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 きょうもきのうと同じく雨が降っていた。私は玄関で靴の乾き具合を確かめていた。きのう買ったビニール傘は、留め具が掛かって、透明な(すじ)がきれいにあった。内側に出きらなかった水分が霧吹でふきつけられたように残っている。それは、玄関の隅に捨てられたかのように置かれていた。私は、傘立てにそのビニール傘を差しこんだ。家族の傘すべてを突っ込んである窮屈な傘立てには、エリコの傘は見当たらなかった。 「あなた。きのうエリコに傘を届けてくれなかったの? あの子ずぶ濡れで帰ってきたじゃない」  エリコが登校していったあと、洗面所を占領している妻が言った。 「ああ」と私は洗面所の戸口で、妻の姿が映った鏡のすきまから自分の姿を見てネクタイを結びながら答えた。「傘は届けた」  昨夜エリコは帰ってくると二階の自室に閉じこもり、夕飯にも下りてこなかった。私はエリコのへやの扉をノックするかどうか逡巡(しゅんじゅん)していたが、妻が盆に載せた食事を持って二階に上がっていった。妻はしばらくの間下りてこなかった。  私は夕食を済まし、新聞を開いたところにようやく妻が降りてきた。そのとき、妻はなぜか私を冷ややかな目で見ていたのだった―― 「あなた。エリコが相合傘しようとしていたところに出ていったんですってね」妻が語気を変えた。「そういうときは、そんなことしちゃ駄目よ」  私はカチンときた。 「そんなこと知るわけがない! エリコが傘を忘れたと思って届けにいっただけのことだ」 「――あの子。かれに告白しようとしていたみたい」 「なんだと!」私はエリコがあの男子学生と口と口をかさねる姿を思い浮かべてしまった。「エリコはまだ中学生だぞ!」  妻はアイライナーで眉をこすっていた。 「あなたは、どうしていつもそうなの? もうちょっとおおらかに物事を考えられないの?」 「男といっしょにひとつ傘の下で帰るなんて、おまえ、そんなことを許せるというのか!?」  妻はくちびるにあてていた口紅をとめ、鏡越しに私を睨んだ。 「清い交際はあの子と約束したわ。もっと自分の娘のこと信頼してあげなくちゃ。エリコの気持ちを大事にしてあげてよ」  私は唖然とした。手塩にかけた娘が恋愛なんぞに(うつつ)を抜かすのをみすみす黙って見ていろというのか? それに気をきかせて傘を持っていってやったのに、それが余計なことと言わんばかりではないか。 「じゃあ、どうすればよかったんだ!」  妻はもう飽き飽きというような顔をして口の化粧を仕上げた。 「わたし、忙しいから」と言うと、妻はそそくさと洗面所から出ていった。  私は妻の態度に怒りを感じた。おそらくきょう一日、もやついた気持ちで過ごすことになるだろう。
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