暑い放課後

1/2
前へ
/11ページ
次へ

暑い放課後

      夏休み前のこの時期、暑い放課後は部活も運動部以外はみんなさっさと家路をいそぐ。  校庭では、野球部とサッカー部が練習をしているけど汗にまみれてきつそう。こ~んな炎天下で練習なんてぶったおれちゃうよ。  だけど、あたしは帰らないで空気がよどんでむっとする南校舎の四階までえっちらおっちら階段を昇っていく。  ああ、いつもながら四階までの階段はしんどいよ、ぶつぶつ文句を言いながらひぃひぃ汗をかきながら、あたしはようやく四階の踊り場に出た。  校庭に面して教室が並ぶ奥に美術室と美術準備室がある。  いつもながら、この階にはだ~れもいなそうだなと思うとちょっとうれしくなって、大きく手を伸ばして息を吐き出す。  美術準備室は、古いけどクーラーが付いているんだな。アンド、美術の先生の野村は最近だるだるだから、ここまで上がってこないしあたしは一人で涼しい中物思いにふける事ができるってわけだ。ちょっと埃っぽいのとちょっとかび臭いのをのぞけば天国。  るんるんしながら、とりあえず芸術部の部室になっている美術室をのぞくだけのぞこうと思った。  だいたい、芸術部ってなんだい?いい加減なネーミングだよね。  去年の三年生が卒業するまではそんなのなかった。  美術部、文芸部、イラスト部、あたしが一年生で入った時はけっこうたくさんの部員がいたんだけど、三年生が多かったんだね。卒業とともにつぶれてもいい位の大きさの部になっちゃったの。  で、期待は新一年生だったのよ。  がしかし、最近の小学生上がりはそんなの興味ないみたいでさ、中学生になったら勉強に精出さないといけないからとか言っちゃって、塾だなんだで帰宅部多し。  で、ついに美術部と文芸部に所属しているあたし、沢岡美羽(さわおかみわ)二年生が部長を務める芸術部一つにまとまっちゃったってのが今の現状。  イラスト部だったやつは、これがまた幽霊部員が多くって出てきたためしがないし、あるんだかないんだかどっちでもいいや的な部活という事で、もはや芸術部は自然消滅ぎりぎりって感じ。  きょうは、水曜日で部活、あるんだけどな~!  月、水、金、と一応部活あるんだけど、もしかして誰も知らない?  そんな事心の中でつぶやきながら、あたしは美術部の扉を開けた。  向こう側に強い日差しの窓がめいっぱい広がっている。  いやぁ~、夏本番って感じですなぁ~、暑そう。  扉を閉めて準備室に行こうとしたあたしの目に、人影が映った。こっちを振り向いたけど、もうすでにあたしの手は扉を閉めにかかっていて、  ガラガラ、ビシャン  目の前に扉は閉められてしまった。て、あたしが閉めたんだけど。  あれ?今の誰だったかな?イラスト部だった中に見ない顔だったけどな。でも、どこかで見たことがあるような気がする。  背の低い女の子、ええとどこで見たんだっけ?  黒目がちの大きな瞳、ふっくらした優しそうな表情、ショートカットがさらさら開けた窓からの風に流れて、さわやかに見えた。  おそるおそるあたしは一度閉めた扉をゆっくり開けてみた。  そぅ~っと隙間から中をながめてみる。  いた。小柄な女の子が窓のはしっこに立って校庭を見ている。  ふぅ~ん、どうも野球部の練習を見ている感じだね。まあ、校庭が一番見渡せるのはここかもしれないけど。  時折、生ぬるい風が吹いて彼女の髪をゆらす。不思議なことにさわやか感いっぱいに感じちゃうのはなんでだろう?  すごい。この時あたしの中に描きたい欲望がむらむらと湧き出してきた。  うぅ~、描きたい描きたい描きたい。  あたしは心のシャッターを連写した。  いちいち校庭を見つめながら「きゃっ!」とか「わっ!」とか言いながら胸のとこに組んだ手をぎゅっと握りしめたりしている姿は、ビデオカメラが欲しいと思ったほど。  そのひとコマひとコマがおもしろい。  黒目が真剣に一点を見つめてきらきらと輝いたり微笑んだりしているその姿は、あたしの中に火をつけた。その気持ちのままに声をかけちゃった。興奮したまま。 