大好きなXXXXX 2

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 キャラメル色のふわふわの毛とぴかぴかの黒い目、刺繍された鼻と口、青色のきれいなリボン。いかにも少女の好きそうなテディベアがひとつ、他の荷物との金額差を感じさせる風体で鎮座している。これの型崩れを気にしなければ、ぎゅうぎゅうになってる荷袋の底にもっと余裕ができるだろう。荷袋の口をそっと絞りながら、テオ・アークランドはなんとか苦笑いをこらえた。  いままで贈ったことがないタイプの土産を持って、彼は従妹の暮らす町にやってきた。一年ぶりの町並みは、たいして変わらない。暗くて寒い冬。人々は一様に足早で、枯れ葉は風に吹かれることなく地べたの雪にへばりついている。 町の入り口から従妹の家まで、道行く人々や路地裏の様子を気にしながら歩く。ここはまだ大丈夫そうだなとひとり、安堵のため息をついた。  たどり着いた小さな家で、やはり一年前と変わらない玄関扉をノックする。 「いらっしゃい、テオ兄さん」  真っ赤な髪の従妹はぎこちなく、そして初めて、わずかに笑いながらテオを迎え入れた。 「くま」 「その、首都で流行っててな。やっぱり本がよかったか」 「いえ、嬉しいです。ありがとうございます」  ぺこりと頭を下げるオリヴィアに、テオはひとまず安心した。テディベアは嫌いではないらしい。背中を見たり腕を摘んで動かしたり、手触りを確かめたりしている。そんな、珍しく年齢相応に興味津々といった様子を見せる少女に、知らずテオの口元がゆるんだ。  彼は従妹がこの町でどういう暮らしをしているか知っている。継母との確執も知っている。それに起因してなのか、それに対する処世術なのか、恒常的に表情に乏しい少女が、わずかとはいえ初めて笑って出迎えてくれた。さらに自分の贈ったもので目を輝かせてくれたとなれば、つい嬉しさもこみ上げるというものだ。 「気に入ってくれたみたいで、なによりだ」 「はい、あの、ありがとうございます」  すぐにそらされるが、翡翠色の目は確かにテオを見た。目を合わせて人と話すなど、大した進歩だ。手紙にはなかったが、友達ができたのかもしれない。そう期待して、青年は慎重に質問した。 「一年見ない間に、少し明るくなったな。いいことでもあったか?」 「……いえ、別に」  目を伏せるオリヴィアにテオは違和感を抱いた。彼女の目を合わせない癖はいつものことだが、常の仕草と少し違う。  言えないようなことなのか、照れているのか。後者であれと願う。そうかとだけ返事をして、話題を切り替えた。 「学校の方はどうだ。勉強で躓いたりしてないか」 「はい、それは、大丈夫です。成績は特に変わってません」 「つまり首位か。相変わらずすごいな、オリヴィアは」 「田舎の学校だし、他にすることもあんまりないだけです」 「そう言うな、知識は世界を広げるものだ。……騎士寮で同室の奴の受け売りだが。あいつは頭が良くてな」 「世界を、広げる……」  おや、とテオは表情に出さず驚いた。内向的なオリヴィアが外のことに興味を示すのは珍しい。 (無理だろうと思っていたが…… もしかしたら、あの提案を受け入れてくれる可能性があるかもしれないな)  脈絡を見ても、なかなか悪くない。切り出してみるかとテオはテーブルの下で拳を固めた。 「あ、そろそろ、夕飯の準備をしますね」 「え、ああ、そうだな。うん、楽しみにしている」 「はい、少し待っていてください」  見事に出鼻をくじかれ、青年の拳もほどけた。脈はありそうだし、焦ることはないと自分に言い聞かせる。そして、努めて朗らかに、キッチンに向かう従妹に声をかけた。 「ああ、そうだ。手紙にも書いたが、今回は今日を含めて三日ほど滞在させてもらう。力仕事もそれ以外も、なにかあれば言ってくれよ」  いつものことながらわざとらしいなと、テオは己の演技力のなさに呆れた。それでも、振り返った従妹が、少しぎこちない笑みを浮かべたことが嬉しかった。  翌日、テオはオリヴィアの作った朝食を食べ、学校へ行く彼女と並んで玄関を出た。 「授業の終わる頃に迎えにくる。こっちは大丈夫とは思うが、念のためにな」 「テオ兄さんが言うようなことはこっちではなにもないから、大丈夫だと思いますけど……」 「遠慮するな。