朱峰

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朱峰

「ぐ……」  最悪の目覚めだった。内蔵に杭でも突き刺さってんじゃないかってぐらいの激痛を堪えて息をする。気を抜けば鋭い痛みを発し、意識が砕かれそうになる。  なんとか痛みの波が引いた頃に、ようやく周囲を見回すことができた。  俺は何故だか、シミひとつない真白いベッドで寝ていたらしい。何がどうなってこんなところにいるのだろう。  ――疲労度、高。謎の腹痛はもとより全身に微熱すら感じる。  しばし呆然として、ようやく事態を把握し始める。黒い漆の木壁、保健室みたいなベッドの並び、窓の外は深夜の寝静まった花宮市。  この診療所みたいな一室には覚えがあった。前にここへ来たのは随分と前の話になるが。 「…………狩人本部、か」  花宮市所属狩人たちの本拠だ。要するにタケルの職場。何故こんな場所にいるのだろう――? 「どうなってやがる……」  俺はあの、謎の大教会に潜入していたはずだ。中は重いものをぶつけたようなクレーターだらけで、途中でタケルと合流して、そして。 「――――――――」  そうだった。あの、教会の大聖堂で赤羽の天使を見つけたんだった。  あの氷のような目に見られただけで全身を悪寒に貫かれ、俺はなかば恐慌を起こして銃を乱射したんだった。  ――思い出しただけで寒気がする。あの女、片手で持ち上げていた白羽の天使の死骸を盾にして、バケモノの速度で駆けよってきたのだ。蛇みたいな地を撫でる疾走。死体を掲げて悪夢の速度で近づいてくるその姿のあまりの異様さに、俺は我を見失い、あえなく一撃を受けて倒れてしまったのだ。  暗闇に落ちていくなか、見下ろしてくる蛇の双眸に、自分が死ぬことをただ虚しく理解し抗おうとしていた。 「……なんで……生きてんだ?」  あの時殴られた腹は痛むものの、それ以外に傷が見当たらない。疲労はあるが、ただそれだけ。虫みたいに頭潰されて死んでるのが妥当だろうに、両の手のひらを見下ろすが異常はなく、俺は夢でも見ているのか?  ――見間違いでなければ、あの赤羽女は、十年前の……。 「なんだ、起きていたのか。てっきりあのまま死ぬんじゃないかと疑っていたのだが」 「ぬ」  安っぽいドアを開けて、見慣れた学ラン男子がコーヒーカップ片手に姿を表した。スリッパ履いてるまるで日曜午後の優雅さだ。  言わずもがなタケルだった。いつも通り表情がない。 「……くれてやろう。卑しく飲め、ケガ人」 「怪我なんてしてねぇけどな」  コーヒーを受け取って一口すするが、上白糖のエグ味とインスタントの尖りが掛け合わされた味がなかなかに薬物だった。不味いコーヒーに舌を焼かれながら俺は、ベッドの隣の丸椅子に腰を下ろした男を見下ろす。足を組み、考えこむようにたて肘ついていた。 「? なんだ」 「いや……お前、すげぇな」  感心せずにいられようか。ようやく合点がいったのだ。昨日の状況から推測すると、答えはひとつしかなかった。 「ほら、昨日の女だよ。大聖堂にいただろ? お前すげぇわ。俺が為す術もなくぶっ倒されたあのバケモノを、(おにもつ)しょって退いたってんだから――」 「ああ……」 「どうなったんだよあの後、おい武勇伝聞かせろよ、おい」  ――――十年前、この街を地獄に変えたあの赤羽。それを一人でどうにかするなんて、やはりタケルは只者ではなかったのだ。  胸がすく思いだ。花宮市民としてメシぐらい奢ってやってもいいだろう。タケルは無表情のまま、何かを考えこむように窓の外に目を向けた。言葉を探しているようだった。  しばしあって、ようやく視線が帰ってくる。 「………………ついて来い」 「んあ?」  言うが早いか、タケルが事務的に立ち上がって起立を促してくる。あっちへ移動したいらしい。よく分からん、こっちはいま目覚めたばかりだってのに。 「何なんだよ、そっちになんかあるのか」 「いいから来い」 「へいへい」  うだうだと立ち上がり、足元に置いてあった自分の靴を引っ掛けタケルの背中に続く。  この病院みたいな建物は地上三階建てで、一階当たりの面積もそこそこ広い。  花宮市狩人本部。見た目に反して実態は病院の真逆だ。なんたって剣呑な異常現象狩りしかいない。  右手の廊下にいくつかの部屋があって、左側はすぐ階段だった。 