「ちょっと、ここで何してるの?」  あちゃ~、なんでこんな怒りモードの言葉が出てきちゃうの?  ほら見なさいよ、彼女はびびっちゃってしどろもどろじゃんか。 「あ、ご、ごめんなさい。わたし、文芸部がここだって聞いたから。で、も、誰もいなくて、あ、あの」  まずい、入部希望者だ。ここは何とか優しくしとかないと逃げられちゃう。 「いやぁ~そうかぁ、そうなんだ。そうと言ってくれればいいのにぃ~」  言う暇なかったじゃん。引きつったあたしの笑顔。 「ああ文芸部は今年から、ってもう四ヶ月もたつけど芸術部に変わっちゃったんだよね。あ、でもやる事は一緒の事できるから心配しなくていいよ。で、あたしは部長の沢岡です。名前は美しい羽って書いてみわといいます、よろしくね」  彼女は安心したらしく白い歯を見せてにっこりした。ほっぺがピンク色でりんごちゃんみたい。 「はい、わたし今週からこの中学に来ました。織田と言います。織田ゆずかです。よろしくお願いします」 「織田さん、あれ?同じクラス?この間クラスで紹介されてた転校生、ごめん忘れてた。柚に花って書いたよね?名前だけ覚えてる。可愛い名前だなって思ったから」  クラスメートに興味ないあたしが、覚えてるのは柚花って名前だけだった。ああ、どこかで見たことあるはずだわ。  彼女は、頬をぷっくりと膨らませて 「でも、ゆずの実ってでこぼこしててかわいくないから嫌いなんですよね。この名前」  でこぼこって、そうだったかな。ふぅ~ん、そうなんだ、そんなもんかね。  大抵の人が自分の名前なんて好きなやついないと思うな。  だって、自分がつけたわけじゃないし、親とか親戚とかはたまた占い師なんかに決められちゃって、字画がどうとか女の子は結婚すると苗字が変わっちゃうからとか、人と同じじゃつまんないとか、様々な理由をこじつけられて本人がオーケーする前に決まっちゃうわけだからして。 「ま、みんなそうだよ。あたしだって、美しい羽なんて『みう』?『みわ』 ?って、読めね~し!」  いかん、言葉使いが悪くなった。 「あたしは、柚花って名前かわいいと思ったよ」  とりあえず、あたし最大の笑顔で歓迎する事とした。にこっ! 「これ入部希望書、出しておいてね。ようこそ芸術部へ!」  柚花は、ぺこりと頭を下げて 「よろしくお願いします」  これで、部員が一人増えた。廃部が少し遠のいた。バンザイ!  あたしはあわてて、スケッチブックと鉛筆を持ってきて描きだした。 「一応、どんな事やりたいのかとか聞かせてくれるかなぁ~」  言葉とは関係なくあたしの手元は彼女の校庭を見つめる姿をざっと描き出す。 「ああ、気にしなくていいからそのままで聞かせて!」  二枚目に突入。窓から見つめる彼女のまなざしを校舎の外から描いてみる。いい感じ。 「あ、前の学校でも文芸部に所属してたので、同じような事できるのかなぁと思ったんですけど、あ!!」  カーン  校庭で音がした。  野球のボールが高く高く上がった。四階の目線まで高く。校庭ではボールの行方を追うように部員達がいっせいにこちらの方を眩しそうに見上げる。 「きゃっ!」  それと同時に、なんと彼女が窓から身を隠したのにはびっくり。 「どしたの?」  言葉とは裏腹に面白い絵が描けそうな気がしてにやりとしてしまったのは、不覚。  あわててその瞬間を描きたくて三枚目に線を走らせながら彼女を見ると、なんだか赤くなってるみたい。  ふふ~ん、なんとなくわかったかも。 「誰か、お気に入りの野球部の子がいるんだぁ~」  めちゃめちゃあわてた表情をかくそうと必死に、黒目を宙に泳がせながらしどろもどろに口を開いた。  思ったとおりのリアクションが返ってきて楽しくなっちゃうよ。 「そ、そんなんじゃないけど、昨日職員室から帰ろうと思ったら、ま 迷っちゃって。あの、あの人が教室まで案内してくれたから、ああ、野球部なんだなぁ~って思って。見て 見てただけで」  ほうぅ~、そんな親切なやつって誰だっけ? 「どいつよ?」  彼女は、校庭でノックをしている三年生を指差した。  