間章1

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間章1

 ジンは現在、店の受付カウンターに昨日の『本』を並べて、状態を確認している。ナイフで裂いた傷、銃で撃った穴はどうしようもないだろう。悲しいかな、そういう急所に配置された『本』程、価値の高いものが多い。  ―――黒死病対策。  ―――死病のリスト  ―――脳のメカニズム  専門学を収めていないジンでも解る。これは明らかに傷つけて良い類のものではない。医学書か・・・、とタイトルを書き込みながら、ここが王都でなかった事に心底感謝した。でなければ今頃、学者集団が怒鳴り込みに来ている。  あの時適当に書き込んだ脳の『本』もすでにタイトルは書き換え済だ。    と、店の来客を知らせるベルが鳴った。入ってきたのは“クラウン”である  少年に怖い思いもさせただろうから、お役御免の話かとちょっと期待した。  しかし“クラウン”はジンに会釈すると、まず店の中を歩き始めた。そうして書棚を見回す。彼のような人間が見るには、大分物足りない『本』のラインナップだと思うのだが、彼は時折棚から『本』を取り出して、開き、戻してまた別に新しく取り出し・・・と繰り返していた。  「立ち読み禁止・・・とまでは言いませんけど。どうせなら買って行って頂けませんかね?」  「ああ、すまない。」  彼は上背のある体を軽く曲げて謝罪して来た。金色の髪は上品に撫でつけられ、彼が入ってきてからこちら、清涼感のある香りが店の中に漂っている。恐らく彼がつけている香水だろう。  「この店は童話が多いのだな、ついつい懐かしくなってしまった。」  童話が多い店は、王都でも珍しいだろう。やはり『本』とは知識であり、その知識が濃厚である程、人々は求める。童話はどちらかと言えば娯楽の部類で、知識『本』を差し置いてそちらを買い求めるのは金持ちの道楽になってしまう。  「童話がお好きで?」  「読めるものは何でも読む性質でね。――私は『本』飲みなのだよ」  『本』飲み、とはあまり聞かない表現だ。『本』に熱中しやすい人間を、活字中毒などと呼んだりするが、それとは違うのか。  「ついそこに『本』があると、学問書、技術書、小説、童話問わず何でも読みふけってしまうのだ。しかもあればあるだけ、脇に平積みにして一気に読んでしまう。それで『司書官』殿が私の事を『本』飲みだと表現された」  『本』を平積み、というのが凄い。本屋や狩人以外にそんな贅沢が出来る人間は早々いないし、『本』を読む作業というのはなかなか時間がかかるから。飲む、と表現する程のめり込めるというのはかなりの『本』好きだ。  「しかし狩人は価値ある知識を記した『本』をこそ優先的に狩る。これ程童話の揃った本屋を、私は知らんな」  “クラウン”はからからと笑った。迫力ある強面の男なのだが、笑うと顔いっぱいに愛嬌が広がる。ちょっと変わった顔貌だな、とジンは相手を見定めた。  「『本』は知識である。そして人々は『本』を得る事によって繁栄を約束されて来た。そこに記された知識が、人間を豊かにしてきた。  しかし悲しいかな、今現在『本』はそれを所蔵する事そのものが一種のステータスと化している。  聞かせては貰えないだろうか、辺境の狩人殿・・・童話『本』の店主。  貴公は『本』がどのように在るべきだと思う?」  “クラウン”の目線はジンの手元で固定される。そこに在るのは穿たれた『本』だ。  「俺は狩人で、本屋だ。『本』がどう在るかなんて、買った人間が考えるべきだろう」  これは逃げだ。『本』がどう在るべきか・・・どう在って欲しいのか。  そう、『本』とは何か・・・。  だのに“クラウン”は「素晴らしい」と目を輝かせた。   「まさにそうであろう。『本』とは得た者がどうするべきか・・・  どう活用するべきかを選ぶべきだ」  「・・・・は?」  