大好きなXXXXX 1

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 翌日以降、影とオリヴィアがその話題にふれることはなかった。しかし、それに反するように、影の声が聞こえる時間が多く、長くなったことにオリヴィアは気づいた。それが何故なのか、不思議には思うが解明するつもりはなかった。そもそも、どうしていきなり影から声が聞こえるようになったのかすらわからないのだ。  自室の机の上で地図をなぞりながら、オリヴィアはため息をついた。指を止めず、声にも出さず、影についてわかることを整理していく。  まずは、影の声はオリヴィアの影が意志を持っているのではないということ。どこか別のところにいる誰かの声が影を通じて聞こえているらしい。もし自分の影なら、君は誰、なんて聞かなかったはず。  次に、洞窟で暮らしているらしいこと。話を聞く限り、洞窟から出たこともないらしい。それがどこなのか気になって、ここのところ毎日、オリヴィアは宿題の後にこうして地図を眺めている。  三つ目、スープを飲んだことがないこと。シチューもパンも、食べたことがないらしい。  いったいなにを食べてるのかと聞いたら、なにも食べてないと答えられ、困惑したことは記憶に新しい。初めて会話した場所を考えると、もしかしたら洞窟住まいの人が幽霊になったのかもしれないとオリヴィアは思う。  四つ目、とても内気な性格らしいこと。泣き虫かどうかはわからないが、自分が悲しくて泣いてしまうくらい、気が弱いらしい。  五つ目、名前がないこと。二人だけで話しているし、影を誰かに紹介することもないからいまのところ困っていない。しかし、少女にとっては一番悲しいことだった。  あとは、色が白くて、友達がいなくて、世間知らず。 (たったこれだけなのね。私があの影について知ってることは)  並べてみると思いの外少なくて、オリヴィアはため息をついた。そもそも、話ができる機会も時間も不規則で、満足するまで会話をしたことはない。そう思うと、やはり会って話したいと少女は思ってしまう。直接会えれば、時間なんて気にせず話ができるに違いないのだ。 (クラスメイトたちがいつまでもおしゃべりをしていたがる気持ちが、やっとわかったわ)  友達と話すのは楽しい。そう思った途端、あまりのおかしさに苦笑いをした。名前がなく、人ではなく、会ったこともない相手が友達とは。それも唯一の。 (かまわないわ、そんなこと)  地図をなぞる指を握り込む。そうして、ふと思い出した。そう、クラスメイトと言えば。 (もうすぐ、学校がはじまってしまう)  机のすぐ脇に置いてある学校用の荷物に視線を移す。教科書と鞄、ペンケース。学校での時間を思い返し、オリヴィアは思わずため息をついた。授業を聞いて、休憩時間は机にぼうっと座っているだけ。友達はいないし、先生もオリヴィアを気にかけることはない。  学校用品から机の上の地図に視線を引き上げる。その途中で小さな窓から灰色の空が見えた。  そういえばいつにもまして部屋が暗いなと、少女は再びため息をついた。どうやら地図を見るのに夢中になっていたらしい。知らぬうちに入れてしまっていた肩の力が抜ける。ついでに、肩にかけていた毛布もかけ直す。わずかな隙間から冷気が入り込んできて、オリヴィアは体を震わせた。お茶を飲んで暖をとろうとすると、すっかり冷めてしまっていたせいでさらに体が冷えた。  寒さをおしてお茶を淹れ直すか、このまま動かず、本でも読むか。オリヴィアがまんじりともせずに座っていると、影から声が聞こえた。 『オリヴィア、聞こえるかい』 「聞こえてるわ」 『よかった。ねえ、いまはなにをしているの』 「学校のことを考えてたわ。もうすぐ冬休みが終わってしまうから」  ずれてもいない毛布をもう一度かけ直しながら、オリヴィアは答えた。毛布の端を掴む手に、知らず、力が入る。 『ガッコウとフユヤスミは前に聞いたことがあるね。もうすぐガッコウに行くようになるのかい』 「そうね。