「…………静かだな」 「夜だからな。たいていの者は出払っている」  当然だった。窓の外は花宮市の大して明るくもない地上星たち、今夜もこの街のどこかで異常現象が悪さしてる。  飴色のゴム床をうだうだ歩いて、何の用事かも分からないまま階下へと歩かされた。 「おいー。タケルちんよぅ、こっちは腹が痛いんですけどぉー」 「………ん」 「ん?」  二階ロビーは数人ほどしかいなかった。この部分的な広い板張りはいつかアニメで見た、殺し屋XYZの家賃高そうなマンションリビングを彷彿とさせる。十二チャンネルの海外ホームドラマにも似ている気がした。  点在する黒革のソファ、思い思いに過ごす数人の狩人たち、そんなものに紛れて。 「…………………な、」  ばけものがいた。髪の長い、少女の姿をした破滅の権化。そんなものが風景に紛れ込んでいて心臓がドクンと震える。  総括と何かを問答する、赤羽の地獄がそこにいた。 「伏せろォ! てめぇら全員そいつから離れろぉおおおお!」  叫びながら俺は、すぐさま銃を抜こうとして、持っていないことに気が付いた。岩のように重く凍りつくロビーの空気。全員が俺を注視していて、しかし何故か鋭敏な狩人どもは一人たりとも微動だにしなかった。 「何やってんだてめぇら! さっさと動け、この馬鹿がッ! なんで敵に本拠地に入られてボサッとしてんだよ! おいタケル、さっさと刀を――!」 「――待て。落ち着け、光一」 「あぁ!? 寝ボケてんじゃねぇぞコラァ!」  あいつの目が俺を見上げて呆けている。仕留めるならもう今しかない、なのに何故タケルは動こうとしない? 逆に俺を制止しようとする?  引き剥がして素手で突っ込もうとする俺を遮るように、ロンゲ男が――花宮市狩人の総括、ロングコートの優男が柔和に微笑みかけてきた。 「新入りの、椎羅ちゃんだ。苗字は何だったかな」 「……朱峰」 「朱峰椎羅ちゃんというそうだ。よろしくしてやってくれ、浅葱。今日からうちの新人狩人になる」  ――――――――本当に、  その瞬間、俺は意識が飛んだかと思った。頭が真っ白になって状況を忘れた。  まったく何なんだよいきなりー、なんて言って雑誌読んでた狩人がファッション情報漁りに戻る。  あっちでは呪い持ちの若い娘が携帯電話いじってて、総括は万事ヨシなんてにっこりしていて、タケルが不思議そうだった。  ……唯一、赤羽だけがまっすぐに俺を見ていた。感情の読み取れない、整いすぎていて人間らしさの欠けたその容姿。知っている。羽人間の特徴のひとつじゃないか。 「おい…………聞き間違い、か? なぁタケル、冗談だよ、な?」 「? 何がだ光一、いまお前も聞いただろう。確かに、朱峰さんは今日から花宮市所属となる新人狩人だ。どういったスキルの持ち主かは俺も知らないが、実力はまぁ、昨晩見たとおりだな」 「……何言ってんだよ……おい、頼むぜ狩人……」  悪寒がする。あの魂の欠けたような無表情と睨み合っているだけでズキズキ頭が痛む。――何故わからない? どうして誰も気付かない? 一見は制服姿の髪の長い少女――でもその背中に、うっすらと赤色の翼が、死の象徴が視えているっていうのに。 「ああそうだった光一、お前、昨日朱峰さんに銃口を向けただろう。反省しろこの大馬鹿者。彼女はな、単独で天使どものアジトのひとつを見つけて突入していたんだ。まったく大した度胸、大した自信そして大した実力だよ。無謀な気もするが――」  愕然と黙りこむ俺の耳元に、毒の吐息が吹きかけられる。 「…………浅葱、少し上で話しをしよう」  総括だった。伊達男が、俺に上へ来いと言っている。二人で話をしようと言っている。  ――その意味深な凍てついた双眸から意図を感じ取れない阿呆ではない。  タケルは事情を知らないようだが――まさか、狩人たちはみんな、あの女が赤羽だって気付いていないのか?  十年前、この街を滅ぼしかけた悪魔が、目の前に立っているっていうのに。 「タケル、お前はもう帰っていいぞ。――では行こうか浅葱、何、時間は取らせないさ」 「……ち」  不承不承ながらポケットに手を突っ込んで総括の背中に続く。気になって振り返ると、赤羽は最後まで俺をじっと観察していた。
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