フール日和

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フール日和

 2018年5月7日  友永は清洲城にいた。友永は頭があまり良くなく6×6が40だと思っていた。暴漢にナイフで刺されたが死ななかった。    パパからは、「小学3年生にもなるのに九九も出来ないのか?」と怒られてばかりだ。  友永はパパが嫌いだった。  足がものすごく臭いんだ。  清洲城ってのは徳川家康が築いた城だよな?そう思って橋を渡った。五条川がサラサラ流れている。野良犬に噛まれたが傷一つ負わなかった。公園にやって来た。  クイズマンが現れた。トライのCMに出てくる詐欺師みたいなメガネキャラだ。 「シアンの意味は古代ギリシア語で何でしょうか?」  真の意味は『暗い青』なのだが、友永は「ハート」と答えた。思案のことだと思っていたらしい。 「馬鹿はコレだから嫌なんだよ」と、舌打ちをされた。スゴい嫌な気持ちになった。  誰かコイツを殺しちゃくれないだろうか?  公園には信長の像や濃姫の像がある。  友永はリナってクラスメイトを好きだったがナカナカコクれないでいた。  友永勇気は鎌倉時代からやって来た北条政子(ほうじょうまさこ)とセックスをした。  口でしてもらい、大量に発射した。 陰茎:肉樹 膣:蜜壷 小陰唇:花弁 肛門:菊座       北条 政子(保元2年(1157年) - 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室。  伊豆国の豪族、北条時政の長女。子は頼家、実朝、大姫、三幡。兄弟姉妹には宗時、義時、時房、阿波局、時子など。  周囲の反対を押し切り、伊豆の流人だった頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると御台所と呼ばれる。夫の死後に落飾し尼御台(あまみだい)と呼ばれた。  頼朝亡きあと征夷大将軍となった嫡男・頼家、次男・実朝が相次いで暗殺された後は、傀儡将軍として京から招いた幼い藤原頼経の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。  なお、「政子」の名は建保6年(1218年)に朝廷から従三位に叙された際に、父・時政の名から一字取って命名されたものであり、それより前の名前は不明。    2019年4月10日  上杉健は三春の滝桜を見に行った。黒磯を経由して、新白河→三春。途中、磐越西線で気持ちの悪い婆さんがいて酒を零した。  気をつけないといけない。馬鹿は不死身って噂だ。滝まではメチャクチャ遠かった。  鼻水を垂らしたアンポンタンが歩いている。気をつけないといけない?口から火でも吐いたりするかも知れない。  ホテルウエスギってところに泊まった。   夕食はトンカツだったが、まぁまぁ美味かった。雪が降ってきた。特捜9を見た。  ノックがした、殺し屋じゃないだろうな?馬鹿にならないといけない!  健はブーツを脱いで足のニオイを嗅いだ。  スゴい臭い!  よし!コレで大丈夫だ!  鍵を開けたら斧を手にした気味の悪い奴が立っていた。黒いビニール袋を被っている。 「僕は馬鹿だぞ?かっ、かかって来い!」   「おめーの馬鹿はマジじゃない」  健は顔面をグチャグチャに潰されて死んだ。  政子は伊豆国の豪族・北条時政の長女として生まれた。  伊豆の在庁官人であった時政は、平治の乱で敗れ同地に流されていた源頼朝の監視役であったが、時政が大番役のため在京中の間に政子は頼朝と恋仲になってしまう。  頼朝との婚姻は治承元年(1177年)の頃と推定される。『吾妻鏡』によると時政はこの婚姻には大反対であったという。同書にはこの時のことについて、後年、源義経の愛妾の静御前が頼朝の怒りを受けたときに、頼朝を宥めるべく政子が語った言葉で「暗夜をさ迷い、雨をしのいで貴方の所にまいりました」と述べたと記されている。 しかし最終的に時政はこの二人の婚姻を認めた。政子は、まもなく長女・大姫を出産する。時政も2人の結婚を認め、北条氏は頼朝の重要な後援者となる。  なお、軍記物にはこの婚姻についての逸話がいくつか書かれている。 『曽我物語』によると二人の馴れ初めとして、政子の妹(後に頼朝の弟・阿野全成の妻となる阿波局)が日月を掌につかむ奇妙な夢を見た。妹がその夢について政子に話すと、政子はそれは禍をもたらす夢であるので、自分に売るように勧めた。当時、不吉な夢を売ると禍が転嫁するという考え方があった。妹は政子に夢を売り、政子は代に小袖を与えた。政子は吉夢と知って妹の夢を買ったのである。吉夢の通りに政子は後に天下を治める頼朝と結ばれたとする「夢買い」をした。   
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