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エピローグ
「くっそ……」
櫨染は赤い擦過傷のできた手首をさすりながら、蜂巣を出た。
隣には、髪と服を整えた、うつくしい女……いや、スズランの姿がある。
本当はこうして並んで歩くことすら嫌だったが、男娼として、お客様のお見送りをしなければならないのだ。
「あんまりブスっとしてると、またお仕置きするわよ?」
きれいな瞳でじろりと睨まれ、櫨染は鼻の頭にしわを寄せてそっぽを向いた。
スズランの嘆息が聞こえてきたが、無視をする。
もう二度とこの女……いや、男か……からの指名を受ける気はないし、万が一またベッドを共にすることがあっても今度は絶対に油断はしないので、あんなふうにマウントを取られるのは最初で最後のはずだ。
しかし……この自分がこんな細腕の相手に好き勝手されるとは……思い出すと顔から火が出そうになるので、櫨染は必死にあのときの記憶を頭から追い出しにかかる。
ゆうずい邸に戻ると、ちょうど数名の男娼がお客様のお見送りに出ているところで、ホールが少し賑わっていた。
「あっ、涼香さんだっ」
不意に元気な声が響き、パタパタと足音が近づいて来る。
顔を横へ向けると、青色の着物を着た青年が小走りにこちらへと近寄ってきていた。
青藍、という名の男娼だ。
すでに客の見送りを終えたのだろう。誰に気兼ねすることもなく、人懐っこい犬のように駆けてくる。
「あら、青藍くん」
スズランがにっこりと顔全体で微笑んだ。
ものすごく嬉しそうだ。
櫨染を組み敷いていたときよりも、なんだかイイ表情をしている。
「お久しぶりですね、涼香さん。今日は、漆黒さんじゃないんですね」
「うふふ。今日はちょっとね。でも、青藍くんもまた指名したいわ」
「わ~、ありがとうございます。でも涼香さん、すぐに縛ってくるからなぁ」
青藍の言葉に、櫨染はギョッとした。
そうだ。この青年も、スズランと寝たことがあるのだ。
ということは……。
「おっ、おまえもケツに指突っ込まれたのかっ!?」
櫨染は、つい、大声で口走ってしまった。
一瞬、ホール内がシン……と静まり返る。
周囲の者たちの視線が、櫨染に集まった。
櫨染は突然の静寂にハッと我に返り……恐る恐る青藍と目を合わせた。
青藍はきょとんとした表情で、数回瞬きをして……。
それから、内緒話でもするように口元に手を添えて、怖々と問いかけてくる。
「は、櫨染さん、もしかして……」
「うあああああああっ!」
櫨染は髪をぐしゃぐしゃに掻き回して悶絶した。
なんということだ。
自らそれをバラしてしまうとは!
「いいいいいまのは嘘だぞっ。おまえはなにも聞いてないっ。聞いてないなっ!?」
「……は、はぁ」
「てめぇらっ、こっち見てんじゃねぇよっクソがっ。み、見るなぁぁぁっ!!」
「あっ、ちょ、櫨染さんっ」
バタバタバタバタっと足音も荒く走り去ってゆく櫨染を、反射的に青藍が追って行った。
ひとり残されたスズランは、込み上げてくるおかしさに肩を揺らして笑った。
「おいおい」
隣から低い嘆息が落ちてきて、誰かと思い見てみれば、着流し姿の楼主が煙管を唇に咥えて呆れたようにスズランを見下ろしている。
『涼香』の恰好をしているときに話しかけてくるのは珍しいなと思いつつ、スズランは軽く会釈をした。
「手前ってやつは、まったく……」
「あら。お仕置きと聞いたので、そのようにしただけですけど?」
楼主の小言を制するように、スズランはそう言ってシレっと肩を竦めてみせた。
楼主が煙管の吸い口でこめかみを掻いて、ふぅと紫煙を吐き出す。
「櫨染がケツでの快感を覚えて、客を抱けなくなったらどうしてくれんだよ」
「そのときは、しずい邸の男娼になればいいんですよ。あの子、中々素質ありますね。お尻を指で苛められて……すっごく可愛い顔で泣いてましたもん」
うふ、とそのときの櫨染の泣き顔を思い出してスズランが微笑むと、楼主が胡乱げな視線をこちらへと送って来た。
「あれだよなぁ。手前がアザミの後釜に座れねぇのは、ちょいちょいその雄味が顔を覗かせるからだよなぁ」
「嫌だわ。レディに向かって、雄味なんて。失礼ですよ」
「…………」
誰が淑女だ、という楼主のこころのツッコミが聞こえた気がしたが、スズランはそれに気付かなかったふりで、櫨染が去って行った方へと視線を巡らせた。
あの金髪のダメ男娼。
次に会ったら、本格的にお尻を躾けてあげるのも楽しいな、と想像するとムラムラして。
櫨染がまた問題を起こしてくれればいいのにな、と。
スズランは再びの邂逅を期待して。
うふふ、と赤い唇をほころばせたのだった……。
END
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