【二】 太陽の御子

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【二】 太陽の御子

 西平里が滅ぼされてから数日が過ぎていた。遠く南東に位置する帝の治める都、朱瑋(すい)にも既に噂と報告、そして嘆願が届いていた。 「あの化け物には困ったものだな、赤蜂(あかはち)よ」  朱瑋城正殿、玉座の間。脚を組み玉座の肘掛に凭れながら、燿舜帝は側に控える軍司(いくさづかさ)に気安く呼びかけた。 「はい、豊渡海ではもう手に負えぬ様子」  赤蜂と呼ばれた男は身の丈六尺をゆうに超す大丈夫であった。その名が示す通りの赤毛赤髭、雀蜂の如き獰猛さでこの瑀瑠國(うるのくに)の衛士らを束ねている。 「ふむ、都に攻め込むのでもなければ態々手を下す迄も無いが、あまり捨て置くのも、余の威光の翳りとなろう。辺境の連中に不満を溜め込まれては困る」  金杯に手ずから酒を注ぎ、見事な沈金の施された漆の盆に行儀よく並べられた鷄蛋糕(けいたんこう)をつまみながら、燿舜は薄笑いを浮かべた。 「滅しますか」  赤蜂は顰め面のまま伺いを立てる。兵を司る者として辺境の和平を乱す怪物への怒りは至極当然であったが、帝が長らくこれを放置していることに対しても彼はいい加減苦々しく思っていた。その点については遠くないうちに諫言せねばならぬと常々考えていた程だ。彼には燿舜帝が悪食の跋扈を面白がっているようにしか思われなかったし、事実、今もこの半神の帝は酒と菓子を堪能しながらまるで余興でも見るかのように寛いでさえいる。先刻まで豊渡海からの使いの者が彼らの逼迫した状況を訴え涙ながらに親軍の派兵を嘆願していたと言うのに。 「否」  その即答に、赤蜂は思わず身を乗り出した。しかし燿舜は彼の内心を見透かすように緋色の目を細め、手振りで制する。 「まあ聞け。あれは邪神の加護を受けている。そうそう簡単には斃れまい」  赤蜂は唸った。確かにかの怪物は邪神の加護により並の兵では傷を負わせることすら不可能だ。豊渡海の軍勢が太刀打ちできなかったのもそのためだった。 「しかし、だ。殺せぬのであれば、悪さができないようにしてやれば良い。余の太陽神より受け継いだ霊力を少し貸してやる。それを使って、適当な祠にでも繋いでおけ。とりあえず四、五十年も大人しくさせておけばひとまずはそれで良かろう」  燿舜は面白そうにくつめいた。それから腰に提げた玉佩(ぎょくはい)を片手で外し、赤蜂に投げて寄越した。 「承りました」  受け取った赤蜂はそれを恭しく捧げ持ち、最敬礼の後、玉座の間を退出した。外に待機していた衛士が扉を閉める寸前、燿舜はふと思い出したように付け足した。 「ああ、そういえばあの辺りには伽を一匹、飼っておったか。まだ生きておれば、贄として霊力の足しにすると良い。腐っても精霊だからな、最後に孝行させてやろう」  赤蜂の顰め面に陰が差した。燿舜は勿論それに気づいたが見咎めるでもなく、ただ嘲るような笑みを湛えていた。 「御意に」  赤蜂は再び敬礼し、扉が閉まると即座に踵を返した。お付きの衛士の挨拶を背に聞いたが、赤蜂は振り返りもせず早足で歩み去る。衛士らにはとても見せられぬ。その貌は、歯噛みし怒りに満ち満ちていた。
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