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梅雨の攻防
今ではもう毎年恒例となった梅雨に関する話を一つ。俺と孤独さんがそいつに出会ったのは数年前のこと。梅雨前の晴れたある日の宵闇にトポトポと道を歩くそいつを偶然見つけた。大きさ五センチほどの小人だ。両手で小さな笛を抱えて歩いていた。
「こんにちは、初めて見たなぁ。君はなんていう種族なの?」
怪異野次馬野郎と名高い俺も、普段から怪異と戯れている(ねじ伏せているとも言う)孤独さんも、そいつのことは知らなかった。だからこそ俺達は興味津々で、これでもかと小人をつついてみたり眺めてみたりを繰り返した。
どうやら言葉は喋れず鳴き声もない種族らしい。数分間の観察でそれがわかった。でもまだまだ正体不明だ。
「こいつ何でしょうねー?」
「うーん…。そういえばその楽器はなぁに?」
孤独さんが細長い指をそれに向け尋ねる。小人はギュッと笛を抱きしめた。
「大事なものなんスかねぇ?」
「ねぇ、奏でてみてよ」
よくわからない状態で何が起こるかわからないことをさせようとするのはいかがなものか。…いや、そりゃ確かに何かしらのアクションを起こさせないと正体もわからないままだけれども。
小人は笛を抱きしめたまま何かを考えるように固まっていた。それでも数秒後にはコクンと頷き笛を構えた。演奏してくれるらしい。
それは水を彷彿させる音色だった。サラサラと流れてチャプチャプと跳ね、自由に揺蕩う様な掴みどころのない不思議な音楽。チラリと孤独さんの方を見てみるといつものアルカイックスマイルはどこへ行ってしまったのか。心の底から楽しんでいるキラキラとした表情がそこにあった。お気に召したらしい。
やがて音楽が終わった時、孤独さんが空を見てポツリと呟いた。
「…梅雨だ」
途端に雨が降り始めた。慌てて空を見てみると先程までの晴天は跡形もなく、空一面に曇天が広がっている。そういえば孤独さんは梅雨入りとかがわかるらしい。
そうか、梅雨入りしたのか、と雨に濡れながらぼんやり考えつつ視線を元に戻すと、興奮冷めやらぬ様子の孤独さんがいた。
「君は梅雨を運ぶのか!」
いつもよりワントーン高い声と眩しい笑顔。十人中十人の女の子を落とせそうなそれだ。ちくしょう俺にもそんな笑顔があれば自分より背が小さくてスタイル良くて可愛い顔で胸がでかい子に乱用するのに。
頭の中が私欲でいっぱいだった為に俺は小人に警告し忘れていた。「今すぐ逃げろ」、と。眩しい笑顔の孤独さんは、相手をとても気に入ってしまっていてそれ故に何をしでかすかわからない、という危険信号であることを失念していたのだ。
梅雨も半ばとなった日の夜、孤独さんと俺は再び小人の元を訪れた。といっても俺は孤独さんに着いて来ただけだが。
「さぁ、また奏でてよ。その音色が梅雨を呼ぶのなら、もう一度奏でれば梅雨の延長が出来るでしょう?」
前回と変わらないキラキラ笑顔だが目がマジだ。逃げろ、ダッシュで逃げるんだ、と言いたいが巻き込まれたくもない。結局傍観に徹することにした。
小人はその小さな頭をフルフルと横に振って拒絶した。奏でて、嫌だ、奏でて、嫌だ、と押し問答が十分程続き、小人が折れた。スッと笛を構えたのだ。孤独さんの目がより一層輝く。音楽が始まった。
曲が終わった頃、孤独さんの顔は蒼白になっていた。天気はカラリと晴れて蝉のうるさい鳴き声が響いている。数分程硬直していた孤独さんはやっと口を開いた。
「二度目の演奏は、梅雨を終わらせるのかな?」
氷水よりも冷たい声だった。笑顔も、いつの間にか絶対零度の微笑みとなっている。その凍えるような気迫にビビったらしい。震えながら小人はコクリと頷いた。こうなった孤独さんはかなり恐ろしいことになるんだよなぁ、と二、三歩引いたところで眺める。孤独さんから漂ってくる冷気が涼しくて心地よい。
そうかそうか、と頷いた孤独さんは、俺の予想に反して何もすることなく立ち去った。なんだ、孤独さんも落ち着きが出始めたのか、と思っていたのだが甘かった。
翌年。梅雨の終わりの夜中に孤独さんは小人から笛を取り上げていた。全っ然大人しくなってねぇよ! 誰だよ! 落ち着きが出始めたとか言った奴! 俺だ‼
内心で去年の自分へツッコミを入れながらそれでも巻き込まれたくないので去年と同様傍観。
これは孤独さんの勝利かなぁ、『異常気象!梅雨明けしない!?』とかテレビでやるのかなぁ、と考え始めたその時。
小人が歌いだした。なんだ、喋れないわけじゃないのか。…じゃなくて。孤独さんから逃げ回りながら小人は見事に歌いきった。その頃には雨が止み晴天と蝉の声。呆然とする孤独さんから笛を奪い返してどこかへと消えていった。小人の勝利。
さらに翌年の梅雨の終わり。町が寝ている時間帯に孤独さんは懲りずに小人の元へ向かった。素早く小人を捕獲し笛を取り上げ、口を粘着テープで塞いでぐるぐる巻きに拘束。お見事、プロの技ですねぇ。なんて俺の中の実況と解説が盛り上がる。今年こそ孤独さんの勝利、と思われたが。
突如、小人が破裂。といっても肉片が、とかのグロいものではない。全て液体だ。それもどうやら水。この小人、水でできていたのか、と俺が感心している間に勝負は一気に進んだ。
弾けとんだ水分が一瞬だけ宙を舞って、それから引き寄せられるように一点に吸い込まれていく。そしてその水分達が徐々に形を作り始める。見えてきたのは小人の頭だ。何がなされているのか気がついた孤独さんが、慌てて残りの宙に浮いている水分を操り手元に置くもすでに手遅れで。
頭だけ再生されて、なんだかストラップみたいに可愛さ溢れるその姿で歌い始めた。音を紡ぐその口を塞ごうにも、孤独さんの両手は小人の残りの水分を捉えているので塞がっている。
結局またしても小人が歌いきり晴天到来。悔しがっている孤独さんの手元から残りの水分を吸収して去っていった。
それから数年。いつの年だったか孤独さんは呟いた。
「…燃やせばあるいは」
そうすれば蒸発するんじゃね?と。水をこよなく愛する孤独さんのアイデンティティ崩壊の瞬間である。
そしてどうやらそれは正解らしく、一度炎をチラつかせてから小人は本気で逃げ始めた。後ろ姿を一瞬だけ見た、という成果の得られない年もあったくらいに。
小人の弱点に気がついた年以来、梅雨に入ると毎夜毎夜チャッカマン装備で町を彷徨う孤独さんが見られるようになった。今ではこの町の風物詩だ。
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