大好きなXXXXX 1

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大好きなXXXXX 1

(1)  世界はあたたかい。  窓から入る日差しも、時間ごとの食事も、道を歩く親子のつないだ手の間も、きっとあたたかい。  ただ、たまに、そういうものが届かない場所もある。オリヴィア・ターナーはそこにいた。 「おはようございます」  居間に入って継母に頭を下げて朝の挨拶をする。それを無視され、食卓に自分の分の朝食がないことを確認して、キッチンへ向かう。そうして、自分のためだけの朝食を作ることから、オリヴィアの朝ははじまる。  居間に食事を運ぶと、継母の姿は消えている。いつものことであり、二人が選んだことだった。 「いただきます」  パンとスープとオムレツ。パンは買い置きを、スープは昨夜自分が作ったものをあたためなおした。オムレツも作りたてなのであたたかい。少女はそれを食べやすい大きさにして、口に運んで、咀嚼して、嚥下する。あたたかいものを、無表情で食べる。 「ごちそうさまでした」  朝の作業をひとつ終えて、オリヴィアは次の作業に入る。後片付けが終わったら、次は家の掃除。その後は長期休暇用の宿題。その後は昼食の準備と、作ったものを食べることと、後片付け。その後は、することがない。 (一日中、宿題をしていてもいいけど)  日当たりの悪い自室の机に座って、ぼんやりとオリヴィアは物思いに耽る。 (それだと、あっという間に宿題が終わって、休暇の残りを持て余すから、だめ。本当にすることがなくなる)  クラスメイトはきっと、近くの友達を家に招待したり、母親にお菓子や編み物を教わったり、あるいは弟妹、もしくは兄や姉と遊んだりしているに違いない。以前読んだ、同年代の女の子が主人公の小説を思い出しながら、オリヴィアは想像する。 (テオ兄さんは、どうしてるだろう)  従兄のテオは騎士として首都で王宮警護の任についている。技術の発達に伴っていろいろな職業が増えたいまでも、騎士、それも王宮警護ともなれば、少年には憧れの仕事だ。テオも例に漏れず幼少の頃から憧れ、日々鍛錬と勉強を重ね、ついにその地位を手に入れた。普段なら短くともきれいな字で綴られる手紙が、興奮からかその報告の時だけはずいぶんと歪んでいたことを、オリヴィアはよく覚えている。 (手紙が少なくなったのは、そのころからだったかしら)  きっと、忙しいに違いない。それに、田舎で、歳が離れているとはいえ従妹は従妹、親族だ。親族内に嫌われ者がいることは、きっと好ましくないのだろう。手紙にもいつも、友達を作れと書いてある。 (作れるものなら、作ってる)  心の中で八つ当たりをして、そんな自分をオリヴィアは嫌悪した。彼は心配して言ってくれているのだと、どうして自分は考えられないのか。 (……散歩に行こう)  外出したところでどうなるわけでもないが、自己嫌悪の坩堝にはまりこむ前に目先を変えてしまおう。ため息をつきながら、オリヴィアはハンガーからコートをはぎ取った。  路面は霜と、解けた霜が作った泥でぬかるんでいる。滑って転ばないように注意しながら、そぞろ歩いた。  仲の良さそうな少年たちや、楽しげに会話する親子連れとすれ違う。オリヴィアと同じように、ひとり無口に、うつむき加減で歩く人もいる。冬というのは、そういう季節だ。  中央の広場を抜けて、町の反対側にさしかかる。まっすぐ進んでも横に逸れてもいい。どうせ行く宛はない。 (森か、墓地か、どっちに行こう)  誰もいないという点ではどちらも同じだ。オリヴィアはなんとなく、墓地に足を向けた。それは町外れの教会の裏にあり、町の人間はだいたいそこに弔われる。オリヴィアの両親も同じく、そこに。 (墓地なら、柵を越えたら森だしね)  じゃくじゃくと、泥と霜の破片を踏みつぶしながら歩く。枯れ木に囲われた墓地は不気味だ。この季節だと、たとえ家族が眠っている場所でも、人があまり寄りつかなる。仕方のないことだとオリヴィアは考えながら墓守の小屋を一瞥だけして、両親の墓まで歩く。  霜か雪かわからない冷たいものを、手で軽く払う。濡れた手をコートで拭い、その場にしゃがみ込んだ。足は少し疲れるが、さすがにぬかるんだ地面に直接座ることはしたくない。かける言葉もなく、ただなんとなくそうして時間を過ごす。両親の記憶は、ほとんどない。 「別に、悲しくなんかない」  口に出してみると、思っていた以上に無感情な声が聞こえて、オリヴィアはそのことに少しだけ驚いた。