花宮市

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花宮市

「光一、早く今月の友達料を払ってくれないか? 3万円。」  拳が大気の壁を突き破って爆走する。さながらミサイルの如き推進力、芸術的な角度で吸い込まれた俺のボディブローいわゆる腹パンが、タケルの水月に突きこまれた。  悶絶させ静かに膝をつかせる。無言で腹を押さえ震える、実にリアルなリアクションだった。  通行人たちがまばらに噂するのでクソ睨んでおく。 「が………ぅ」 「さってー有紗、伊織。ロッテリア行こうぜロッテリアー」  下校時、湿気ったチラシが張り付いた薄汚いアスファルトの道をゆく。空は宵闇に染められ始めていた。もうじき夜が始まってしまうのだな、と空の色を見ながら漠然と考えた。 「や……光ちゃん。後ろの人が膝立ちのまま白目剥いてるんだけど」 「何、気にするなよ。きっと睡眠不足で疲れてたのさ。大丈夫かータケル、友達料が何だって?」 「訂、正…………慰謝料を、日々の圧政に対する、示談金、を……要求す……る……」  両手をつき、がっくりと項垂れた土下座のようなポーズのまま動かなくなる。遮るように有紗が割り込んだ。 「……光一? 暴力はよくないよ」 「ん」  そう言って有紗が困ったような顔をする。何を言うべきか言わざるべきか。逡巡しても答えが出ないので俺は、適当に手を振って歩き出した。 「…………おう」  のっそりと、背中を丸めて亀のように。後ろから伊織がついてきて、半眼で嘲弄してきた。 「ふーん。有紗ちゃんの言うことは聞くんだね」 「るせぇ」  有紗は滅多に非難なんかして来ないからか、たまに叱られるとすげー正義に聞こえるだけだ。 「贔屓だね」 「だからうるせぇってのに」 「…………」  そのジト目、何が言いたい? まったく女ってのは面倒だ。贔屓と言われれば贔屓だが、別に何も理由がないわけではない。  実のところ―― 「はぁ…………有紗は、優等生だからな。俺もタケルもお前もアホだろ」 「ああ、うん。それはそうだね。私たちってばみんなアホだね」  伊織含め、俺たちゃ成績クソったれな落第生組なのである。それでもタケルはそこそこ頑張っている方だが。 「つーか、お前が意外だよ伊織。学年の人気を二分するほどのくせに、俺らのグループに属するほど頭悪いなんて」  授業まじめに受けてるように見えて、試験結果はのび太くん手前。ファンがっかりの展開である。心底どうでもいいが。伊織は唐突に声のトーンを下げた。 「……いいんだよ、ギャップ萌えだし」 「ねぇよ。いや、あるのか」 「ありありだよ。オタい男子なんて、ニーソはいてこんちわーって言っとけばお手玉だよ」 「そうか。ま勝手にやってくれ」  平和な男子生徒諸君の思考回路は意味不明だ。あいつらがやっべー課題忘れたーとか言ってる季節に、俺は殺し合いの場でやっべー弾忘れたーとか言ってるのである。 「それにしても……お前がモテるってのは謎だぜマジで。ははっ、俺がそのオタい男子とやらだったら、お前みたいな怖ぇのには近づけねー」 「…………光ちゃんのそういう所が腹立つなぁ」 「んあ?」  暗い声、歪な笑み。嘲笑するような黒い笑顔で伊織は俺を見た。 「ねぇ光ちゃん、有紗ちゃんと付き合いなよ」 「………………」 「いいと思うよ。お似合いだよ、応援してるよ。お幸せに。」  吐き捨てるように毒々しく笑って、伊織は俺の隣を抜けて去っていく。すれ違う瞬間に鼻をかすめた、それさえ美しい香り。  本当淡々と、どうでもよさそうに遠ざかっていく。 「おい、帰るのか」 「帰るよ。私、暇じゃないから。これから合コンなんだよねー」  振り返って目を細めた顔が、私ひとを殺してきたんだーって感じの黒さだった。 「…………」  2度と振り返ることもなく、少女の背中が遠ざかっていく。 「…………本当、めんどくせー」 「光一、伊織ちゃんは?」 「帰ったよ。