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最速の男
何事もなく登校し、何事もなく靴を履き替え何事もなく机の上にカバンを置いた。
「ふぁ……くっそ眠い……」
全身血が抜けてんじゃないかってくらい重い。欠伸していると、何故だか、先に来て女子とダベっていた伊織が切り裂きジャックを見つけた時の顔になった。
収縮した瞳孔で俺を捉えて石になっている。
「……ん? なんだ。」
「こ――こここここここ、」
鶏のモノマネをしているらしい。ははは見ろよみんなコイツおかしいんだぜーって笑おうとしたら、クラス全体が凍り付いていることに気付いた。
「あん……?」
時刻は八時二十分。全員が全員、死人が登校してきたように俺を見ている。言葉さえない。蛇髪オンナに石にでもされたのか。
「…………何なんだお前ら? 訳が分からん」
「ここここここ光ちゃんが、ちちちちち遅刻せずに登校してるぅぅうーッ!?」
伊織が噴火した背後、がららとドアを開けてタケルが入ってきた。クラスの連中は石化の呪いが解けたのか、ざわざわざわざわ不穏そうに噂していた。
「ああ、来たな光一。よく二度寝しなかったもんだ」
「お前が来いっつったんだろが」
あー、なるほどー、なんて周囲が感嘆の声を上げる。なんですかコイツラ、暇なんですか。
少々癪に障ったので、俺は背後を振り返り、名前も知らないガリ勉そうな男子ににっこりと笑いかけてやった。すると恐怖に引きつった笑みが返ってくる。俺は椅子を振り上げ、そいつに向かって投げつけた。
「オラァ! 見世物じゃねっぞクルァああ!!」
「うごぷ……ッ」
「きゃあああああ!?」
女子が悲鳴を上げ、ガリ勉な男子が鼻血散らしてもんどり打った。そんなものを気にも止めずにタケルがやって来て、ドヤ顔で儚んでみせる。
「フ――よく来た光一。これでひとまず、俺一人が危難に立ち向かわなくてはならない状況は回避できたな」
「だーかーらぁー。何なんだよ一体、いつまでも勿体つけやがって。何だ? 一体なんでこんな朝早くから俺を呼び出したんだコラ」
「フ――」
「てめ……」
ぴきりと青筋浮かぶのを自覚した。
無残に倒れ伏したガリ勉男子の周囲には人だかりが形成され、誰かが悲痛に呼びかけ、その中に混じった伊織が人殺しぃ! この人殺しぃ! なんて半泣きで俺を責めてくる。
「なぁタケル。俺はよ、ぼちぼちお前のそういうくだらん遊びに付き合わされるのにも飽きて来たんだが?」
「まぁ落ち着け、案ずるな。俺の暗算ではそろそろ連絡が入る頃合いだ」
「あん……?」
タバコを吸おうとしたが教室だった。優雅に笑ったタケルの予言、そして何故だか、タイミングよく流れだすデスボイス。
合奏するように何故だか、タケルのケータイまで鳴り出す始末。デスボイスとデフォルト電子音、2つの携帯が同時に着信を知らせる。
俺は嫌な予感から電話に出ることが躊躇われて、ひとまず大きく溜息を吐いた。
「……お前、着うたくらい設定しろよ」
「早退の届けは書いておいた。行くぞ」
最速の狩人はニヒルに笑って、2枚のプリントを掲げてみせるのだった。
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