風が枯れ木を揺らし、枯れ枝がこすれ、音が鳴る。そちらの方が、よほど悲しげに聞こえる。まるで誰かが泣いているかのようだ。足下からも聞こえるそれに、なんだか自分が泣いてるような気がして、つい反論してしまう。 「泣いたって、なんにもならないのよ」 『でも、他に、できることがないんだ』  反射的に、オリヴィアは飛び上がった。自分で踏みつぶした霜のぬかるみに足を取られて、尻餅をつく。 「いた、つめた」 『だいじょうぶ?』  声がする。はっきりと、誰かが自分に声をかけているのが聞こえる。オリヴィアは震え上がった。だって、この墓地にはいま、自分以外に誰もいないのだ。  後ずさりながら、周囲に目を配る。どこにも、誰もいない。 『僕の声、聞こえるの?』 「あなた、だれ。どこ?」 『洞窟にいるよ。名前はない。ねえ、泣いてもなんにもならないって言ったのは、君?』  周囲にあるのは冬の低い空と解けかけの霜でぬかるむ地面と群生する枯れ木だ。周辺の地図を頭に浮かべても、近くに洞窟なんてない。  怖い、気味が悪いと思いながら、オリヴィアは会話をやめられない。さっき泣いていたように聞こえた風の音の正体が、この声かもしれないからだ。たとえ幻聴でも、反論せずにはいられなかった。 「そうよ。だって、そうでしょう。泣いたって、かわいそうって見下されるだけ。他人が泣いてるだけで不愉快って人もいるもの。なんにもせずにじっとしてさえいれば、哀れまれないし、誰のことも傷つけないわ」  強く言い切って耳を澄ませる。反ずる声はオリヴィアの足下から聞こえた。 『嘘だよ。だって、僕がいるだけで、心を荒ませてしまう人がいる。僕は、いない方がいいんだ』  はっと、オリヴィアは息を飲んだ。朝に見た、継母の顔を思い出す。自分を一瞥もしない継母。継子を見ないことで自分の心を守っている、彼女。  奥歯に力を入れ、足りずに唇をかみしめて、それでもとうとう涙が頬を伝った。 「じゃあ、どうしろって、言うのよ」  直視しないようにしていたことを突きつけられ、声が震えるのもかまわずに呻く。 『泣かないで。ごめんなさい。君が泣いてしまった。僕のせいだ。ごめんなさい』  ようやく、声のする場所がはっきりとわかった。オリヴィアの影だ。ざわつく枯れ木でもなく、オリヴィアの幻聴でもない。 「あなた、誰なの」  オリヴィアは左手で目をこすりながら、右手をついた地面、そこに落ちる自分の影に問いかける。 『さっきも聞いてくれたね。でも、僕は名前がない。君は? 君は名前あるの?』 「オリヴィア。それが私の名前」 『名前があるんだね、いいなあ。やっぱり、誰かが呼んでくれるの?』 「一年に一回くらい。従兄の、テオ兄さんが遊びに来てくれたときだけ」  本当は、学校で先生に呼ばれることもあるけれど、そんなのは事務的な連絡でしかない。この影の言う「名前を呼ぶ」とは、きっと個人と個人が親しみを込めて呼び合うことだろう。親しみがこもっているかはわからないが、その意をもって数えられるのは、一年に一度、テオが来るときだけだ。  一度決壊した防波堤は綻びやすいらしく、オリヴィアは再び唇をかみしめることになった。 『一年に一回! それはすごい! 君は人気者なんだね』  この影は、なにを言っているのだろう。  あまりに不思議で、オリヴィアは言葉が出てこなかった。こんな話を聞いて、いったいどうして、人気者なんて感想が出てくるのか。 『オリヴィア。人気者のオリヴィア。さようなら。泣かせてしまってごめんなさい。話ができて嬉しかった』  影の声が、少し聞き取りづらくなった。そう認識した途端、待って、と言葉が勝手に口をついた。 「また話したいわ、話せる?」 『優しいオリヴィア。君が望んでくれるならいくらでも。でも、いけないよ。僕はひとりぼっちでいなくちゃいけないんだから』 「私もなの。人気者じゃなくて、嫌われ者なの。人気者は、一日に何回も名前を呼ばれるのよ。わたしはひとりぼっちなの」 『名前を呼んでくれる人がいるのに?』 「親戚じゃなかったら、きっと呼んでくれなかったわ」  ぐっと息を止めて、続きを口にする。 「だからお願い、またきっと私と話して」  相手が影だということは、オリヴィアにとってもはやどうでもいいことだった。  話ができて嬉しかったなんて、生まれてはじめて言われたのだから。
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