聴取ファイル3

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聴取ファイル3

「すみません、食事をする口がないのです」  夕食を配膳するためにやってきた看護婦はそう言ってそれを辞退する三島に眉を垂らし、困り顔でベッドを跨ぐ台に一膳分をのせる。  ご飯、白身魚のムニエルの甘酢あんかけ、オニオンサラダに胡麻豆腐とパイナップル。栄養価を加味した健康的な食事だ。  どうみても一般的な男性よりやせ細っている三島は、これでも足りないくらいだろう。  決して小柄ではない。  むしろ背丈は大きな男だが、いかんせん骨骨しく吹けば飛びそうである。  風の噂で聞いただけの情報では、なにかの事件の犯人。  噂の廻りが早いのはこの病院の看護師たちがおしゃべりだからだ。自分も含め。  穏やかな微笑みと丁寧な口調。  白い肌と骨ばった体でそうされると、どこか繊細な容姿の三島は薄幸の美青年といった空気を感じ、危険な事件の犯人にはみえなかった。  一体なにがあったのだろう。  看護婦は午後に廊下ですれ違った女性警官のことを思い出す。  彼女はなぜか、肩をいからせ大股に歩き去っていった。  病室に通した時はいかにも真面目で清廉な女性で、凛とした立ち姿は格好いいと好感を抱いたのだが、帰る頃にはふてくされた子どものようだった。  その原因は、きっと三島と話したせいなのだろう。  好奇心の旺盛な若い看護婦は、捻った言い訳で食事を断る三島に興味を持った。  彼は昼食もそうしたのだ。 「三島さん。口がないって、今、あなたは口を使って話しているでしょう?」 「はい。でもこれは話す口であって、俺は病院の食事をする口を持ち合わせていないのです。すみません、こればっかりはどうにも」 「あら、つまりこの食事は口に合わないからいらないってこと? 酷い屁理屈ね。厨房の職員が泣くわ」 「困ります。浮気はいけない」 「病院の食事が浮気? なにそれ、料理上手の彼女さんにでも私以外の作ったものを食べないでって言われているの?」  そんな彼女とは別れればいいのに。  想像力豊かな看護婦は冗談交じりにからかって、腰に手を当てふうと息を吐く。  困った、はこちらだ。  自分たちはケガ人でも病人でも食事を用意して運ばなければならない。  三島は肩をすくめて首を横に振る。  窓の外はもう日が落ちて暗く、カーテンは開けっ放しだったが窓は閉められている。  夜空に月はなかった。この窓からベッドに根を張る三島に月は見えないみたいだ。 「食材かな……言われてないんですけど、俺は一途なんです。あはは」 「んん~わっかんないなぁ~」  含みはないが面倒な比喩表現に看護婦は笑って呆れを隠す。そりゃあ恋人を食材なんて、比喩に決まっているだろう。  三島は指で食事が乗った盆の縁を弄び、にこやかにそろりと看護婦側に寄せ始めた。  それに文句を言おうとすると、妙なことを言って話をごまかし始める。 「看護婦さんは、こんな犯人の動機がわかりますか?」 「なぁに?」 「ある日、自分は病気で余命僅かな恋人を食べた、と自首してきた男の動機です」 「えっ怖いねそれ」  誤魔化しの話題だとわかってはいても、看護婦は旺盛な好奇心を話に向けずにはいられなかった。  身を乗り出しそれで? と言葉の続きを催促するような仕草をする。  この三島という男の独特の間や言い回しは、宛らB級海外ドラマの気取り屋でダーティな悪役といったものに近い。  詭弁で周囲の気を引いて見せるが結局やっていることは悪事で、とどのつまり特殊ぶった通常。  ものは言いようを掲げているだけの格好つけだが、そんなキャラクターは嫌いじゃない。  看護婦は冗談半分でだが、その犯人こそが三島ではないのかとあたりをつけた。  想像豊かな看護婦に、三島は期待を込めて会話を楽しむ。 「そうだなぁ……きっとその恋人が頼んだのよ。病に殺されるのは嫌だから、あなたに殺してほしいって」 「へぇ」 「一緒にいたいから食べたんだろうけど、理由は恋人側にあったんじゃない? ほら、一途な犯人とか」 「あはは、それは上等なラブロマンスですね」 「でしょ」  看護婦は得意げに胸を張る。  三島は相変わらず笑い、窓を見つめる。  暗い夜空に三日月が三つ映る。  三島の目と、口元。  ゴク、と咽そうになりながら口腔に溜め込んだものを飲み込んだ。鉄の味がする。  微笑みは微笑み足り得るのか。窓に映った三島の笑顔は、能面のようだった。  首を動かし、振り返る。 「じゃあラブロマンスの主演は俺ですね」 「俺が好きな人を食べました」
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