つい先ほどの、この男の言葉では『本』を所有したものが、『本』をステータス化する事に納得していない様子だった。だのに彼は同じ口で所有者が『本』の扱いを決めるべきだという。  いや、『どう活用するべきかを選ぶべきだ』・・・そこが重点か。  「私は、『本』とは選択肢だと思うのだ。」  ジンはゆったりと店の中心に佇む”クラウン”の元に歩み寄った。  「『本』とは、確かに知識だ。だが知識そのものが『本』だというのは少し違うのではないだろうか。」  「凄い事を言うな。」  世界常識を、この目の前の男はばっさりと否定して見せた。  「『本』を得る事で、人は自分にとって必要である知識を選択する権利を得るのではないかね?  ――大工に料理『本』を渡して何になる?  ―ー修道院に娯楽『本』を渡して、それは有効活用されるだろうか?  人は己に必要な知識を選んでこそ、そこからさらに知恵を絞り、豊かな生活、正しい生き方が出来るのではないか」  『本』は知識だ。けれども知識は人が選ぶ。『本』の中から必要な知識を選択する。そこにあるのは、貴族が望むステータスではない。  「また『本』を読むことで先の選択肢を広げる事もできる。  成程、子々孫々繋がる家業や人から聞く経験談も重要だろう。  だがそれだけでは選択肢が限定的になってしまう。  しかしもっと広い知識を得る事が出来たら?  知識が文字という形で目に見え、残り続ける・・・『本』を読む事で、国民一人一人の選択肢はどれだけ広がるか。  例えばこのような田舎に君が今持っている医学の『本』を大量に撒くとしよう。例えば今、店の外を駆け回っている子供の、その中のたった一人でもそこに興味を持ったならば?  都会の子では思いもつかない医術、療法に辿り着くかもしれない。  あるいは医師不足の辺境に、在住の医師が生まれるかもしれない」  何やら、とてつもなくスケールの大きな話を聞いている気がする。  どうにも目の前の男は、論ずるとどんどんヒートアップする性質らしい。  ジンが身を引き始めている事に気づいていない。    「人は『本』を元に知識を得て、利用し、応用し、協力し、伝え、そうして繁栄してきた。しかしそれはどうしたって財ある者、地位ある者に限定されてきた。  しかしそれを万人が得る事ができるのならば?  『本』を選択肢の手段として、誰もが見られるようにしたならば  --この国はもっと豊かになるのではなかろうか」  途方も無い。そして、在りえない。『本』は知識だ。知識は神の御業だ。神の御業は常に万人に等しく与えられるものではなく・・・いつだってその相手は選択されて来た。狩人、そして希少『本』を得る財のある貴族、豪商。  それをこの男は、この男の言う事は・・・  人が『本』を選ぶ  神の御業を、人が選択する。  ――――そういう事ではないのか?  「教会の人間が聞いたらひっくり返る」  「大丈夫だ、枢機卿殿がもうひっくり返った。」  「全然大丈夫じゃないだろ、それ!」  教会の一番偉い人間に話したのか、この男は。とんでもない。  「何なんだ・・・あんた」  「実のところ、私とて本当は『本』をこんな政治的・・・あるいは思想的理由で持ち上げたくはない。  元々論争も得意ではないのだ。――すまない、驚かせてしまったな」  何だ、こちらの反応にちゃんと気づいていたのか。  「ただ・・・私自身がまだまだ足りないのだ。もっと『本』が読みたい。  もっと広く、それこそ私ですら読めない『本』が世界にはある筈なのだ。  あるいは私が、私という立場でなければ、世界中を旅してありとあらゆる『本』を探す事も出来ただろうに」  ”クラウン”は書棚の中から一冊の童話を取り出した。ジンにとっても、嫌になる程見慣れた表紙。ジンが一番嫌いなその『本』。  「白鳥になった王子達――――私もかつてはこんな風に別の何かになって、飛んでいけたらと思っていた。」  とっさに、ジンは彼の手から童話を奪う。