どうすんべ」 「ふ……では、少しだけゲーセンでも寄っていくか」  周囲を見渡せば乱雑な看板配置、乱雑な建物配置にかすかに残る昭和の香り。髪を染めたヤンキー共がヘラヘラ笑って歩いてく。垢抜け切らない不整合の街並みは、建て替え時期を逃したようなのばかり。 「本当――何もないよな」 「え?」  薄汚れた花宮市って街。 †  仄暗いゲーセンの隅、有紗はあっちでUFOキャッチャー、俺とタケルは並んで格ゲー。  ガチャガチャとボタンを押すが、隙を突かれて負けてしまった。100円玉は返ってこないので、KOという文字が宇宙一忌まわしく感じる瞬間だ。 「んだよこれ、Bボタンいかれてんぞクソがッ」 「そいつは残念だったな。それじゃダッシュもできん」 「水道管工じゃねぇよ」  ゲーム名は「滅殺ブラッドジェノサイダー」というらしい。タケルの方はよく見ると格ゲーじゃなかった。腕を組んで覗き込む。 「……んだよそりゃ? 珍しいゲームやってんな」 「知らないのか? 最近流行ってるアクションゲーだ。この赤眼の女主人公操ってバッサバサ敵を斬り倒していく」 「へぇ。その学生服の女、忍者か何かなのか」 「そんなもんだろうな。ほら見ろ、あこにポスターも貼ってあるだろう。実際のところ、俺もそんなに詳しいわけじゃないがな」  その割にはガツガツ敵を屠っているし、小慣れている。じきにボスステージだった。 「はっ、なかなかやるじゃねーの。何? タケルちんマニアか何か? 通い詰めのオタクだったとは初耳だねぇ。何なのその、女主人公に恋しちゃってるの? 愛の力で強くなっちまったわけか」 「ああ。今日テレビで知った。紛れもなくこれが、初プレイだ」  何が「ああ」だよこいつ、初見プレイヤーなんじゃねぇか。そのくせまるでベテランみたく、ザクザク人間外を駆逐して進行していく。俺は手持ち無沙汰だったのでもう1コイン投入。 「…………忘れてたぜ。お前、へんな所で死ぬほど器用だったよな」  調理実習とか体育だとか。またタケル無双かよーとはよく言ったものである。 「ま、これで勉強に回す時間があれば、もう少しマシな人間になれるのだがな」  もう暫くゲームオーバーにはならんのだろう。1ステージ目のキャラをシバき倒しながらタバコに火をつける。 「知ってるぜ。お前、試験勉強、手ぇ抜いてるだろ。なんでなんだ? 本当は俺や伊織みたいなのと絡むタイプじゃねぇだろ」 「さてな。大半はお前からの悪影響や、純粋に時間がないからだが、残りは――」  煙を吸って、くわえタバコのまま深く吐き出す。肺を撫でるようなこの刺激がたまらんのだ。生まれてこのかた非喫煙者なタケルの声は澄んでいた。 「…………そうだな。従兄弟(きょうだい)への反発心か。俺はアイツのように思われたくはない」 「ふーん」  どうでもいいし、よく知らんけど。しかしそういえばこいつのイトコには会ったことある気がした。 「まいいや。んで? 今日はどうすんの、狩・人・さ・ん」 「口を慎め光一。公共の場だぞ」  馬鹿馬鹿しい。お互いの声も聞き取れないようなこのクソうるさいゲーセンで、どこの誰が聞き耳立ててるってんだか。  雑魚キャラKOして顔を上げると、UFOキャッチャーやってた有紗が頬染めてぬいぐるみと見つめ合ってた。珍しいこともあるもんだ。 「……昨日ので終いだ。暫くはいい」 「そうかい。それにしても、心霊スポッツ潰しなんて地道だよなー。ありゃカビだぜカビ、掃除しても絶対どっかから湧いてくるんだ」 「もし“天使”の情報が入ったら、いつも通りお前か春子さんに連絡する。それでいいか」 「――――」  “天使”。果たして“天使”とはなんぞや。実のところ、俺も本当はよく分かっていないのかも知れない。 「ああ、それでいい。よしなに取り計らってくれ。んじゃ暫くは別行動だな。夜は気を付けろよタケル、なんぼザコ亡霊相手でも気ぃ抜いたら死ぬぜー」 「どこへ行く」  俺は立ち上がり、背中越しにカラのタバコの箱を掲げてみせた。
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