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森はひどく静かだった。
咳一つでも、こだましそうなくらい静まり返っていた。
ドイツ軍の猛攻に苦しめられたソ連赤軍は、大規模な反撃を計画するにあたって細心の注意を払っていた。通信を封鎖して、移動を夜間に限り、軍の規模と標的をドイツの諜報から隠し続けた。
ここベラルーシにおいても、防御要塞を構築すると見せかけ、攻勢に反転する様子をけして探らせなかった。
「もうすぐ、始まるな」
コンスタンティンに言われて、イワンはごくりと唾を飲みこんだ。
この静寂は、今宵一晩限りだと思えば、息苦しいまでの張りつめた空気も、貴重に感じられる。
「さっき聞いてきたんだが、この戦いには『バグラチオン作戦』という名前がついてるんだとさ」
「バグラチオン? なんだぁ、そいつは」
「フランスのナポレオンが攻めこんできた時にロシアを守った将軍の名前だとよ」
「はあ。オレらには関係ねえこったな」
「ああ。歴史に残る英雄になるのは、正規軍の将軍様や元帥閣下さ。オレらじゃねえ」
「けどよ、オレらの協力で、この土地から、アイツらがいなくなんだろ。そんで十分だろうが」
「そうさな。いけ好かないヤツらに、いつまでもここで、でかいツラされたくねえからな」
歴史は繰り返す。
これまでの争いで、この地には膨大な量の血が沁みこんでいた。ドイツ兵の血が流れ、ロシア兵の血が流れ、ベラルーシの民の血が流れた。
ソ連赤軍の残党であるパルチザンも、ドイツ側に与する国民解放軍も、赤い血を持つ同じ人間なのに、争いは止むことがない。
明日の大攻勢で、さらに多くの人々が倒れ伏して屍をさらすだろう。
黒土の大地に、河の水に、小暗い呪詛とともに赤い鮮血が降り注ぐ。
イワンやコンスタンティンら、名もない人々の命は風前の灯火だった。
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