だから、申し訳ないけど、昼間にこうしてお話しできるのは学校のない日だけになっちゃうわ。授業中に誰かと話すと、先生に叱られるの」 『そうなんだ。残念だなあ』 「私も、残念だわ。ただでさえ学校なんて、行きたくないのに」 『…………』  万感の思いを込めてオリヴィアが嘆息すると、影はなにも返事をしなかった。聞こえなくなってしまったのか何かを考えているのか、姿が見えないから少女には判断がつかない。 『オリヴィアはガッコウに行きたくないの?』 「ええ。勉強は嫌いじゃないけど、いいことなんてなにもないもの。私は、家だけじゃなくて学校でも嫌われてるから」  少しして、影から質問が飛んできた。どうやら考え事をしていたらしい。オリヴィアはそれに正直に答えた。答えながら、ちくちくと胸が痛むような気がしたが、気づかない振りをした。今更すぎる。  足下を見下ろす。綿の詰まった室内履きのつま先をこすりあわせる。動きにあわせてわずかに形を変える影から、声が聞こえるのを待った。 (今日は、考え事が長いな。学校を知らないようだし、もしかして困らせてしまってる? どうしよう、なにか私から言った方がいいのかしら)  じわりじわりと焦りが募る。実際はそんなに長くない時間だ。しかし、いままで影との会話がこんな風に途切れたことがなかったため、オリヴィアは不安に駆られた。 『ねえ、オリヴィア』 「な、なに?」  やっと聞けた声に、つい前のめり、あるいは前屈みになって聞き返す。今度も、やはり少し間が空いた。 『オリヴィアは、家もガッコウも嫌いなのかい』 「……そうよ。どっちにも、居場所がないもの。どっちも、居心地が悪いの」 『どんなところなら、いたいの?』 「それは……」  考えたことのなかった問いに、今度はオリヴィアが言葉に詰まる。窓を叩く木枯らしを聞きながら、少女は想像した。自分のいたいところ。少なくとも、こんな寒いところではない。もっとあたたかいところだ。 『……オリヴィアは、あたたかいところがいいの?』 「寒いより、あたたかい方がいいもの」 『そっか。そうだよね』  その言葉は、どこか言い聞かせるような響きがあった。不思議に思って、どうかしたかと問いかけるも、なんでもないよと返される。その声が、少し遠くなっていることに、少女は気づいた。 「今回は、もうそろそろ終わりみたい。もっと、長く、たくさん、お話ができたらいいのに」 『そうだね。ねえ、またお話ししてくれる?』 「もちろんよ」  次の言葉はなかった。最後のオリヴィアの返事が、影に聞こえたかどうかはわからない。風の音がまた聞こえはじめた。部屋の中は寒かった。  その夜、オリヴィアは夢を見た。日差しのあふれるあたたかい町。家は窓に、店は軒先に花を飾り、こぼれた花びらがやわらかい風に舞う。人々は笑顔でオリヴィアに声をかける。歩くオリヴィアの隣には、姿の見えない誰かがいて、二人はずっと話していた。  最近、ため息ばかりだ。そう思いながら、この日もオリヴィアはため息をついていた。考えているのは、夢のこと。机の上で頬杖をつき、足をぶらつかせる。  きっと、隣に歩いていたのはあの影に違いない。会ったことがないから、夢の中でさえ姿が浮かばなかったのだ。姿を知らない、たったひとりの友達。会って、話をして、あたたかい町を一緒に歩く。それは、どれほどに楽しいだろうか。 「あんまり願ったから、夢に見たんだわ」  ああ、と両手で顔をおおいながら、オリヴィアは呟いた。 『願いがあるのかい、オリヴィア』 「きゃあ!?」 『ああ、ごめんなさい。驚かせてしまった』 「いいえ、いいの。気にしないで」 『なにかの邪魔をしてしまったかな。黙っていた方がいい?』 「いいえ、そんなことないわ。本当に気にしないで。ちょっと、考え事をしていただけだから」 『それならよかった。  ねえ、どんなことを考えていたの?』 「夢のことを考えていたの。夢の中で、その」  続きを言えず、少女は困惑した。ほんの少しの説明ですむはずなのに、唇が動いてくれないのだ。ええと、だの、あの、だのといった意味のない言葉をいくつか並べた後に、ようやく口にできた。 