野球部はどいつも誰だかわかんないほど真っ黒で、白い帽子に土の付いたユニホームはみんな一緒に見えちゃってもおかしくないのに、柚花はちゃ~んとそいつがわかったらしい。すごい、恋の力は偉大だね。 「一目ぼれってやつか」  あたしの一言にもっと赤くなった柚花は、真夏のまっただ中に現在いらっしゃるらしく目の前がくらくらしてきた。 「ちょっと、熱射病になっちゃうから準備室行こう!」  あたしは柚花の手を引っ張って、準備室のクーラーのスイッチを入れた。  狭い部屋の天井のクーラーからかび臭い生ぬるい風が出てきた。 「もうちょっとすると天国みたいに涼しくなるから、しばしのがまんじゃ!」  と、荷物を動かして窓際に二つ椅子を置いた。 「校庭の景色は美術室と同じように良く見えるから、この場所好きなんだよね」  同意を求めて、あとあなただけじゃないよと言う意味も込めて言ってみた。  実はあたしも、良く校庭の練習ぽ~と眺めてるんだよね。  一人でスケッチしながら「へったくそぅ~」とか「ナイスピッチング!」とか言ってるんだ。 「ほんとにここ、良く見えるね。でも、わたし一目ぼれしたのかなぁ?」  柚花は首をかしげて、自分の心の中を一生懸命のぞいているようだ。  髪の毛がくるんとはねてて一緒に首をかしげてるみたい。 「だってそいつのことずっと見ていたいなって思うんでしょ?恋だね、これは恋だね間違いないね」  ま、趣味が良いとは言えないけどね。 「ん~~」  まだ往生際悪く考えてるみたいだけど、その不確かな表情も良いね。描きたくなる。  いつもは野球部とか景色とかなんだかわかんないものとか描いたりしてるけど、久々にこの子の目の動きや頬のはり、まなざし、思ってることがもろわかっちゃいそうな顔の動きは、無限にあたしの可能性に火をつけている。  やっぱり、一番難しいのは人間を表現する事なんだよね。  人間って何考えてるのかわかんない分だけ難しいなって思う。だから、こんなに考えてる事がもろわかりの子って好きだなぁ。  だいたい、クラスの女子って能天気に芸能人の話とかファッションの話とかしかしてないし、集まればきゃ~きゃ~うるさいし、まあ否定はしないけど肯定はできないのよね。  どんなことやりたいのか、とかどんな分野が興味あるのかとか、まあ聞く気もないけどね。  人間、やっぱ中身が詰まっていてなんぼのもんじゃ、って思っちゃうからさ。 「その答えは、もうちょっと待っていてね」  柚花は答えた。  自分の気持ちが恋なのかどうなのか、答えをだすって事ですかね。ふぅ~ん。 「人を好きになるって、どういうことなんだろうと思って。どうして好きになって、どこが好きだって思うのか、良く考えてみたいなって」  おもしろい。やっぱ、好きだわ。  あれ、柚花がそんなに真剣に「好き」という気持ちに対して考えるのに反して、あたしはもう「好き」って言い切っちゃってる。  なんだろう、性格が違うって事なのかな。それとも、あたしって物事を深く考えないタイプって事?  柚花は読書が好きだと言った。  詩を書いたり小説を書いたり、前の学校の遠足の時のしおりとかには良く詩を頼まれたりした事、一回だけコンクールに入賞した事とか。  あたしはいろんなものをスケッチするのが得意でたまに油絵も描くしアクリル画なんかも描いたりすると言った。  それと、卒業していった三年生の他はまともな部員がいないということも包み隠さず話してみた。 「じゃあ二年生の沢岡さんとわたし二人しかいないような感じなのね」  確かめるように、柚花は言ってそれでもいいのよ、って感じで笑った。 「そうそう、たまに幽霊部員が出てくる事もあるけど、たぶん二人。そう考えてよろしいかと。へへ、みわでいいよ」  あたしたちが、友だちになるのに時間はいらなかった。  なんだか、もう昔から知ってる間柄のようにも感じたし、なんでも話せる親友って感じもした。  たぶん、柚花も。 「み~わ~~!みわ~~!」  外から誰かがあたしを呼んでいる。  まあ、誰かはわかるけどね。ちょっとしらんぷりしてみようか? 「沢岡さん、呼んでるよ。ああ、みわちゃん!」  