それに、いつものことだろう」 「……はい、ありがとうございます。それでは、いってきます」 「ああ、滑って転ぶなよ」  この町に滞在するほんの数日、テオはオリヴィアの通学の送り迎えをしている。家に居場所のない少女は、学校でもうまく居場所を確立できていない。疎外、孤立もたいがいつらいが、それに起因してもっとひどい目に遭う可能性がある。強い従兄の存在は、それだけで不穏の芽をつぶせると自覚してのことだった。  従妹を送ったそのままの足で、テオは町を見て回る。路地裏や商店街の町人、店主の表情をそれとなく観察する。一年前の冬と変わらぬように見えるそれらに、騎士たる青年はそっと安堵の息を吐いた。  どうやらこの町にはまだ、首都の治安の悪さは広まってきていないらしい。  ほんの二ヶ月ほど前、首都で通り魔による殺人事件が起きた。犯人はすぐに取り押さえられたが、それを皮切りに治安への不安が急速に広がり、不安が不穏を呼び、現在の首都は日に日に治安が悪化している。首都周辺の地域にもそれは広まり、いずれ国を覆うのではないかともっぱらの噂だ。テオはそれを丸飲みにしているわけではないが、女二人で暮らす従妹が心配だった。 (首都の治安を俺たちが守れば、不安もおさまるはずだ。ここまで広まる前に収束すればいいが)  頭を振って悩ましさを追い出し、町の広場に足を向ける。叔父の後妻と顔を合わせるのはできるだけ避けたかった。少し伸びてきている前髪をつまむ。色は赤。テオの母とオリヴィアの母は姉妹だ。 (俺は嫌いじゃないんだがな、この色)  しかしあの親子はこの色を嫌っている。従妹は年頃の少女の割には髪が短く、叔母は家の中にいっさい赤い物を置かない徹底ぶりだ。あまり刺激しない方がいいだろう。 (いっそ距離を置けば、少しは心に余裕もできるのだろうが…… オリヴィアがそれを了承するだろうか)  広場のベンチに腰を下ろす。吐く息の白さに体が震える。冬の朝の日差しは弱い。それでも、背に受け続けていると、少しあたたかく感じた。  まだ学校に通っていない子供たちの遊ぶ声や、それにかまう親、テオと同じくそれを見守る老人たちの姿。まさに絵に描いたような平穏。年若い騎士は、自らの職務に思いを馳せ、目の前の風景を誇らしく思った。同時に、この絵の中に入れない従妹に罪悪感が募る。遠く離れた自分では、なにもできない。 (やはり、あれを話してみるか)  昨日は失敗したが、脈はありそうだった。受け入れてもらえた時のためにも、オリヴィアが帰る前に彼女と話をしたほうがいいだろう。  オリヴィアの作ったシチューを食べながら、テオはとうとう切り出した。 「なあ、オリヴィア。首都の学校に興味はないか?」 「どういうことですか?」 「転校しないか、ということだ。聞く限りでは、成績に問題はない。おばさんも、おまえが行きたいならかまわないそうだ。奨学金制度と学生寮のある学校に心当たりがあってな。もちろん、無理強いはしない。ただ、少し離れてみるのも、二人には悪くないんじゃないかと思ってな」 「私と、お義母さん?」 「ああ。お節介だとは自覚しているが…… 距離を取れば、お互い心に余裕ができるはずだ。きっと、関係を見つめ直す機会になる。 それだけじゃない。オリヴィアは頭がいい。首都の学校に通って、さらに見識が広まれば、将来にも必ず役に立つ。どうだ?」 「どうだ、と言われても、そんな急には……」  うつむく少女を見て、テオは深呼吸をした。無理矢理では意味がないのだ。彼女自身が一歩を踏み出さなくてはいけない。 「いますぐ決めろとは言わないさ。俺は明日に帰るけど、その後でもいい。そのときは手紙をくれ。いつでも手続きできるようにはしておくから。 逆に、ここにいたいならそれでもかまわない。ただ、そのときはそのときで教えてくれ」  最後の言葉はあまり言いたくなかったが、言わなければ選択肢として弱くなる。あくまで、テオはオリヴィアの意志に委ねたかった。  同じ色の髪を持つ少女は、考えさせてくださいと彼の目を見て言い、その後は足下に視線を落としてしまった。
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