声を聞かせて

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 次の日、登校してすぐ吉岡さんに声を掛けようとしたものの、逃げられてしまった。傘を返して欲しいのではなく、ただ、昨日の続きみたいに話が出来ればいいなと思ったのだ。しかし無理矢理追い掛けたらそれこそストーカーになってしまう。僕はタイミングを見計らっていた。  そしてその時はやってきた。次の授業は理科室へ移動しなければならない。移動のどさくさに紛れて少しくらい会話が出来るかもしれないと僕は目を付けた。休み時間になり、友人に「先に行ってて」と伝えて僕は一人になった。吉岡さんの背後にそっと近付き声を掛ける。目の届く範囲だと逃げられてしまうと思ったからだ。 「吉岡さん」  まだ気付いていない。僕は昨日のように、肩に軽く触れながら繰り返した。「吉岡さん、昨日、大丈夫だった?」 「ひっ!」  立ち上がりかけていた吉岡さんは、机に膝をぶつけたらしく、ガタンと派手な音を立てた。ぐらついた机を手で支えている。僕も一緒に支えた。 「あ、ごめん。驚かせるつもりは無くて」  吉岡さんは僕を見るなり眉を顰めた。顔も見たくないという風に、頭がどんどん下がっていく。僕は彼女の気を引こうと必死で話し掛けた。 「昨日さ、えっと、濡れなかった? 風邪とか引かなかった?」  下がる頭に合わせて僕も目線を下げていった。膝を曲げていき、終いにはしゃがんだ格好になってしまった。吉岡さんは何も言わない。その間も教室では、クラスメイトが会話をしたり動き回ったりと騒めきが溢れていた。僕はここで、彼女が声を聞きとれないのだとやっと気付いた。昨日普通に会話をした所為で難聴であることをすっかり失念していたのだ。不味いと思った。吉岡さんは、僕の声を聞きとれないことで罪悪感を覚えるかもしれない。僕は声量を上げ、出来るだけ聞き取りやすいようにはっきり喋った。 「吉岡さん、僕、笠山だよ! 次の授業、理科室だから移動……」  ストーカーだと怪しまれない為に名乗り、当たり障りのない話をしようとした。しかし、 「それくらい、分かってるよ!」  吉岡さんは子犬の鳴くような声で怒鳴った後、教室を走って出て行ってしまった。僕は呆然とその後を目で追った。もう姿は見えない。しゃがんだ体勢のまま項垂れた。完璧に色々間違えてしまった。嫌われたかもしれない。  昨日の吉岡さんの笑顔を思い出していた。僕の名前だけで笑ってくれたあの時間はもう遠い幻のように消えてしまったのだと思うととても寂しかった。
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