大好きなXXXXX 1

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 それから、オリヴィアは度々影と話した。影の声はオリヴィアにしか聞こえないらしい。幻聴かもしれないという疑念が何度も頭をよぎったが、そのたびにどうでもいいとその考えを切り捨てた。 「私の髪は赤いの。血みたいで、気持ち悪い」 『僕は真っ白だよ。周りの色が写り込むくらい、なんの色もないの。色があるだけで羨ましいや』 「あなた、やっぱり変わってるわ」 『オリヴィアがそう言うなら、きっとそうなんだろうね』 「お義母さんは私が嫌いなの。顔が似てるから」 『どうして? 似てるのが嫌なの?』 「いまのお義母さんは私を産んだ人じゃないの。お父さんは、お母さんが死んだすぐ後に、お母さんと顔のよく似た人と再婚したの。いまのお義母さんは、顔が似てるってだけで求婚されたってわかって悲しかったみたい。だから、母親似の私が嫌いなの。きっと、自分に似てるのを見るたびに、悲しいことを思い出してしまうからでしょうね」 『君が悪いわけじゃないのに』 「ありがとう。あなたは優しいわ」 『そんなことないよ。みんなそう言うよ』 「いままで、誰も言ってくれなかったわ」 『へえ、スープってそうやって作るんだ。オリヴィアはいろんなことを知ってるね』 「スープはよく作るもの。特別なことじゃないわ。私が知ってることなんて、本で読んだことだけよ。それと、学校で習ったことだけ」 『でも、僕より物知りだよ。物知りなオリヴィア。もっといろんなことを教えて』  相手に実体がないからか、オリヴィアは影にどんなことでも話すことができた。影はいつでも彼女を肯定した。それは少女にとって、はじめての心地よさだった。 『オリヴィア、いまはなにをしているの』 「新しい本がほしくなったから、本屋で探しているの」 『どんな本を探しているの?』 「なんでもいいわ。暇つぶしができるなら。家の本は、読みあきたの」 『いまはどこにいるの、オリヴィア』 「町の真ん中の広場よ。部屋は日当たりが悪いから、ここの方が明るいの」 『僕のいるところも、真っ暗だよ。光苔と、それを反射する地底湖だけが明るいんだ』 「光苔って、見たことないわ。地底湖も。いつか見てみたい」 『きっと暗いところにあるよ。いつか探しに行ってみるといい』  影はたまに、本屋や広場など、人のいるところでも話しかけてきた。周りにどれだけ人がいようとも、オリヴィアは気にせず声に応えた。不審げに自分を見る者や遠巻きにひそひそと話す者がいても、どうでもいいと開き直った。 「ねえ、あなた、聞こえる?」 「返事をして」 「ねえってば」 「……いまは話せないときなのね」  逆に、オリヴィアがひとりきりの時に話しかけても、影から返事が来ないこともあった。周囲に人がいる時にわざと話しかけてみても、同じだった。かと思えば、どこにいようと返事のあることもあった。おそらく周囲の状況と影の声に関連性はないのだろうとオリヴィアは結論づけた。 「あなた、誰と話しているの」 「なんのことでしょうか」 「昼間よ。周りに誰もいないのに、ぶつぶつと話してたじゃない。なんのつもり?」 「……ただの独り言です」  オリヴィアが影と話すようになって十日。夕食の後片付けをしている少女に、継母が珍しく話しかけてきた。目を伏せる少女の返答に、継母はまなざしを強くした。 「変な噂が立ってるわ。やめなさい」 「どんな噂ですか」 「おかしくなったとか、悪魔と話す魔女だとか、そういう噂よ! どうせどっちも違うんでしょう、いいから独り言はもうやめなさい!」  悲鳴のあと、金の髪をなびかせて継母は寝室へ去っていった。あの人と同じ金髪だったら、彼女に愛されたのだろうか。久しぶりにそんなことを考えて、オリヴィアは首を振った。ありえない。むしろ逆効果だろう。  食器を洗い流しながら、オリヴィアは思案する。継母に愛されたい、そんな思いがあるかのような考えをするのは久々だ。少女はそう、自分を分析した。自分を肯定してくれる影ができたから、そんなことを再び考えるようになってしまったのだろうか。  食器の水気を拭き取り、汚れた水を捨てる。それから手を拭いて、キッチンを出た。自分のつま先を見ながら、寝室へ向かう。窓からの月明かりを頼りにベッドに潜り込んだ。  独り言はやめなさい。オリヴィアはその言葉を何度も脳内で再生する。 独り言じゃない、ちゃんと相手がいる。そう言えるほどオリヴィアは幼くも愚かでもない。だからこそ、余計に申し訳なかった。おまえは「いない」と扱われることがどれほど悲しいか、オリヴィアはよく知っている。先ほどの会話が影に聞こえていないことを、布団をかぶりながらひたすらに祈った。 「ねえ、いる? 聞こえてる?」 『聞こえているよ、オリヴィア』  聞かれていなかったと自分を安心させるために話しかけたオリヴィアは、細く息を飲んだ。影は、いつからこちらが聞こえていたのだろう。もし、独り言、なんて言ったことを聞かれていたら、どうしよう。そうしたら、なんて言えばいいのだろう。いや、あのときはまだ聞こえていなかったかもしれない。それなら、いま、なにを話しかければいい。  混乱し、頭の中が、どうしようの言葉で埋め尽くされる。 「あの、あのね」 『うん、なんだい、オリヴィア』 「あなたに会いたい」  枯れ枝のこすれる音が聞こえる。自分の口からこぼれた言葉に、オリヴィア自身が愕然とした。まとまらない思考のまま、言葉はこぼれ続ける。 「会ってみたい、会いたいの。それで、私の目の前にいるあなたとお話しして、お義母さんにも紹介して、友達として、一緒に、すごすの」  言い訳も誤魔化すこともできず、ただ早口でまくし立てる。言いながら、オリヴィアは納得する。影に、会えれば。この声の主がオリヴィアの目の前にいれば、もう町の人間にひそひそと話されることもないし、継母にも文句を言われないだろう。 『……ごめんね、オリヴィア。それだけはできないんだ。僕はそこに行けないし、君はこっちに来ちゃいけない』  胸が痛くなるような静寂の後に聞こえたのは、いままで聞いたことのない、とても頼りない声だった。震えていないのが不思議なくらいの弱々しさで答える声に、どうして不服を言えるだろう。できないと言われた悲しみを押しやって、少女は再び口を開く。 「ごめんなさい、困らせたかったわけではないの」 『わかっているよ、優しいオリヴィア。僕こそごめんね、君に会えなくて』 「謝らないで。あなたが悪いんじゃないわ」 『……いいや、オリヴィア。僕が悪いんだ。僕が悪いんだよ』  それきり、声は聞こえなくなった。枯れ枝のこすれる音がすすり泣きに似ていて、オリヴィアは罪悪感を募らせる。困らせるつもりはなかったのだ、本当に。ひどいことを言ったのを聞かれていたらどうしようと、嫌われたくないと、自分のことで頭がいっぱいで、まったく相手のことを考えられていなかったのだから。  自分が恥ずかしくて、オリヴィアは唇をかみしめる。ごめんなさいを心の中で繰り返し、布団を頭までかぶった。
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