「あたたかくて明るい町で、あなたと一緒に、おしゃべりをしながら歩いてた」 『……僕と?』 「そう、あなたと。会ったことがないから、夢の中でも姿はわからなかったけど。でも、きっとあれはあなたよ。私がおしゃべりしたい相手なんて、あなたしかいないもの」  影はなにも答えない。なんだか落ち着かなくて、オリヴィアは部屋の中を歩き回った。机、窓、本棚、衣装箱、また机。たいして広くないので、ただくるくると周回する。 『それを、願って、夢に……、見てくれたの?』  やっと返ってきた声は、わずかに震えていた。そうよ、と返して少女はしゃがみ込む。薄い絨毯と冬用の室内履き。そこに落ちる影に話しかける。 「ねえ、どこにいるの。やっぱり私、あなたに会いたい」 『だめだよ、オリヴィア。ここは洞窟なんだ。明るくも、あたたかくもない場所なんだ』 「暗くて寒いのは、ここも同じよ。場所なんてどうだっていい。友達がいるなら、どこだってかまわないわ。  ねえ、あなたは? あなたは、そう思わない?」  オリヴィアはとうとう聞きたかったことを口にした。影の声は、会ってはいけない、来てはいけないと禁じるばかりで、どうしたいのかとは一度も言ったことがない。  しゃがんだまま、じっと待つ。オリヴィアにとって、誰かに同意を求めるのははじめてだ。緊張からか、自分の頬が火照っていることに少女は気づいた。膝の上でスカートを握りしめる。 『…………僕も、会ってみたいよ、オリヴィア』  くらり、と少女は目眩を感じた。 『でも、だめだよ。会っちゃいけないんだ』  気づかないまま、声は続ける。頭が揺れる感覚に、オリヴィアはたまらず目をつむった。 『いつも、会いたいって言ってくれて、ありがとう』 「優しいオリヴィア」  声が足下ではなく、少し遠くの、上の方から聞こえた。揺らぎがおさまったのを感じて、目を開ける。  そこは、薄暗い部屋ではなくて、もっと暗いどこかだった。目をしばたかせるが、ほとんど見えない。だが、壁面に光るものがたくさんついているおかげで、まったく見えないわけではない。  そのぼんやりした明かりは、オリヴィアの真正面にいる、大きななにかのシルエットを浮かび上がらせていた。光るものがついていないそれの後ろは他より明るいらしく、詳しくは見えない。  ただ、この暗い場所で、そのなにかの両目はとても輝いていた。  青く光る両目は自分を見ている。そのことが恐ろしくて、オリヴィアは腰が抜けた。後ずさることもできず、両目から視線もはずせず、声もでない。目の下の、大きな口が開く。牙が見える。 「ああ、なんてことだ」  食べられる、と思った瞬間に聞こえたのは、友達の声だった。 「来てしまったんだね、オリヴィア。ごめんなさい。僕が、会いたいなんて言ったばっかりに」  大きな声の後、ずずずと音を響かせて、なにかは後じさった。ばしゃんと大きな音がする。瞼が閉じられ、輝きが見えなくなる。ばさりという音とともに風が起き、同時に頭とおぼしき部位が動く。それが、うなだれているのだとオリヴィアは気づいた。まさか。 「あなたが、「あなた」なの?」 「……そうだよ、小さなオリヴィア」  少女は大きく息を飲み、いっぺんにすべてを理解した。ここは洞窟で、光っているのは光苔で、ばしゃんというのは地底湖の音で、ばさりというのは翼の音。そして、自分のはじめての、そしてたったひとりの友達の正体。 「竜、だったのね」 「その通りだ、人間のオリヴィア。ごめんね、人間じゃなくって」 「そんな、こと。謝らなくたっていいわ……」  顔が熱い、と少女は思った。特に目が熱くて、鼻が少し痛い。頬から顎にかけて、一筋だけ冷たい部分がある。 「泣かないで、オリヴィア。ごめんなさい。僕のせいで、君が泣いてしまった」 「……初めて話したときにも、同じことを言われたわね」  袖で目をこすり、オリヴィアは微笑んだ。 「会いたかったわ、私の友達。こんな涙は、気にしなくっていいの。会えて嬉しいだけだから」
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