『本』の狩人(中)

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 討たれた猪は逃げ出した。やはりというか、バックショット弾では威力が足りなかったらしい。  まあ、仕留めるのが目的では無い。むしろ下手に山の獣を狩ると、村の猟師達に睨まれてしまう。  そこら辺、お互いの不文律というものはあるのだ。  猟師は獣を狩る。狩人は『本』を狩る。    ・・・兎に角、当座の危機は去った。  一端休憩しようと少年を呼び寄せ、昼飯の準備をする。  適当な倒木に腰掛けて、火を起こす。水のはった鍋をかけて干し肉、米を入れて煮立つのを待つ、待ってましたとばかりに少年はいつもの「何故?何?” 」を始めた。  「何故先程の猪を逃がしたのですか?  捕まえれば良いタンパク質になったのでは?  相手は手負いです。手持ちの弾が威力不足であっても・・・この前の蛇のように、ナイフでとどめをさす事もできたのではないかと」   「手負いの猪に飛びかかる勇気はない。弱っている時ほど、山の獣は危ないんだ。少年、君はあの鋭い牙を見て尚、ナイフを手に近寄る事ができるか?」  少年はふるふると首を振った。彼も『本』をよく読むようだし、恐らく英雄譚の類と現実をごっちゃにしているのだろう。  目の前の彼はそれに自分で気づき、恥じているらしい。顔を背けてしまった。  「あと、猪を狩れたとしても、洗浄する為の川が近くに無い。材料も足りない。  猪を分解するのは、かなりの重労働だ」  「あれ・・・?ここに来る途中、川を横切りませんでしたか」  「あれは川ではなく、人口の用水路だ。山の中腹にある泉から道を通してそのまま村の水場に流れている。――猟師が使う川とは別だ。  ちなみに先程の用水路の水は、少年達にも提供されているはずだが?」  ぶるり、と少年の体が震えた。  素直で結構。ジンだって何が流れてくるか解らない水を生活用水として使用するのは御免である。  「貴方の武器は散弾銃なのですね。――何故ですか?」  話題をがらりと変えたのは、多分彼もこれ以上考えたくないからだろう。ジンは己の散弾銃を体の前に出す。    「銃弾の選択ができるからだな。『本』を相手にするとき、最も適した弾を選択できる」  バードショット、スネークショット、スラッグショット、バックショット、バードボムズ、スチールボール、岩塩を詰める場合もある。    少年の掌に、小さな袋包みを渡してやれば、彼はぱちくり瞬いた。  「これは?」  「それも弾だ。現状一番威力が低い。――フラワーシード弾という」  「花の種?」  「神の試練に花の種で挑む・・・なかなかロマンチックだろう?  しかし『本』相手だとその弾でも傷をつけてしまう。  そういう意味ではライフルのような一発弾の方がいいんだろうが、あっちは威力がありすぎる。散弾銃は、一発弾も存在するから、まあ、要所要所の切り抜けに丁度いいんだ」  「・・・散弾銃だと、穴だらけになるイメージがありました」  「複数の『本』が集まる“獣”タイプは、散弾の方がいいな。先日のあの巨蛇は例外だ。――あれは規格外すぎる」  「頭のど真ん中に大穴開けてましたもんね」  「言うな・・・思い返せど、もっと良い方法があったんじゃないかと自己嫌悪に陥るんだ。――これでも狩人歴は長いんだぞ?」  そろそろ鍋が煮立ってきた。椀を二つ取り出して、少年の分と自分の分をよそう。匙と一緒に少年に手渡せば、彼はじっとジンを見据えたまま受け取った。  「狩人さんは、何で狩人さんになったんですか?――昨今、本屋と狩人の兼任は珍しいですよね?」  「親父が狩人だったからだな。爺さんもそうだったらしい。  あと俺の場合は、家に妹がいて・・・そいつが無類の『本』好きだったんだ。  特に童話が好きでな――“クラウン”、あいつを君は『本』飲みの物語中毒と表現したらしいが・・・  うちの妹もまさにそれだったんだろうさ」  「妹さん、ですか?――ご家族がいらっしゃたのですね」  「結構前に事故で死んだ。