魔法と運命

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 この人の名前を私は知らない。  蜂蜜色(はちみついろ)の髪をした魔法使い。いや、元・魔法使いというべきかもしれない。  彼は、私の父からの依頼で派遣されて来たと言った。  亡き父はロマの血を引く占い師で、魔法使いの組織とも繋がっていた。父には未来視という異能があって、その力を見込まれて組織の仕事をしていたようだが、そんなに詳しくは知らない。  私が乗った列車が大事故を起こすのと同じタイミングで、父は自ら命を絶ったのだという。未来視で事故が起きるのを知って、自分の命と引き換えに私を助けるよう組織に依頼していたそうだ。父の遺言や日記の類は何もないから、この人の話が本当かどうか確認するのは不可能だ。  私は十七歳の無力な人間で、どこにあるかもわからない魔法使いの組織のことなんて調べようがない。  夏の終わり、見知らぬ恐い魔法使いが現れた日、私を治してくれたこの人の記憶は言葉一つ残さず消え失せてしまった。  生まれたての赤ちゃんのように泣く彼を、私は必死に抱きしめることしかできなかった。  あの日から彼の精神はまっさらな状態となり、私の世話なしでは何ひとつこなせなくなった。体だけは普通に動くのでそれだけは幸いに思うけれど、食事や着替えの仕方まで忘れてしまったため、朝から晩まで付きっきりで面倒をみないといけない。  それでも日に日に、少しずつだが、私の言うことを理解できるようになってきた。 「まりあ」  私を呼ぶ発音はまだたどたどしいが、無垢な笑顔を向けられる日々は悪くない。愛犬のレオも頼もしく寄り添って面倒をみてくれている。  魔法使いというのは、人間の何倍もの時間を生きられるらしい。修復という特別な魔法をかけられた私は、この人が生きている限り今の姿形のまま生かされ続け、死ぬ時まで道連れなのだと聞いた。  だから、焦る必要は全然ない。幼な児を育てるようなつもりで色々なことを教えてあげれば、やがて私と対等に話せる日は必ず来ると思う。 「名前をつけてあげるね」  今、この人の中に苦悩や哀しみはない。このまま幸せだけを感じていて欲しかった。 「アンヘル。スペイン語で天使のことよ」  深い青色のきれいな目を見つめて言い聞かせる。  この目を曇らせないよう守って生きることが、私の運命に違いない。 「ずっと一緒に生きていこうね」  優しく頬にキスすると、アンヘルはくすぐったそうに笑って私に抱きついた。 「まりあ、すき」  彼の細身の体から、ふわっとお日様の匂いがした。 「私も大好きよ、アンヘル」  大切な私だけの天使。 (完)
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