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こうして世界は救われた
買い物を終えたスーパーの帰り道。大きな雨粒が傘を打つ音を聞きながら歩く琴子の視界に入ったのは、空を仰いでじっと立ち尽くす男の子だった。
いつからそうしているのか。全身ずぶ濡れだというのに彼は微動だにしない。少し迷って、琴子は足を踏み出した。
「あの、大丈夫?」
手にした傘を傾けながら問い掛けると、彼は大きく目を見開いた。綺麗だが珍しい、赤色の瞳。黒い髪から滴る水が顎を伝って落ちていく。
「ええと……こんな所にいたら風邪ひくよ。早くお家に帰らないと」
「家、」
「あ、もしかして帰り道がわからないとか?」
「ううん……わかる」
戸惑ったように首を振る男の子の頬を、持っていたハンカチで拭う。案の定すっかり冷えてしまっている彼は少しだけ目を緩ませた。
「一人で帰れそうかな? 電話あるけど、お家の人に連絡する?」
「大丈夫。すぐ来る」
「そっか……それなら、」
小さな手を取って、傘を握らせる。パチパチと瞬きをする男の子の頭を撫でて、琴子は一歩後ろへ下がった。
「その傘は君にあげる。こんな天気だし、気を付けて帰ってね」
「あ、」
「帰ったらお風呂入らないと駄目だよ!」
男の子を置いて傘の下から出ると、雨は痛いくらいに打ち付ける。
余計なお世話だったかもしれない。でもたった一人、雨の世界に取り残されたかのように寂しそうな姿を放っておくことは出来なかった。
――何があったのかはわからない。でもせめて冷たい雨くらいからは、この傘が守ってあげられますように。
買い物袋を抱え、琴子は振り返らずに走り出した。
***
「やっと見つけましたよ、魔王様!」
「…………」
背後から突如掛けられた部下の声は放って、駆けていく後ろ姿を目で追った。数秒もしないうちに彼女は雨の向こうに消えてしまったが、頬に、手に、触れられたぬくもりはまだ残る。
「まったく、人間界を滅ぼすのはいいですがお一人で行くのはやめてくださいと何度言ったら、」
「やめた」
「……は?」
「何度も言わせるな。帰るぞ」
「えっ、ま、魔王様!?」
慌てる部下に背を向けて歩き出した。
淡い桃色の傘をくるりと回す。彼女の瞳と同じ優しくて暖かな色が、灰色の世界から遮断するように頭上を覆う。
「……人間も案外、悪くない」
自分が口元を綻ばせている事に彼は気付かない。小さな呟きと共に、少年の姿はかき消えた。
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