【四】 嘆き

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【四】 嘆き

 帝の命を受けてから更に数日。赤蜂はまず祠となる場所の無事を確かめるべく、呪い師と衛士の精鋭を連れ、先だって悪食の現れた西平里から少し離れた山中の庵を訪れた。 「(とぎ)。おい、伽」  尋ね人を幾ら呼ばわれども、返事はない。それだというのに、赤蜂の目元には心なしか安堵の色が浮かんでいた。 「ふん、あれは死んだか。まあ、仕方なし」  枯れたやまたづの前に屈み込んでいた赤蜂はそう呟いて立ち上がり、膝の土を払って辺りを見回した。ここは元より日輪の神の加護のある地、悪食に憑いた邪神とは正反対の陽の気が溜まる場所だ。この場所に燿舜帝から借り受けた玉佩の霊力を楔として怪物を繋ぎ止める。それで封印となすことは可能だろう。しかし、帝は四、五十年と言ったが、その半分も保てば良い方だ。恐らくあれは言葉の綾で、帝自身もそれほど保つと考えてはいまい。とりあえず辺境の民を黙らせればそれで良い、ということなのだろう。 「しかし、あの化け物め……ここに居ったな?」  赤蜂は心底解せぬという顔をした。庵には怪物の陰の気が僅かに残っている。これだけ真逆の気を受ければそこに居るだけでも苦しいはずだ。悪食は人語を解し知性もそれなりにあるらしい、という報告は受けているが、それが何かの間違いで只の獣のようなものだったのかも知れない。あるいは、他に何か理由があるのかも知れないが、その理由は赤蜂にはとんと思い当たらなかった。 「あ、赤蜂様!大変です、あれを!」  見張りの兵が動転した声を上げた。その場にいた全員が、声の方を見る。夜空の一角が赤く染まり、幾筋もの煙がたなびいている。危急を報せる鐘の音が、この山までも微かに聞こえる。赤蜂は歯噛みした。 「化け物め。今年は余程、腹が減っていると見える」 *****  燃える家々の狭間を彷徨い歩きながら、怪物は熱に浮かされたようにぶつぶつと呟き続けていた。 「何故だ、何故足りぬ」 村の中には人どころか、動くものは家畜の一匹すらも見当たらない。あちこちに食い散らかされた破片が転がり、それはさながら地獄が顕現したかのようであった。 「これ程悍ましい景色を作り出しておいて、おれの考えることと言ったら、どうだ」  道端に白い腕が片方だけ、落ちている。怪物はそれを摘み上げた。そして乱杭歯の生えた大きな口を開け、長い舌で腕を絡め取りよく咀嚼する。先刻までは美味いと感じていた気がするが、今は何の味もしない。腹の足しどころか、喰えば喰う程余計に腹が減る。怪物は天を仰ぎ両腕を広げて、吼えた。 「足りぬ、足りぬ。何もかもが足りぬ!この尽きることのない欲!これを化け物と言わずして何という!」  ひとしきり哄笑した後、怪物はその場に頽れ、涙を流して呻いた。 「神よ、何故このような生き物を創り給うた」  生まれてこの方、三百年。それだけをずっと問い続けてきた。しかし答えはなく、代わりに燃え盛る炎が唸りを上げた。 *****  茂みに身を隠していた赤蜂は溜息をついた。これがかの悪食の化け物か。確かに禍々しい瘴気を放ち、血濡れて死臭を纏わせている。それが、今目の前で己の命運を嘆き泣き崩れるのを目の当たりにして、赤蜂は言い知れぬ嫌悪を覚えた。供の兵にここで待てと手振りで示し、彼は茂みを出て背後から怪物に近づく。 「哀れだな、化け物」  怪物は蹲ったまま、顔を上げようとすらしない。暫しの沈黙の後、くぐもった声が答えた。 「お前が朱瑋の軍司か」 「そうだ」 「殺してくれるのか」 「何?」  赤蜂は眉を寄せた。怪物がゆらりと立ち上がる。その身丈は赤蜂よりも遥かに大きく、しかし吹けば飛びそうな程に細かった。怪物の纏った襤褸布が火の粉を含んだ熱風に揺れる。 「邪神はおれを離さない。何度も試した。自害すら叶わなかった。殺せるものなら、どうか殺してくれ」  その声には鬼気迫るものがあった。虚を衝くためのまやかしとは思えなかったが、赤蜂には空虚に響いた。 「呆れたやつだ」  赤蜂は鼻を鳴らし、拳に巻いた玉佩を掲げた。鼻先に突きつけられた陽の気に怪物が一瞬怯む。それが合図だ。木陰に隠れた呪い師たちが一斉に呪法を発する。鎖めいた光が怪物を取り巻き、その身を締め上げた。怪物は苦しげに呻く。 「殺せぬならば封じよと、帝の御命令だ」  衛士たちが茂みから荷車を引いてやってきた。怪物は抵抗の素振りも見せず、目を閉じてただ大人しくしていた。赤蜂はその様子を忌々しげに眺めていたが、やがて捕縛の用意をを済ませた部下を後ろに下がらせ、自分は倒れた怪物に近づき、こめかみを踏みつけた。 「何とも拍子抜けだ。そこまで己の所業を厭うておいて、悔いることも贖うこともせず開き直るそのあさましき心こそ、貴様の化け物たる所以よな」  呪法の封印の上から更に霊力を編み込んだ縄で縛り上げた怪物を荷台に転がし、赤蜂は自らその怪力で車を引いた。道すがら彼は常に苛立っており、衛士も呪い師も皆怪物は勿論、軍司をも恐れながらこわごわ後について歩いた。 ***** 「さて化け物。此処がそのまま貴様の牢だ」  もとの庵に辿り着いた頃には、すでに夜も更けていた。赤蜂は怪物を荷台から蹴り落とし、そのまま担ぎ上げ庵の中に放り投げた。怪物はやはり呻くのみで抗うことはせず、浅い呼吸に肩を揺らしていた。 「此処は昔、狩りの折に帝がお休みになるために作られた小屋でな。長らく打ち捨ててあったとは言え良い霊脈にあり、人里からも離れておる。全く好都合だ」  言いながら、赤蜂は封印の(まじな)い札を四方の柱に貼り付け、戸口に結んだ草や豆を炊き込んだ飯といった供物を並べて祈祷の用意を整えていた。 「成る程、道理で忌々しい気に満ちていた訳だ」  道中からずっと黙っていた怪物が、ようやく口を開いた。 「解っていて塒にしたのか、目出度いやつめ」  赤蜂は嘲る。怪物は小さく「否」と首を振った。 「邪神が少し大人しくなる。あれが騒ぐのは不快だ」  怪物の閉じた瞼の向こうで目玉がごろりと蠢く。赤蜂は腰に佩いた太刀を抜き怪物の首を斬り落とす……そのような虚像を思い描きながら、舌打ちして首を振った。 「ふむ、己の罪を悔いることは無いが、そのことを不快に思う程度の心は備うるか。身勝手が過ぎるな、反吐が出るわ」  やがて全ての手筈が整い、呪い師が封印の祈祷を行った後、元より斜面に埋もれるようにして建てられた小屋の前に土を詰めた麻の袋や伐った枝や石を積んで戸口を塞ぎ、更に左縄を張って禁足の証とした。軍司とその部下たちは山を下り、滅んだ村を弔った後、悪食を封じた山全域を禁足地とする旨の御触書を各地に立て、やがて都へと帰還した。
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