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猪の巣は背丈の高い野草に囲まれて、一見それと解り辛い。
茫々と茂る藪の中に、葦や萱の葉が無秩序に折り重なって見える。
巣を見つけた時、まず真っ先に確認しなければならないのは、その巣が本当に放棄された後のものか、という事だ。――ジンは猟師ではない、狩人だ。猪と直接対決は御免被る。
まずは少し離れた場所から周辺を探る。鳴き声は聞こえないか、新しい足跡は無いか、フンが落ちていないか、泥の擦りつけられた木は見当たらないか。
ジンは一つ一つ、少年に説明してやりながら辺りを確認する。
そうして改めて少年に木陰に隠れてもらってから、いよいよ本格的に巣に近づいた。結構大きな巣である。作る方も大変だっただろうに。
「狩人さん」
背後から、少年が声をかけてきた。また「何故?何?」だろうか。流石に今は後にして欲しい。後ろ手を振って、少年に待てと合図を送るが、少年の方は意に介さない。
「狩人さん、猪の巣は虻や蚊に刺されないよう、子猪を守る為に作られたものなんだそうです。本来、巣は安全地帯の筈です。
けれども実際は、虻や蚊に刺された子猪が巣の周りで死んでいる事があるそうですよ」
「?」
突然、少年は何を言い出すのか。
「あと蛇。――ハブが子猪を丸呑みしたのが発見された事が、過去にはあるそうです。
こういう草の多い場所って・・・・居ますよね」
ジンの目の前で、猪の巣の屋根が吹き飛んだ。いや、跳ね飛んだというべきか。
のそりと現れたソレの大きさは、どだい巣の中だけに納まるものではあるまい。恐らく、巣の後ろに潜んでいたのだ。
―――ずおぉっと身を起こし、頭をもたげたソレを、ジンは呆けて見上げた。
――蛇。
真っ先に思い浮かんだのがそれだ。
長い長い胴体に、表面を覆う緑色の鱗。もたげられた頭が上下にぱかりと開けば、中は真っ赤。
ぱらら・・・と乾いた音がする。ページがめくられる音だ。
ぱらら、ぱらぱら、ぱらら・・・。
「――――“獣”の『本』」
口について出た声は、意図せず掠れていた。
緑色の表紙が何冊も何冊もその表面を覆って、鱗のように見せている。その口の中は、真っ赤な表紙。
『本』の一冊一冊が蠢いて、ひしめいて、ソレは蛇をかたどっていた。その蠢く姿が、蛇のカタチに息吹を与えている。
目の前の蛇は――ぱらら、ぱらぱら、と体のあちらこちらでページをめくらせ、それはきっと“獣”の威嚇音。
単体の『本』ならば“鳥”と呼ぶ。複数の『本』が連なって形を成しているのならば“獣”と呼ぶ。
双方の違いは、構成する『本』な冊数はもとより、そこに記された知識の質もあるのだけども・・・。
まず真っ先に狩人が気にするべきは――“獣”の『本』は己を狩らんとする者に対し、敵意を示す、という事だ。
ざっと見、全長二メートルともう半分。そのかっ開いた口の中には、自分の頭がすっぽり収まってしまうだろう。
―――でかい。
過去、ジンが経験した“獣”で一番大きかったものは、小型の雌鹿を模したものだ。蛇を模した“獣”それ自体は珍しいものでは無いが、それでもこのでかさは完全なる規格外である。
「少年、絶対にこちらに来るなよ!」
背後の少年に向けて、叫ぶ。返事は無いが、それを了承の意と取った。
“獣”のもたげた頭が、そのまま勢いよくジンに喰らいかかってくる。とっさに銃を掲げて顎にかませ・・・そのまま横面を蹴り飛ばした。
よろける“獣”の背に回り込んで、首にとびかかる。両腕まわしてもなお余りある外周である。
振り落とされないよう必死にしがみつきながら、サバイバルナイフを抜いた。
――蛇に明確な弱点は無い。気を少しでも抜けば牙に噛まれて死ぬか、長い胴に巻かれて死ぬか。本体が紙である『本』の殺傷能力が実際のところどれほどか解らないが、生憎とジンは己の身で検証するつもりは無い。
蛇の喉首を一気に切り裂く。浅い。
獣肉とは違う、幾重にも重なった紙を裂くじゃぎじゃぎとした独特の手ごたえ。――勿体ないなぁ、と思ってしまうのは狩人故か。
蛇の顎が緩み、支えにかませた銃が落ちるのを、ジンは負革を掴んで銃を取り戻す。あとはその脳天に狙いを定めた。
「スネークショット弾、持ってないなぁ・・・」
ブレークアクション。銃身とレシーバーの継ぎ目を折って、弾込めする。
込めた弾は一発弾――ブリネッキ型。
「散弾銃は、“散弾”ばかりじゃないんだぞっ、と」
本来は熊などに使う弾だが、念のためと一発だけ所持していたのが良かったのか悪かったのか。――何冊無事で済むかなぁ、とちょっと余計な事を考えながら発砲した。
鋭い銃声と、砕ける“獣”の頭蓋。その穴に手を突っ込んで、一際鮮やかな赤い『本』を引っ張り出す。素早くタイトルを書き入れた。
流石に状況が状況なので、タイトルの適当さは勘弁願いたい――『蛇の本』。
そうすれば、まるで氷が溶けるかのように“獣”の体は崩れだす。ジンのしがみつく首も、その一冊一冊がばらばらとばらけて・・・しかも『本』はどだい快適なクッションとはいいがたい。固い表紙がジンの体を受け止めて、痛みに呻いた。それでもしっかりとタイトルの書き記した『本』は握ったままだ。
「・・・やっぱ穴開いた」
握る『本』のど真ん中。綺麗に開いた銃創にげんなりと呟く。他の『本』も、破けていたり裂けていたりと散々だ。真っ二つの物まである。一体修復にどれだけかかるか、そも修復可能な『本』がどれだけあるか・・・。
「明日の山入りは無理だな」
やれやれ、と・・とりあえず危機を脱したジンは『本』の山の上で大きく伸びをして・・・
そうして離れた場所からこちらに駆けてくる少年の姿を見た。
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