旅先の女

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§ 「海クンさぁ、今日この後ちょっとした『相談』あるから、もうネオン落としちゃって」 夜の10時ごろ、スナックとしてはまだ真昼みたいな時間にママがグラスを磨きながら言った。テーブルを拭く手を止めて、ママを見る。彼女の言う『相談』とはすなわち、『心霊相談』のことだ。 「いいんですか?」 「ああ、いいのいいの。外は雨だし、辰さんも次郎さんも今日は来ないでしょ」 私は「わかりました」と答えつつ、ママの店の経営を思った。最近ホント、占いと心霊相談ばっかりだ。ママが常連さん意外にお酒を作っているところを見たことがない。もうほとんど占いの館と化しているこの店だけど、バイト代はそこそこ弾んでいるし、ちゃんと儲かってはいるんだろうか。 店の裏手に回り、電子盤をいじって看板の電源を落とす。フロアに戻った私を出迎えたのは、ママの携帯のド派手な着メロだった。キャラクターのストラップが千羽鶴のように折り重なったガラケー。ここまでくるともう、どっちがストラップなのか分からないな。 「はい、アタシ~。うん、うん……。えっ!? うっそ!」 目を見開き、大げさな身ぶりでママが話す。何の話だか知らないが、あまりいい話ではなさそうだった。ママは眉根に皺をよせてピンクに近い紫色の前髪をかき上げ、暗い声で「わかった」と答えると電話を切った。渋い顔で私を振り返る。 「島田さんちのポルターガイスト、また出ちゃったんだって……」 「えっ」 島田さん、というのは郊外に大きな酒蔵と田んぼを持つ大地主の一族だ。そこのお酒を店に卸している関係でママとも交流があるのだが、数箇月前、その島田さんからママに心霊相談が持ち掛けられた。身内の恥だから詳細は言えないが先々代の三男坊がとある人物の怒りを買い、それ以降島田家は原因不明の器物損壊に悩まされているというものだった。大きな机の脚が抜けて倒れたり、酒瓶がひとりでに宙を舞ったり、そういうものが大層な頻度で起こるものだから、気持ちが悪くて仕方がない。先々代も先代も、もちろん当代も様々な霊能者、拝み屋、神主の類に助けを求めたがどれも効果がなかった。 ママが何をしたのか、島田さんに何をさせたのかは知らないが、ママが出張って以降ポルターガイストは治まったというから驚きだ。少し前、喜びと感謝で頬をツヤツヤに輝かせた当主が酒樽をいくつも軽トラに乗せて持ってきたのだから間違いがない。 その島田さんちのポルターガイストがまた出たのだという。 「あの人たち、たぶん言いつけ守らなかったんだなぁ……。しばらく無かったから、油断したんだ……」 ママはあごに手を当てて、ぶつくさ言いながらお店のなかをぐるぐる歩き回った。水族館で色鮮やかな回遊魚を見る感覚でぼんやり見つめていると、ママは突然立ち止まり「あっ!」と言った。 「そういえば、この後『相談』の依頼入ってるじゃん!」 「はい。さっき言ってましたよね」 「でもアタシ、島田さんちに行かないとじゃん……?」 「……?」 ママは妙に媚びた目で私を見つめる。あ、嫌な予感……。 「海くんさぁ、こっち、任せていい?」
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