――うちの店に童話が多いのはそういう理由だ」    ――悪い事聞いちゃいましたか?・・・と此方の顔を伺う少年の頭をわしわしと撫でてやる。  「でも、いいなぁ」・・・と少年は唇をとがらせた。  「本屋も狩人も、『本』が読み放題じゃないですか。『本』は高い、童話一つとっても、とても高い。  なんというか・・・ずるいなぁ」  あっはっは。――ジンは腹を抱えて笑い出した。  少年は何事かと目を見開く。全くもって、彼は素直な少年である。    「そういう風に考えるヤツは結構多いんだよなぁ・・・。けどな、狩人にとって『本』を狩る事は神の試練に挑む事で、本屋にとってはそもそも商品だ。『本』に求める意味が違う、といえば解るか?  ――確かに知識は面白いし、役に立つ。  けれども、だからといって何でもかんでも知識が欲しいわけでもない。そんな風だったら、本屋も狩人もとっくに職を辞めて、持ち得る限りの知識を使って豪商になり貴族になりなっているさ。」  「?」  「例えば俺が医学の『本』を読んだとして、それを使いこなせると思うか?」  ふと、そんな話を最近したな、と金髪の男が脳裏を掠めた。そしてジンの問いに目の前の少年はぶんぶんと頭を横に振ってくれるのだ。  「それに、『本』を買い求める者達は誰かが読んだ後の・・・所謂中古本を嫌がる。その『本』を手に入れ、読むことが出来るのは己だけでありたいと貴族ならば思うんじゃ無いか?――希少『本』なら尚のことだ」  「そうですね・・・そういう貴族は多いです。非常に」  ジンは肩をすくめた。椀の中の即席雑炊をすする。確かこの肉はシカ肉だったか。うまく湯で戻されていて、干し肉特有の固さがほぐされている。  保存の為に塗り込んだ塩が、雑炊をうまい具合に味付けしてくれていた。  少年も行儀よく匙を口に運びながら、ぽつりとつぶやく。  「『本』は、何故こんな限定的なものになってしまったのでしょうか。  知識の象徴になり、狩らねば得る事ができず、だからこそ、それは他者に対する優位性、ステータスとなってしまった。」  歳の割に難しい事を言う。  「『本』だって・・・本当は読まれたいのに」  ぱらら、と少年は内ポケットから小さなノートパッドを取り出して、何やら書き込んでいく。  「それは?」  「貴方から得た知識を書き留めているのです。――現在進行形で経験から得る知識というのは、既存の『本』でもなかなか手に入らない」  「―――随分と厚いな・・・そろそろ『本』になるぞ」  「・・・・・・」  少年は、ぱたりとノートパッドを閉じた。瞬間、ただの紙の塊であったはずのソレが、左右の表紙を開き、ぱたぱた。ぱたぱたと羽ばたき出す。  少年は、その動きに逆らわない。  ぱらら、ぱらら、と文字が書かれたページがめくれる。そうして、少年の手が緩んだ瞬間に、――ぱ、と空に向って飛び上がった。  少年のノートパッドは、そこに記された知識を載せて“鳥”の『本』になって飛び立ったのだ。  「知識は神の御業だ。知識を集めたそれを『本』と呼び・・・知識を書き、纏めれば、あるいは他の『本』の知識を書き写しても、それは神の御業に近づく事になり、ああやって『本』になってしまう。  ――もうそんな事はやめておけ、下手に神の御業に手を出すといつかバチが当たるぞ」  「大丈夫ですよ、当たった事がありませんから」  知識が残せない・・・なんて、生きづらい世の中ですね。  少年の顔は、泣き笑いに見えた。  「・・・当たるんだよ、バチが」  それに返すジンの顔も、多分同じようなものだっただろう。  しばし、何とも言えない空気が二人の間を漂う。先にそれを破ったのは少年の方だった。  彼は空になったジンの椀を指さして、にっこり笑顔で、追加をおつぎしますね?――と、おたまでよそってくれた。  ジンはその椀をかきこむように空にして――――  そうして少年の目が外れたすきに吐き出し、口の中を水筒の水でゆすった
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