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「お客さん。名刺をお持ちですかい?」
不機嫌そうな声がかかり、松原は老婆に視線を移す。
「名刺を渡さなきゃいけないのか?」
老婆の言葉に、松原は驚いて質問を返す。
「ええ。ここではそういう決まりとなっておりますんで」
老婆が眉間に皺を寄せて、松原を促してくる。
抱くつもりもなければ、二度と来るつもりもない。気が引けたが、松原は老婆に名刺を手渡した。
案内する老婆の後を追うように二階に上がると、まるで旅館のように長い廊下が姿をあらわす。右手側に部屋が連なっているようで、襖が点在していた。
一番奥の部屋の襖を老婆が開き、松原を中に入るように促す。
「すぐに参らせますので、座って寛いでくださいな」
老婆はそう言うなり早々に立ち去ってしまう。まさかあの老婆も、昔はここで客の相手をしていたのだろうか。
松原は腰の少し曲がった老婆から視線を逸し、下世話な考えを振り払った。
四畳ほどの畳の部屋に、松原は足を踏み入れる。久しぶりの柔らかな畳の感触に、不思議と心が落ち着いた。
田舎にある親戚の家が平屋建てで、部屋が全て和室の造りとなっていた。従兄弟の部屋がこの部屋と同じぐらいの広さで、よく従兄弟とその部屋で遊んでいた記憶がある。兄弟がいない松原にとって、従兄弟の存在は大きい。今は交流がぱったり途絶えてしまっているが、高校に上がる前までは一人で何回か行ったこともあった。
その家には大広間があって、家族そろって食事を取っていた。お茶碗片手に楽しげに家族に話をしている従兄弟の姿を見ては、胸に一抹の寂しさを感じていた。
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