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10億分の1メートル?
いつまでもいつまでも、やむことのない、長い長い雨の夢。
そんな寒々とした、水浸しの世界で、僕ちゃんは、いっつもいっつも、ずぶ濡れになっていた。
何をどうしてもずぶ濡れになってしまう、僕ちゃんの人生は、生温い水槽の中で溺れ死ぬことで、幕を閉じた。まるで飼っていたのを忘れられたアメリカザリガニみたいに。
死がもたらしたこのうえない暗闇は、時間を超越し、空間を限りなく支配した。
それでもそこには、ほんの少しの光があった。
意識だ。
あるいは、純粋な思念かもしれない。
重々しい黒鉄の雲をかき分け、光をかき集め、そして集めた光を掬いとるように、僕ちゃんは意識を、思念を、もう一度手のひらにのせることに成功した。
そして、僕ちゃんは目が覚めた。
そして、そこには彼女がいた。
そして、言葉があった。
「け、結婚してください!」
そして、彼女は、微笑んだ。
「フフフ」とね。
「ん?」どこ?
「フフフ」。
彼女は、何か地面にぽっかりあいた洞穴でも覗き込むように、僕ちゃんを見下ろした。
僕ちゃんはゆっくりと目をパチクリとし、合わないピントをもて遊んでいた。
と言うか、何がなんだかさぁさっぱりだった。
そして、空白の時間をたっぷり使って、彼女はゆっくりとした口調で話し始めた。
「ながい夢でしたね、おかえりなさい。そして初めまして」。
どこなんだろう?
ここは?
喉に軽い痛みのような痺れを感じた。
飲み込もうと思った唾液は、そこにはなかった。
「というか、あなたの夢の中で一度会ってるから、二度目ましてね」
「ん?」夢? ああ、夢。
「でも、結婚はまだ早いわ。もっとお互いをよく知らなくちゃね。おはようございます。多田野卓さん」なぜその名前を? 僕ちゃんは、動かない身体で訝しげた。
そして僕ちゃんはこの雰囲気を誤魔化せるものが何かないかと、眼球をギョロギョロと動かした。
すると目の奥から痛みが亡霊のように追いかけてきた。
僕ちゃんは歯を鳴らすようにスゥーっと息を吸った。
そしてクッと目を瞑り、目蓋の裏に話しかけた。
「明るいなぁ、やたらと眩しい」
そしてゆっくりと目を開けぼやけた姿の彼女を確認した。
「まだおきたばっかりですもの、そのうち目が慣れてくるわ」
「そうだといいけど、あぁ眩しい。と言うか? なんで僕ちゃんの本名を?」
「なんでって? 名前も知らない人を冷凍保存しないわ。ちゃんと身分を明らかにする必要があるの。うちの冷凍庫では、あなた専用のアカウントをつくらなくちゃいけないし、ソーシャルセキュリティーとの照合も、あるしね、でも大丈夫、個人情報は外には漏れてないので、安心してください」
「冷凍保存?」僕ちゃんは解凍されたチャーハンのように話した。ポーッとして、まだ意識が覚束ず、米と米がくっついているみたいだった。
そんな僕ちゃんの気分とはよそに彼女は強火で話し始めた。
「いわゆるコールドスリーブよ、あなたは凍らされて大事に保管されていたの。だから今は、ほら、解凍ほやほや、フフフ」
「ほやほや? あぁ、頭が痛い。キーンとする。 身体がなんだか痛いんだけど?」そしてまったくもって、動かない。ただただ天井を眺めるだけだ。
「それも、そのうちなれるわ」
「でもなんで凍らされたんだろ?」
「もちろん、あなたがそう、望んだからよ」
「僕ちゃんがそう、望んだ?」
「そうよ多田野さん。あなたが、そう望んだの」
僕ちゃんは誰にも言えない、繋がった古い記憶を即座に使った。
「というか、僕ちゃんとお呼びください。嫌いなんです。その名前」。
彼女は弓をくぅっと引っ張るみたいに左の眉をあげた。
「それはそれは失礼、では、僕ちゃんさん。しばらくベッドでゆっくりしていてください。のち、先生が診察に来ますので。それと、まだ病気も怪我も治っていないので無理をしないように、お願いしますね。どうせ身体は1ナノも動かないでしょうけど。では、おやすみなさい」
ナノ? 10億分の1メートル?
「おやすみなさい・・・」そんないきなり寝れるわけなんて・・・。
その瞬間からどうやら僕ちゃんはまた3日間ほど眠ってしまった・・・。
らしい・・・。
・・・・そしてまた目が醒めると今度は真っ赤な部屋にいた。遠くで水の滴るような音が聞こえる。
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