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私はできるだけ目立たぬようにと、傘を目深にし、顔を隠した。そして校舎に向かった。
急に雨脚が強くなった。大粒の雨が地面に騒々しい音を立て、校舎のそばの花壇の植栽を見えにくくした。校舎の軒からは、手洗い場の水道の蛇口をあけ放したように、何本も滝が落ちだした。
激しく咳き込むような声が聞こえた。校舎の壁をつたい、屋上から地上にまで伸びている樋の出口から雨水が飛沫をあげて吐きだされていた。
さまざまなところから集う雨水がコンクリートの地面の上を流れ、行きつく先が大きな水たまりになっていた。底にはグレーチングがかすんで見えている。詰まりがあるのだろう。排水溝が機能を果たしていないようだった。
私は足元を見た。靴は水に浸かりびしょ濡れで、靴下のなかの踵と指が不快だった。カバンも濡れ、スーツの裾も濡れているが、いま買ってきたビニール傘だけは濡らさないように守っていた。
足早で渡り廊下を進む大人が見えた。ジャージ姿の女だった。髪をうしろで結わえ、がっちりした肩と張った腿と臀部。女の体育教師だろうか。
私は、なに用かと呼びとめられるかも知れないと思い、彼女に向かって軽く会釈をした。向こうも足をとめて会釈を返してきたが、なにも言わず、さっさと渡り廊下のさきの体育館の中に入っていった。
私は事情を説明する煩わしさがないようだと理解し、校舎の昇降口に入り、傘をたたんで、げた箱のロッカーから自分の娘の靴のありかを探った。
<二年一組 沢尻エリコ> 私の娘の靴は、まだそこにあった。
昇降口の廊下に三人の女子生徒が見えた。みな向こうをむいてしゃべっている。
私はそのなかのひとりを見て安堵した。見間違えることはない。私の娘の背中と髪だ。
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