いてくれた。酔うと必ず芝居がかった口調になるママ。他の従業員は面倒がったけれど、私はママの話す言葉の一つひとつがキラキラ輝いて、話を聞くだけで心の中に黄金の塊が積みあがっていくような気さえしていた。
「努力も挫折も苦しみも、いつか誰かを救う力になれるよう、そのためにあるんだよ」
ママの言葉にどれほど救われたことか。ママと出会わなければきっと、私は先の見えない暗闇に押しつぶされてしまっていただろう。
幼い頃からちょっとした霊感少年だった私は、友人の紹介でママの経営する小さなスナックでアルバイトをすることになった。
去年の暮れの話だ。ママは地元では有名な霊能者兼占い師だった。スナックのお客さんも常連のじいさんたちを除けば、占いやお祓いの依頼がほとんどで、そのアシスタントを探していたのだそうだ。
初対面のとき、ママは私の顔を見るなり「あんた、相当苦労してきたでしょ」と笑った。ママの第一印象は遠慮なしに大きな声でずけずけ話す、化粧が濃い少し太ったおばちゃんといった感じ。圧が強い。正直、苦手なタイプだった。
「そうでもないですけど……」
「あはは、そうかい! ま、どうでもいいんだけどさ」
大口を開けて豪快に笑うママ。いつも必要以上に他人にへりくだった態度で接してしまう私とは大違いだ。嫌われたくないとか、傷つきたくないとか、そんなくだらない自尊心の腐ったようなものが私の人生を不自由にしていた。
「ええと、鈴木 海クン? ちょっと手伝ってよ」
「え? あ、はい……」
ママの言葉にはウソ偽りが一切ない。心の裏に隠していることが何もない。
それは当時ほとんど人間不信に近かった私には、とてもありがたいことだった。人の言葉の裏を読むことに、疲れてしまっていた時期だったから。
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