虫の知らせ

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虫の知らせ

『――もしもし浅葱クン? 久しぶり、私、木下だけど覚えてる?』 「誰だ。木下なんて知り合いいねぇぞ」 『はぁぁ……つれないなぁ。本当、キミってばザンコクだよねぇ。』  電話の相手は知らない女だった。訳が分からんままにタケルに引っ張り出され、電話しながら教室を飛び出した。先を促そうとしたのだが、昇降口で有沙と出くわす。 「あれ、光一? タケルくんまで。どこ行くの?」 「さあな。俺が聞きたい」 「すまない坂本さん、少しばかり光一を借りる。夕刻には返却できるよう努めよう」  俺は図書室の昆虫図鑑か何かか。相変わらず有紗は気にした風もない。 「そっか、いってらっしゃい」 「……おう」  ふりふりと手を振って別れた。校舎を飛び出しながら、俺はほんの少しばかり虚しいものを感じていた。 「なぁタケル。ああやってすんなり行かせてくれるのは優しさか、無関心かのどっちだと思う?」 「優しさに決まっているだろう。疑うべくもない」  だよな。絶対そうだよな。別に、俺のことを生きようが死のうがどうだっていい、なんて考えてるわけじゃないよな? 『もしもーし』  携帯電話が退屈そうに喋る。タケルの背中に置いていかれないようグラウンドを駆けながら、応答する。 「ああ悪い、で? アンタ誰。」 『だから木下だって。イッコ下の木下~。なんで覚えてないかなぁ?』 「おいタケル、木下って誰だ」 「ん。うちの狩人だが」  ハナっからそう言えってんだ。要するにタケルの後輩からだった。1歳下ともなればかなり若手だ。 「ああ、そうか狩人ね。でその狩人がなんで俺に電話なんだよ」 『そうそう、えーとね。単刀直入にいえば、“たすけてください”?』 「断る」 『断られることを断るよ。もういますぐ全速力で狩人本拠へ来てほしいの』 「あづ……ッ」  泥だらけになった烏龍茶のペットボトルを踏んで転びそうになった。クソ食らえだ。 「ち――はぁ。何なんだ一体、用件は何なんだ」 『敵襲っすよ敵襲。うちの狩人本拠にね、いまからテメェラ全員ぶっ飛ばしてやるからなコノヤローっていう、脅迫状? 犯行予告? が来ちゃったわけ。』 「……はぁ?」 『マジひどいんだよー。朝っぱらから郵便ポスト爆破されちゃってさ、私のライブチケットがコナゴナに……ぐす』  なんだいそりゃ、穏やかじゃねぇ。タケルを見ると歯磨きのCMみたく白い歯を光らせた。意味不明。 『爆破音聞いてさ、総括と一緒に外に出てみりゃ、ポストも私のチケットもコナゴナ、門のところに脅迫状が貼っつけてあるしでもう大変なの。いま、残ってる狩人で警戒してる』 「ああ、それで招集? てかなんで俺が呼ばれるんだよ。タケルだけでいいだろ」 『あーそれがねぇ。友達がさぁー、私に浅葱くんと電話させるっつって聞かなくってさー』 「わけが分からん」 『同感……って、あれ? 何いまの音。あれ? えっと、カヤちゃーん? ねぇ何いまの……』  急速に声が遠ざかった。確かに何か、爆発音のようなものが聞こえた。続いて人の叫び、戻ってきた木下も悲鳴のような声で「やばいやばいやばい……!」と叫んで駆ける。ノイズだらけで聞こえにくい。  なんだ? 騒がしい。 「おい、木下? どうした。どうなってんだそっち」 『やば、やばいよ本当に来た!? 来た来たやばいってこっち見てる! ちょ、カヤちゃんだめこっち――!?』  そこで、砂嵐に巻き込まれてしまったかのようにノイズに覆われ、ぶっつりと通話が途切れる。  虚しい電子音、当然ながら木下の応答はない。どうにも電話の向こうで、リアルタイム阿鼻叫喚が繰り広げられてしまったらしい。 「……おいタケル、切れたぞ。なんか、敵襲だって」 「もう始まったのか。予想より早かったな。急ぐか――」  言いながら何故に、こいつは平然としていやがるのか。  俺は徐々に状況を理解しつつあった。  狩人本拠に? 襲撃者がやって来て、電話がぶっつり途切れちまったって?  いま現在、きっと本拠では謎の襲撃者との死闘が繰り広げられてんだろう。木下たちが応戦してるのだ。俺たちはまだちんたらグラウンドを駆けていた。  あっちには何人の狩人が残ってるんだろう。襲撃者は一体何人だったのだろう。木下は無事なのだろうか。考えているとだんだん焦ってきた。 「……なぁ、もしかしてやべぇんじゃねえのか?」 「いや、やばいぞ? いまさら気付いたのか。全速力で増援に行かないと全滅するやも知れん」 「…………。」  がつーんと来た。本当、こいつは一発殴って修理しないといけねぇんじゃなかろうか。  こういう時ムショーにタバコが吸いたくなる。 「ああ面倒くせぇ……」 「ま、諦めて巻き込まれてくれ。」 「アホか。お前1人で行けっつんだよ」  だが、木下?に頼られた手前、放っておいて勝手に死なれても寝覚めが悪い。まったく困ったもんだ。こっちはナイフ1本しかないってのに。 「! ――おい、よりにもよって、今日の挨拶当番はゴリラかよ」  グラウンドを突っ切り、駐輪場横を抜ければ校門の所にゴリラみたいな体育教師がいた。タケルが無感情に顔をしかめる。矛盾してるがそういう表情なのだ。 「チィ――面倒だな。突破するぞ」  体育教師がこちらに気づき、スト2のゴウキのような顔をして校門を閉ざしに掛かる。俺たちの進路を塞ぐ気だ。あのゴリラ、あんな重そうな門を1人で閉めるとか何事だよ。  まるで監獄の塀のように立ちはだかる重々しい門、貧乏な県立高のくせして門だけはバカご立派。  たどり着く頃には校門は音を立てて完全に閉まりきってしまい、ゴリラがふははははーなんて哄笑を上げる。 「フ――」  ここにきてタケルが急加速。もはや人間の速度じゃねぇ。そのまま、声を上げる教師に構わず滑りこむように門に背中を押し付け、バレーのレシーブのように両手を組んで沈んだ。意図を理解した俺は、タケルの両手めがけて跳躍。  ――この瞬間、俺の靴底がタケルの手に引っ掛かり、脚力と瞬発力が掛け合わされる。 「飛べ……ッ!」  体育教師唖然。俺は、アクション漫画のごとく完全に宙を舞っていた。重々しい校門を超え敷地外のアスファルトにずだんっと着地して滑走する。さながら脱獄に成功した囚人のようだった。 「…………。」  遅れて、タケルも隣に着地した。無音だった。どうやって飛び超えたんだかは知らない。 「やれやれ、何とかなったな。だが安心してる場合じゃない。行くぞ光一」 「…………帰っていいか。俺、教室戻って授業受けるわ」 「ほう? 背後を見てもそう言えるなら好きにしろ」  背後では、檻に閉じ込められたゴリラが狂乱していた。狂乱と言うより他ない壮絶さだった。 「……参ったねぇ」  タケルは淀みなく駆けていく。
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