脳裏で何度も繰り返される、妹の姿。  ―――『お兄ちゃん。』  あの子は、この本を何度も何度も撫でて。  ―――『私、『本』になりたい。』  「狩人殿?」  真っ青なジンの顔に、”クラウン”は驚いて目を見開いている。  ジンは跳ねる心音を宥めた。    「そんな事は・・・考えない方がいい」  「?」  「『本』のようになりたいなどと・・・そんな事は、絶対に」  ”クラウン”はしばし『本』とジンを交互に見ていたが、ゆったりとほほ笑んだ。  相変わらず、笑うと雰囲気ががらりと変わる。  「大丈夫だ、私も覚悟を決めている。  私は私の全力を尽くして、私の生きやすい世界にするつもりだ。  そしてそれが、世界にとっても良い事であると信じている」  大層な自信である。  本当に『本』が万人の元に選ばれて読まれる世界になったら・・・ジン達狩人はどうなってしまうのだろう。狩人は神の試練に挑む者だ。その事に誇りを持っている。  そも”クラウン”の話は、どだい、現実的な話ではない。  「なあ、俺も聞きたい。  あんたは何でも読むと言った。――『本』は知識だ  ならばなぜ、童話なんてものが存在すると思う?」  この、『本』飲みだという男に、長年の疑問を聞いてみたくなったのは、狩人として、ちょっとした反発心が生まれたからだろう。  「楽しいからだろう」  「・・・・は?」  「童話も、小説も、読んで楽しい。気分が高揚するではないか。あれらはスパイスだ。知識ばかりを詰め込んでも、全く楽しくない。  私は『本』飲みだが、物語中毒でもあるのだと、自称している」  「―――いや、本当に何だソレは・・・」  おかしな男である。”クラウン”は己の言葉に本当に疑うところがないのか、えへんと胸を張って見せた。  「ああ、それとな・・・狩人殿。  是非とも次から私に対しても、そのようにフランクに接して欲しい。  この店に入った時のような敬語は必要ない。  私達は同じぐらいの歳だろう?―――ならばもう友人では無いか」  ジンは、二重の意味で驚いた。  まず、”クラウン”と呼ばれるこの男から、身分ガン無視して友人誓言された事。  ---あと、同じ歳だと言われた事。  「俺・・・二十五なのだが?」  「と、年上か??」  そんなに若く見えるか、自分は・・・。童顔と言われた事は無いが、ジンは改めて己の顎をなでなで、考える。むしろ目の前の男に貫禄があり過ぎて実年齢より老けて見える。  まあ、いっか。とジンはあっさり切り捨てて・・・。  「貴方・・・いや、君さ。“クラウン”なんて名乗らずに、いっそ“キング”と名乗った方がいいんじゃないのか?」  そうして苦手と言いながら見事に持論を披露してみせた、身分違い甚だしい友人に笑ってみせた。彼は―ー最初はきょとんと。  そして、次いでばつの悪そうな顔を作った。ジンとて、伊達に何度も王都に『本』を売りに出向いてはいない。彼の顔には見覚えがあった。  ついでにその記憶が正しいならば、彼はジンより五つは年下の筈である。  「今はまだ、早いな。―――しかし、いずれ必ず」  大した自信だ。“彼”には兄が二人いた筈である。    最後、彼は店を辞する時思い出したようにジンに尋ねた。  「君には、足の不自由なご家族がいるのかね?」  「どうして?」  「君の後ろ・・・二階に上がる造りが階段ではなく坂になっている。 手すりもしっかりしたもので・・・田舎でそのような造りの家は珍しいだろう」  受付カウンターの後ろ。ジンの居住スペースである二階へ上がるそれ。  特別に、村の大工に作り替えて貰ったものだ。頼んだのは父だったけれども。  “クラウン”は、ジンが一人暮らしである事を村長から聞いているだろう。  「―――妹がね、いたんだよ」  ジンはひらりと“クラウン”に向けて手を振った。
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