柚花は窓ガラスにおでこをくっつけて校舎の下で叫んでいる男子を見た。  日焼けして真っ黒な顔の野球部員。水嶋保(みずしまたもつ)だ。 「あ、あの人ピッチャーの人よね。投げてるときすごくいい顔してるね」  柚花は人の顔をおぼえるの得意なのかな。よくわかるなぁとあたしは感心してしまう。  ピッチャーとくれば下級生からは人気あるのに外見よりもずっと幼稚なもんだから、本人はきゃーきゃー騒がれてもてんでわかってないんだけどね。  実際、投げるときの真剣モードはめっちゃかっこいい。そこからはずれると、あとはダル~って感じの遊ぶ時だけ元気な男の子って感じだし。頭だって悪くないけど目だって良くもない。  まあ、投げてる時と投げてない時の落差はほんとに大きいよね。  あたしは、ガタガタ建付けのわるい窓をようやく開けて 「うるさいよ~~、たもっちゃん!用件はわかってるから!」  話し終わらないうちから、親指をたてて真っ白い歯をみせてるあたしの幼なじみ。  まったくもう、最近優しくしてればいい気になってるよ。  その時、校舎に下校の鐘の音が鳴り響いた。 リーン、ゴーン、リーン、ゴーン 「さあ、ゆずか、帰るよ!」  と言いつつ、あたしは準備室の小さな冷蔵庫の中にある麦茶を取り出した。それから近くの棚の上に置いてあったでかいやかんにそれを全部入れ冷凍庫から氷を手早くやかんの中に落とし水道の水をいっぱいまで入れた。 「こんなもんかね」  驚いた顔の柚花はかわいかった。目を大きく見開いて固まっている。 「さ、手伝って手伝って!今日は柚花がいたからラッキー!」  なんだかわからないまま、柚花はあたしと一緒にでかいやかんを持って階段を下りた。 「柚花があこがれる野球部のキャプテンのもとへゴー!!」  グラウンドに出るとあたしがそんな事を言ったもんだから、柚花が立ち止まっちゃったよ。やべっ! 「なんか、変な事言わないでね!」  泣きそうなくらい心配した顔。 「ごめんごめん、柚花が見てたの野球部のキャプテンで、さっき窓の下であたしを呼んだのは水嶋保って三年生」  目をしばたたかせて、まだよく訳がわからないって感じ。  でも柚花が、歩き出したからあたし達はバックネットのベンチまでやかんを運んだ。 「おお~~、サンキュウ!!」  水嶋保が走りよってきた。同時に外野からもみんな走ってきた。  たもっちゃんがそばの袋の中から紙コップをとりだして、やかんから水で薄まった麦茶を入れてごくごくと飲み干した。 「ぷはぁ~~、うめ~~!美羽のつくった麦茶はさいこう~~」  にっこり微笑んで右手を上げた。  水にちょっと色が付いただけでこんなに喜ばれるなんてね。ばれないうちに退散しましょうかね。 「じゃっ!!」  あたしは柚花を連れて、校門に向かった。  その頃には、野球部は憩いの潤しタイムに入っているようだった。その中から落ち着いた声が聞こえた。 「サンキュー!みわ!」  柚花が振り向いた。ぽっと頬が熱くなったみたいに見える。小さな声であたしはささやいた。 「憧れのきみ、だよね」  きゅっと引き締まった表情になって柚花が 「まだ答えは出してない」  と言った。 「ごめん!」  いいな、この子。あたしは、柚花きみが大好きだよ。  あたしは、この夏とっても大切なものを見つけたかもしれない。  直感で生きるあたしとまた少しだけ違う、柚花。物事をよーく考えて見つめて答えを出す、その過程がきみには大切なんだね。  たくさんのきみの意見、感情、考え方、聞きたいよ。  まるで、男の子みたいなせりふが頭の中を駆け巡った。  別れ際に柚花が言った。優しい目をしてあたしを見て 「帰り道に考えたの。美羽、とすごく仲良くなれそうな気がする。この学校に転校してきて良かった。また、あしたね!」  手を振って小さくなっていくその姿に、あたしも手を振った。  きょうは、すごくいい一日だったな。  カレンダーに花丸しちゃおうかな。ゆっくりと暗くなっていく大切な大切な一日だった。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加